昨日の記事「#1361. なぜ言語には男女差があるのか --- 征服説」 ([2013-01-17-1]) に引き続き,言語の男女差の起源について.
Trudgill は,征服説に懐疑的な立場を取りながら,次に Jespersen の提起する「タブー説」を紹介する (66) .Jespersen は,カリブ人の男性は戦いに出ると,大人の男性のみが使うことを許されるいくつかの語を使うことがあったことに注目した.女性や未熟な男性にとってはその語群はタブー (taboo) であり,代用表現が生み出されることとなった.これが,その語彙の男女差の起源だろうという.
同様の例は,ズールー語 (Zulu) からも例証される.ズールー語では,妻が義父とその兄弟の名前を呼ぶことは厳格なタブーとして禁じられており,その名前に似た語や,その名前に含まれる特定の音すら忌避しなければならないという習慣がある.例えば,/z/ が忌避されるべき音だとすると,「水」を表わす通常の amanzi という語は避けられ,代用語として amandabi などが用いられるというような次第だ.このような慣行が,その言語共同体の女性のあいだに一般化すれば,語彙の男女差が生まれることになるだろう.
しかし,このタブー説が世界に広く見られる一般的な男女差の説明となりうるかというと,Trudgill はこれにも懐疑的である.Trudgill は,第1に,タブーに由来する男女差がどのように言語共同体の女性にあいだに一般化しうるのかが不明であるし,第2に,語彙以外に見られる男女差で,タブー由来ではないことが明確な例が多くあると指摘する (67) .例えば,アメリカ・インディアンのマスコギ語族 (Muskogean) の コアサティ語 (Koasati) には男女差を示す言語項目があるが,これは習慣的に男女間で使い分けられているにすぎず,異性が口にすることがタブーであるわけではないことがわかっている.このようなケースでは,男性の言語でのみある革新が生じたが,女性の言語は保守的に古形を保ったとして十分に説明できるものがあるという.
女性の言語が保守的(かつ規範的)であるという考察は,より一般的にいって,興味深い.というのは,英語に関する多くの社会言語学の調査が,女性の言語の保守性を実証しているからだ.一般的に言語の男女差を解く鍵は,征服説でもタブー説でもなく,言語変化に対する態度の男女差にあるのではないか.明日の記事で,この提案について考察する.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
言語における男女差については,「#476. That's gorgeous!」 ([2010-08-16-1]) ,「#913. BNC による語彙の男女差の調査」 ([2011-10-27-1]) ,「#915. 会話における言語使用の男女差」 ([2011-10-29-1]) の記事で取り上げたことがある.日本語母語話者であれば,言語の男女差については直感的によく知っており,豊富に具体例を挙げられるだろう.英語では日本語ほど明示的には現われないが,上に挙げた記事のなかで,いくつかの例を示した.世界の諸言語を眺めても,言語における男女差は,程度の差はあれ,広く認められる.では,言語における男女差はなぜ存在するのか.今回は,この一般的な問題について,主として Trudgill の第4章 "Language and Sex" に従って議論したい.
Trudgill は,3つの仮説を紹介している.その1つ目は,いまや古典的となっている西インド諸島の事例に基づく仮説である.17世紀,ヨーロッパ人が西インド諸島の小アンティル諸島 (the Lesser Antilles) でカリブ人に出会ったとき,そのカリブ人たちが男女で異なる言語を話していることに驚いた.以下は,Trudgill (65) に挙げられている同時代の証言である.
The men have a great many expressions peculiar to them, which the women understand but never pronounce themselves. On the other hand the women have words and phrases which the men never use or they would be laughed to scorn. Thus it happens that in their conversations it often seems as if the women had another language than the men.
実際には,異なる言語というのは誇張であり,男女間で一部の語彙が異なっている程度だったので,同一言語の異なる変種ととらえるのが適切だろう.だが,そうだとしても,この語彙の男女差は何に由来するのか.同じ証言者は次のように続ける.
The savage natives of Dominica say that the reason for this is that when the Caribs came to occupy the islands these were inhabited by an Arawak tribe which they exterminated completely, with the exception of the women, whom they married in order to populate the country. It is asserted that there is some similarity between the speech of the continental Arawaks and that of the Carib women. (Trudgill 66)
つまり,征服による2民族の混合が,この言語の男女差の起源だという.男性は征服者のカリブ語,女性は被征服者のアラワク語という対立だ.
この「征服説」の真偽のほどは確かめることはできない.しかし,報告されているようなカリブ語における男女差と類似した例は,実は他のアメリカ・インディアン諸語にも見られることから,同説は必ずしも説得力をもたないという見解がある.また,少なくとも征服説が提起できるような他の例があるのだろうかと世界を見渡しても,そのような言語は見当たらない.したがって,征服説は,もしあり得たとしても特殊なケースにすぎず,世界の言語にみられる男女差を一般的に説明するものとはなりえないだろう.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
[2011-10-27-1]の記事「#913. BNC による語彙の男女差の調査」に関連して,Hirschman による標題の問題を扱った会話分析の古典的研究を紹介したい.
