英語の意味変化を取りあげるときに必ずといってよいほど引き合いに出される例として,deer がある.現在「鹿」を意味するこの語は,古英語や中英語では普通には「(ヒトに対しての)動物」を意味した.古英語でも「鹿」の意味がまったくなかったいわけではないが,この語の本来的な意味が「動物」であることは,他のゲルマン諸語からも確認できる.たとえばドイツ語の同語根語 ( cognate ) は Tier であり,現在でも「動物」を意味する.
ところが,中英語期になり「鹿」の意味が目立ってくるようになる.その一方で,「動物」の意味は徐々に衰えていった.動物一般を表していた語が,ある特定の種類の動物を表すように変化してきたわけで,このような意味変化のことを意味の特殊化 ( specialisation ) とよぶ.
deer に意味の特殊化が起こった背景には,中英語期のフランス語との言語接触がある.1200年頃の Ancrene Riwle という作品に,フランス語から借用された beast 「(ヒトに対しての)動物」という語が初めて用いられているが,以降,中英語期には「動物」の意味ではこちらの beast が優勢になってゆく.deer は「動物」の意味を beast に明け渡し,「鹿」の意味に限定することで自らを生き延びさせたといえる.
さらに,近代英語期に入り,animal という別の語がフランス語から入ってきた.「(ヒトに対しての)動物」という意味では,初例は Shakespeare である.これによって,それまで活躍してきた beast は「(ヒトに対しての)動物」の意味から追い出され,これまた意味の特殊化を経て,「けもの,下等動物」の意味へと限定された.
フランス語との言語接触によるショックと,それを契機に回り出した押し出しの連鎖 ( push chain ) により,語と意味が変遷していったわけだが,ポイントは,deer も beast も廃語とはならず,意味を特化させることによってしぶとく生き残ったことである.こうしたしぶとさによって類義語 ( synonym ) が累々と蓄積されてゆき,英語の語彙と意味の世界は豊かに成長してきたといえる.
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