hellog〜英語史ブログ

#1902. 綴字の標準化における時間上,空間上の皮肉[standardisation][spelling][orthography][chancery_standard][me_dialect][geolinguistics][gvs][spelling_pronunciation_gap][gh]

2014-07-12

 英語史では,書き言葉の標準化の基礎は,14世紀後半から15世紀にかけてのロンドンで築かれたと考えられている.本ブログでは,「#306. Samuels の中英語後期に発達した書きことば標準の4タイプ」 ([2010-02-27-1]),「#929. 中英語後期,イングランド中部方言が標準語の基盤となった理由」 ([2011-11-12-1]),「#1228. 英語史における標準英語の発展と確立を巡って」 ([2012-09-06-1]),「#1245. 複合的な選択の過程としての書きことば標準英語の発展」 ([2012-09-23-1]) などの記事で取り上げてきた.
 この時代の後,初期近代英語にかけて印刷術が導入され発展したことも,綴字の標準化の流れに間接的な影響を及ぼしたと考えられている.「#297. 印刷術の導入は英語の標準化を推進したか否か」 ([2010-02-18-1]) ,「#871. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由」 ([2011-09-15-1]) ,「#1312. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由 (2)」 ([2012-11-29-1]) でみたように,最近はこの意見に対して異論も出ているが,少なくとも英語史上のタイミングとしては,印刷術の登場の時期と綴字の標準化が緩やかに進んでいた時期とはおよそ重なっている.
 一方,後期中英語から初期近代英語にかけてのこの時期に,話し言葉では著しい音韻変化が数多く起こっていた.大母音推移 (Great Vowel Shift; [2009-11-18-1]) を筆頭に,「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1]) で挙げたような種々の子音の消失が進行していた.話し言葉が著しく変化していたにもかかわらず,書き言葉は標準化の方向を示していたということは,歴史上の皮肉と言わざるをえない.おかげで,近現代英語で綴字と発音の乖離 (spelling_pronunciation_gap) が生じてしまった.
 このような流れを指して,英語の綴字の標準化は,歴史上,皮肉なタイミングで生じてしまったといわれる.しかし,言語変化の早晩や遅速という時間差は,部分的には,北部方言と南部方言という空間差と対応しているとみることもでき,その意味ではここで問題にしていることは,歴史の皮肉であるとともに地理の皮肉でもあるのかもしれないのだ.換言すれば,英語史における綴字の標準化の皮肉は,その基礎が14--15世紀に築かれたという事実だけでなく,主として南部方言に属するロンドンの地で築かれたという事実にも関係している.Horobin (84--85) が指摘しているように,同時代の北部方言に比してずっと保守的だった南部のロンドン方言が,綴字の標準化の基盤に据えられたことの意味は大きい.
 例えば,北部方言では,<gh> などの綴字で表わされていた /ç, x/ はすでに無音となっており,"knight" は <nit>, "doughter" は <datter> などと綴られていた.一方,南部方言ではこの子音はいまだ失われておらず,したがって <gh> の綴字も保存され,近現代の標準的な綴字 <knight>, <doughter> のなかに固定化することになった.この /ç, x/ の消失という音韻変化は後に南部方言へも及んだので,結局,標準的な綴字が <nit> となるか <knight> となるかの差は,時間差であるとともに方言差であるとも考えられることになる.標準化した <wh> の綴字についても同じことがいえる.当時,いくつかの方言ですでに /h/ が失われていたが,保守的なロンドンの発音においては /h/ が保たれていたために,後の標準的な綴字のなかにも <h> として固定化することになってしまった.これらの例を歴史的に評価すれば,発音については進歩的な北部方言的なものが多く標準の基盤となり,綴字については保守的な南部方言的なものが多く標準の基盤となった,といえるだろう.関連して,中英語の言語変化の「北から南へ」の波状伝播について,「#941. 中英語の言語変化はなぜ北から南へ伝播したのか」 ([2011-11-24-1]) および「#1843. conservative radicalism」 ([2014-05-14-1]) を参照されたい.
 なお,語末の /x/ に関して,北部方言では /f/ へと発展し,dough (練り粉)に対応する方言形 duff (ダフ;小麦粉の固いプディング)が後に南部へ借用された例がある(「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1]) も参照).このように発音と綴字との関係が密である例がもっと多かったならば,近現代の標準的な綴字ももっと素直なものになったことだろう.やはり,英語の綴字の標準化には,時間の皮肉だけでなく空間の皮肉も混じっている.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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#297. 印刷術の導入は英語の標準化を推進したか否か[caxton][printing][spelling][standardisation][german]

2010-02-18

 [2009-12-24-1]の記事で,15世紀後半に Caxton が England に印刷術をもたらした経緯について述べた.一般に,この印刷術の導入は,15世紀前半から徐々に進行していた英語の綴字の標準化を推進したとして解釈されている.英語史の古典の一つというべき Baugh and Cable は,印刷術の影響を次のように評価している.

A powerful force thus existed for promoting a standard, uniform language, and the means were now available for spreading that language throughout the territory in which it was understood. (Baugh and Cable 201)


 しかし,Caxton による印刷術の導入がすぐに綴字の標準化に貢献したかどうかは疑わしいという慎重論も出てきている.

The introduction of the press did not at first assist the adoption of the standard, but over time compositors became more familiar with it and helped to ensure its triumph. (Blake 205 as cited in Horobin 79)


. . . while the advent of the printing press was an important factor for the standardisation of written English, this was a gradual process which even by the close of the fifteenth century still remained unfinished. (Horobin 87)


 さらに,印刷術はむしろまだ残っていた綴字の variation を国中に広める役割を果たし,標準化に逆行する流れを生み出した,とする意見すらある.

. . . it is an irony in the history of the development of the standard that the orthography of early printing represented a backward step when compared with the established conventions of chancery English. (Görlach 24 as cited in Horobin 79)


 この三番目の逆説的な意見と関連して,初期近代高地ドイツ語期の書き言葉標準化の状況を思い出した.以下は拙著からの引用.

The inflectional system remained unstable during the following Early New High German period. One of the major factors for the instability was ironically the growing standardisation of written language. To quote R. Keller, "the growth of a written standard language spread regional features to other areas and by making them supra-regional increased variation and thus morphological confusion" (German 410) (Hotta 27)


 英語の場合,上記いずれの意見が正しいかは,Caxton や初期の印刷事業者の spelling の使い方を詳細に分析してみるところから始めなければ明らかにならないだろう.この議論は,一つの文化史上の出来事に対して様々な評価が可能であることを示す例として興味深い.

 ・Horobin, Simon. The Language of the Chaucer Tradition. Cambridge: Brewer, 2003.
 ・Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
 ・Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
 ・Görlach, M. Studies in the History of the English Language. Heidelberg: C. Winter, 1990.
 ・Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Hituzi Linguistics in English 10. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
 ・Keller, R. E. The German Language. London: Faber, 1978.

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#871. 印刷術の発明がすぐには綴字の固定化に結びつかなかった理由[caxton][printing][spelling][standardisation][cawdrey][johnson]

2011-09-15

 [2010-02-18-1]の記事「印刷術の導入は英語の標準化を推進したか否か」で議論の一端を見たが,Caxton が1475年に英語にもたらした活版印刷のテクノロジーは,必ずしもすぐには英語の綴字の固定化につながらなかった.むしろ最初期には,前時代より受け継がれた綴字の多様性が印刷術によって拡散したという側面もなしではなかった.英語綴字のおよその標準化は17世紀半ばのこととされているが,なぜそれほどの長い期間,Caxton から数えて150年以上もの年月を要したのだろうか.
 一つには,印刷術は確かに文明史上の革命だったが,それ以前の写本文化がただちに置換されたわけではなかったということがある.中英語の写本文化は綴字の多様性を前提としており,それを含めた写本文化が,その位置づけは変化したとしても,16世紀以降も継続しており,印刷文化と併存していたことを見逃してはならない.

The two processes of production [prints and manuscripts] were in fact to co-exist for some centuries. Manuscript circulation became more generally confined to certain categories of text, and to particular milieux, while printing established itself as the swiftest and most economically viable method of disseminating texts in large numbers: school books, law books, books associated with the processes of sixteenth-century religious reform, for example. (Boffey 114--15)


 また,印刷術導入後でも植字術が未発達の時代には,行端揃え (justification) を達成するのに,現代では当然とされている空白の幅を調整するという方法ではなく,昔ながらの文字の省略や追加という涙ぐましい便法に訴えていた.thethat の代用としての yeyt は言わずもがなで([2009-05-11-2]の記事「英国のパブから ye が消えていくゆゆしき問題」を参照),only の代用としての伸縮自在な onely, onlie, onlye, onelie, onelye, onelich, onelych, oneliche, onelyche, ondeliche, ondelyche は,近代への革新というよりは中世からの継続の例である (Potter 40) .16世紀は,Richard Mulcaster (1530?--1611) のような綴字改革者が出たものの ([2010-07-12-1]の記事「Richard Mulcaster」を参照),その実際的な影響は最小限にとどまっていた.
 しかし,17世紀に入る頃から,風向きが目に見えて変わってくる.綴字の標準化がいよいよ本格化するのである.大まかにいえば機が熟してきたということだが,背景には具体的な標準化の推進力が作用していた.1つ目は,Cawdrey の辞書 (1604) を皮切りに英語辞書が続々と出版されたことである([2010-12-21-1], [2010-12-27-1]の記事を始めとして cawdrey の各記事を参照).2つ目に,The King James Bible (1611) が敬虔な読者のあいだに普及したことも,綴字の固定化にあずかって大きい.3つ目に,17世紀半ばの大内乱 (the Civil War) も大きく関与している.内乱期には政治宗教パンフレットが濫作されたが,植字工はあまりに時間に追われていたために,行端揃えの目的であったとしても,語を複数とおりに綴るという贅沢を許されなかったのである (Potter 40) .
 そして,「理性の時代」の18世紀には,唯一の正しい綴字が求められ,Johnson の辞書 (1755) をもって英語綴字の固定化という宿望がついに果たされたのだった.

 ・ Boffey, Julia. "From Manuscript to Modern Text." A Companion to Medieval English Literature and Culture: c.1350--c.1500. Ed. Peter Brown. Malden, MA: Blackwell, 2007. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009. 107--22.
 ・ Potter, Simon. Changing English. London: Deutsch, 1969.

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#312. 文法の英米差[ame_bre][grammar]

2010-03-05

 綴字の英米差([2009-12-27-1][2009-12-23-1]),発音の英米差([2009-11-24-1])に続き,今回は文法の英米差について主要なものを10点挙げる.

(1) gotten (AmE) / got (BrE)

 AmE: She's gotten into trouble in school.
 BrE: She's got into trouble in school.

(2) from ... through ... (AmE) / from ... to ... (BrE).AmE で through を使うと8月を含む意味になる.BrE ではこの慣用がないため,to だけでは8月を含むのか否かが不明.BrE で「含める」読みにするには,明示的に inclusive を使うことが多い.

 AmE: The tour lasted from May through August.
 AmE and BrE: The tour lasted from May to August.
 BrE: The tour lasted from May to August inclusive.

(3) 集合名詞の数の一致.AmE では形態が単数である限り単数扱いだが,BrE では形態が単数でも意味が複数であれば後者を重視して複数扱い.team, audience, board, committee, government, the public など.

 AmE: The Government has been considering further tax cuts.
 BrE: The Government have been considering further tax cuts.

(4) insist, recommend, suggest などが従える従属節における仮定法 (AmE) と should (BrE) の使用.ただし,BrE でも AmE の影響で仮定法の使用が普通になってきている.(see [2009-08-17-1])

 AmE: They insist that she accept the offer. (also increasing in BrE)
 BrE: They insist that she should accept the offer. (getting unacceptable in AmE)
 BrE (colloquial): They insist that she accepts the offer. (not accepted in AmE)

(5) AmE で副詞の代用としての形容詞.good, slow, awful, sure など.

 AmE: They pay them pretty good. (non-standard in BrE)
 BrE: They pay them pretty well.

(6) AmE で like の接続詞としての使用.BrE では as if が普通.

 AmE: It seems like we've made another mistake. (non-standard in BrE)
 BrE: It seems as if we've made another mistake.

(7) AmE のいくつかの変種で明示的な二人称複数代名詞 you all, y'all, yous(e) の頻用.

 AmE: I'll see y'all later. (South)
 AmE: How much did yous want? (Northeast, esp. New York City)
 AmE: We'll see you guys Sunday, okay? (informal)

(8) 現在完了と過去.AmE ではしばしば過去形が代用される.

 AmE: Dolly just finished her homework.
 BrE: Dolly has just finished her homework.

(9) AmE で out の前置詞としての使用.BrE では out of を用いる.

 AmE: I always look out the window.
 BrE: I always look out of the window.

(10) AmE で用いられる動詞の過去形の異形.BrE では括弧内の形態しかとらないが,AmE の口語では両方とりうる.

 dove ( dived ), fit ( fitted ), pled ( pleaded ), rung ( rang ), sung ( sang ), sunk ( sank ), snuck ( sneaked ), swum ( swam )

 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 166--69.

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