この研究の元となった会話の調査と分析は,1973年の Linguistic Society of America の年次大会で特別セッションにて口頭発表された.その後,発表原稿は半ば行方不明となっていたが,Hirschman の研究は同種の研究の先駆けとして評価されるようになり,いわば口づてにより研究者の間で有名になっていった.皆が Hirschman の研究に言及するようになったものの,その原稿に目を通した者はほとんどいないという幻の研究となっていたのである(Hirschman 自身はその後コンピュータ言語学の分野へと進み,社会言語学の分野から離れたために,自らの研究が同分野で古典的な研究となっていることに気づかずにいたという).ところが,性と言語の分野の研究者 Deborah Tannen が,ある偶然から Hirschman と連絡を取るに至った.そして,最初の発表から20年以上の歳月を経て,古典的研究が正式に論文として Language in Society 誌上に印刷されたのである.
さて,Hirschman の研究は男女各2人,計4人の学生による対話に基づくものである.異なる組み合わせの1対1の対話をそれぞれ10分ずつ録音し,それを転記したものに量的な分析を施した(当時からコンピュータ言語学者であった Hirschman も,当時の環境ではすべて手作業で分析せざるを得なかったという点が時代を感じさせる).4人のみを対象とした各10分ほどの対話の記録であるから,得られるコーパスの量は不十分であり,そこから引き出された分析結果も仮説的なものとならざるを得ない.しかし,Hirschman のすぐれた調査の手法は後の同種の調査のお手本となり,提起された仮説も広く注目を浴びることになった.
Hirschman の主な分析結果をまとめれば次のようになる.
・ 女性どうしの対話では,対話に与えられた時間の95%が実際に対話に費やされたが,男性どうしの対話では76%しか費やされなかった.また,女性の参加する対話では,女性の参加しない(男性どうしの)対話より多くの時間が対話に費やされた.
・ um, uh, ah, like, well, you know, I mean などの "filler" は,男性よりも女性のほうがずっと多く使用した.しかし,女性でも,男女の対話に比べて女性どうしの対話では filler の頻度は低かった.
・ 女性は男性よりも we, you, I を多く用い,she/he, they, someone, person/people を少なく用いた.これは,女性は個人的な経験や感情を語り,男性は物事を抽象的に語るという主観的な印象と合致する.
・ yeah, ok, right, all right などの肯定的応答は同性どうしの対話に,より多かった.肯定的応答の値は,最もよく話す女性が最高値を示し,最もよく話す男性が最低値を示した.すなわち,ここには男女差が反映されている可能性がある.
・ mm hmm の相槌はほぼ女性に限定して用いられた.
・ 対話の遮断は女性どうしの対話において遥かに多く見られた.
・ 女性は相手の議論に同調して対話を進展させる傾向,あるいは相手に質問をして対話を進展させる傾向が見られたが,男性は議論をする傾向が見られた.
以上は,全体として "the role of the female as facilitator of the conversation" (438) を示唆するように思えるが,Hirschman はあくまで冷静に事実を示し,突っ込んだ読み込みはしていない.この辺りの控えめさが,名論とされる所以なのかもしれない.
・ Hirschman, Lynette. "Female-Male Differences in Conversational Interaction." Language in Society 23 (1994): 427--42.
標題の話題を扱った Rayson et al. の論文を読んだ.BNC の中で,人口統計的な基準で分類された,話し言葉を収録したサブコーパス(総語数4,552,555語)を対象として,語彙の男女差,年齢差,社会的地位による差を明らかにしようとした研究である.これらの要因のなかで,語彙的変異が統計的に最も強く現われたのは性による差だったということなので,本記事ではその結果を紹介したい.
まず,以下に挙げる数値の解釈には前提知識が必要なので,それに触れておく.BNC に収録された話し言葉は志願者に2日間の自然な会話を Walkman に吹き込んでもらった上で,それを書き起こしたものであり,その志願者の内訳は男性73名,女性75名である.会話に登場する志願者以外の話者についても,女性のほうが多い.したがって,当該サブコーパスへの参加率でいえば,全体として女性が男性よりも高くなることは不思議ではない.
しかし,その前提を踏まえた上でも,全体として女性のほうがよく話すということを示唆する数値が出た.使用された word token 数でいえば,男性を1.00とすると女性が1.51,会話の占有率では,男性を1.00とすると女性は1.33だった.男女混合の会話では男性のほうが高い会話占有率を示すとする先行研究があるが,BNC のサブコーパスでは女性同士の会話が多かったということが,上記の結果の背景にあるのかもしれない.いずれにせよ,興味深い数値であることは間違いない.
次に,より細かく語彙における男女差を見てみよう.男女差の度合いの高いキーワードを抜き出す手法は,原理としては[2010-03-10-1], [2010-09-27-1], [2011-09-24-1]の記事で紹介したのと同じ手法である.男性コーパスと女性コーパスを区別し,それぞれから作られた語彙頻度表を突き合わせて統計的に処理し,カイ二乗値 (χ2) の高い順に並び替えればよい.以下は,上位25位までの一覧である (136--37) .
Rank | Characteristically male | Characteristically female | ||
Word | χ2 | Word | χ2 | |
1 | fucking | 1233.1 | she | 3109.7 |
2 | er | 945.4 | her | 965.4 |
3 | the | 698.0 | said | 872.0 |
4 | year | 310.3 | n't | 443.9 |
5 | aye | 291.8 | I | 357.9 |
6 | right | 276.0 | and | 245.3 |
7 | hundred | 251.1 | to | 198.6 |
8 | fuck | 239.0 | cos | 194.6 |
9 | is | 233.3 | oh | 170.2 |
10 | of | 203.6 | Christmas | 163.9 |
11 | two | 170.3 | thought | 159.7 |
12 | three | 168.2 | lovely | 140.3 |
13 | a | 151.6 | nice | 134.4 |
14 | four | 145.5 | mm | 133.8 |
15 | ah | 143.6 | had | 125.9 |
16 | no | 140.8 | did | 109.6 |
17 | number | 133.9 | going | 109.0 |
18 | quid | 124.2 | because | 105.0 |
19 | one | 123.6 | him | 99.2 |
20 | mate | 120.8 | really | 97.6 |
21 | which | 120.5 | school | 96.3 |
22 | okay | 119.9 | he | 90.4 |
23 | that | 114.2 | think | 88.8 |
24 | guy | 108.6 | home | 84.0 |
25 | da | 105.3 | me | 83.5 |
フィギュアスケートの実況などで女性コメンテーターが Gorgeous! と感嘆するのを聞くことがある.また,イギリス留学中にまだ赤ん坊だった私の娘の髪型を指して,お世話になっていたイギリス人女性が Gorgeous! と口にしていたのを覚えている.「ゴージャス」は日本語にも借用されており「華麗な,豪華な」という意味で定着しているが,日本語では賞賛を表わす叫びとしては用いないと思うので,上記の英語表現を聞くと用法が違うのだなと気づく.OALD7 によると,形容詞 gorgeous の第1語義は以下の通りである.現在では「素敵な」の語義が主要な使い方になっているようだ.
1. (informal) very beautiful and attractive; giving pleasure and enjoyment
形容詞 gorgeous はフランス語の gorgias "fine, elegant" からの借用で,一説によると語幹の gorge が "bosom, throat" であることから "ruff for the neck" 「首を飾るのにふさわしいひだ襟」と関連づけられるのではないかとされている.別の説ではギリシャの修辞家で贅沢品を好んだという Gorgias (c483--376BC) に由来するともされ,真の語源は詳らかでない.OED によるとこの語は15世紀終わりから用いられており「華麗な,豪華な」という語義が基本だったが,賞賛を表わす口語表現としての用法が19世紀後半から現れ出す.ただし,口語表現としての用法が一般化したのは20世紀に入ってからであり,とりわけポピュラーになったのは20世紀も後半から21世紀にかけてのことではないかと疑われる.
そう考える根拠の1つは,20世紀前半の辞書をいろいろと調べたわけではないが,例えば Webster's Revised Unabridged Dictionary (1913 + 1828) で調べる限り,gorgeous のエントリーに口語的な表現に対応する語義が与えられていない.
もう1つの根拠は,BNCWeb で gorgeous の頻度の統計を取ってみた結果である.いくつか興味深い結果が出た.まず明らかなのは,"informal" というレーベルから当然予想されるとおり,この語は書き言葉よりも話し言葉で頻度が顕著に高いことである.100万語中の出現頻度は,書き言葉で4.8回に対して話し言葉で17.39回である.話し言葉に限定して分布を調べたところ,特に会話文で頻度の高いことが分かった.
そして,何よりもおもしろいのは使用者の性別と年齢の分布である.gorgeous は100万語中,男性には8.89回しか用いられていないが,女性には34.64回も使われている.複数の英和辞書,英英辞書を引き比べて「主に女性語・略式」としてレーベルが貼られているのは『ジーニアス英和大辞典』だけだったが,これほど男女差が明らかであれば他の辞書でも「女性語」のレーベルが欲しいところだ.また,使用者の年齢としては24歳以下が圧倒的である.BNC が代表する20世紀後半のイギリス英語の話し言葉に関する限り,gorgeous は若年層の女性にとりわけポピュラーな表現ということが分かる.一般にはあまりこの語を用いない男性も,若年層に限っては使用頻度が比較的高いという結果も出た.全体として,gorgeous の使用はここ1?2世代の間に使用が拡大していると考えられそうである.
より細かく調査する必要はあるが,以上の情報から判断する限り gorgeous の用法がまさに目の前で変化しているということになる.口語的な賞賛の表現は19世紀末から徐々に発達してきたが,ここ数十年で若年層女子の使用によってブレイクし,それが若年層男性にも拡がりつつある.今後は他の年齢層にも及んできてますますポピュラーになるかもしれないし,一時の流行表現としてしぼんでいくかもしれない.
今後,この用法の行方を見守っていきたい.私も機会があったら(性別・年齢不相応気味に) That's gorgeous! と叫んでみることにしよう.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow