先日,「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1]) に関して質問が寄せられた.そこで,改めてこの問題について考えてみる.go と went の関係にとどまらず,より広く,言語にはつきものの不規則形がなぜ存在するのかという大きな問題に関する考察である.
なぜ go の過去形が went となったのかという問題と,なぜいまだに went のままであり *goed となる兆しがないのかという問題とは別の問題である.前者についてはおいておくとして,後者について考えてみよう.英語を母語として習得する子供は,習得段階に応じて went -> *goed -> went という経路を通過するという.形態規則に則った *goed の段階を一度は経るにもかかわらず,例外なく最終的には went に落ち着くというのが興味深い.なぜ,理解にも産出にもやさしいはずの *goed を犠牲にして,went を採用するに至るのか.言語の機能主義 (functionalism) という観点で迫るかぎり,この謎は解けない.
went という不規則形(とりわけ不規則性の度合いの強い補充形)が根強く定着している要因として,しばしばこの語彙素の極端な頻度の高さが指摘される.頻度の高い語の屈折形は,形態規則を経ずに,直接その形態へアクセスするほうが合理的であるとされる.be 動詞の屈折形の異常な不規則性なども,これによって説明されるだろう.
「高頻度語の妙な振る舞い」は,確かに1つの説明原理ではあろう.しかし,社会言語学の観点から,別の興味深い説明原理が提起されている.社会言語学の原理の1つに,話者は所属する共同体へ言語的な恭順 (conformity) を示すというものがある.社会言語学の概説書を著わした Hudson (12) は,この conformity について触れた後で,次のように述べている.
Perhaps the show-piece for the triumph of conformity over efficient communication is the area of irregular morphology, where the existence of irregular verbs or nouns in a language like English has no pay-off from the point of view of communication (it makes life easier for neither the speaker nor the hearer, nor even for the language learner). The only explanation for the continued existence of such irregularities must be the need for each of us to be seen to be conforming to the same rules, in detail, as those we take as models. As is well known, children tend to use regular forms (such as goed for went), but later abandon these forms simply in order to conform with older people.
また,Hudson (233--34) は別の箇所でも,人には話し方を相手に合わせようとする意識が働いているとする言語の accommodation theory に言及しながら,次のように述べている.
The ideas behind accommodation theory are important for theory because they contradict a theoretical claim which is widely held among linguists, called 'functionalism'. This is the idea that the structure of language can be explained by the communicative functions that it has to perform --- the conveying of information in the most efficient way possible. Structural gaps like the lack of I aren't and irregular morphology such as went are completely dysfunctional, and should have been eliminated by functional pressures if functionalism was right.
"conformity", "accommodation theory" と異なる術語を用いているが,2つの引用はともに,言語のコード最適化の機能よりも,その社会的な収束的機能に注目して,不規則な形態の存続を説明づけようとしている.この説明は,go の過去形が went である理由に直接に迫るわけではないが,言語の機能という観点から1つの洞察を与えるものではあろう.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
規範文法によれば,副詞・形容詞 far の比較級(および最上級)には標題のとおり2種類があり,用法の区別が説かれる.Usage and Abusage より,その区別をみてみよう.
farther, farthest; further, furthest. 'Thus far and no farther' is a quotation-become-formula; it is invariable. A rough distinction is this: farther, farthest, are applied to distance and nothing else; further, furthest, either to distance or to addition ('a further question').
規範文法ではなく記述文法でいえば,口語や特に BrE では farther, farthest は廃れる傾向にあり,用法の区別も失われてきているという.
用法の区別の前提となっているのが形態の区別だが,そもそもなぜ2つの異なる形態が生じたのだろうか.far の比較級,最上級の形態については,2つの問題がある.1つは,なぜ原級には含まれない th が挿入されているのか,もう1つは,なぜ第1母音(字)の異形として u が現われたのか.
far の古英語の形態は feor(r) だった.さらに語源を遡れば,「#68. first は何の最上級か」 ([2009-07-05-1]) および「#695. 語根 fer」 ([2011-03-23-1]) で見たように,印欧語根 *per にたどりつく.古英語での比較級,最上級はウムラウト (i-mutation) 母音を示す fierr, fi(e)rrest だったが,これは12世紀以後には廃れた.代わって,原級の母音を反映した類推形 ferrer, farrer また ferrest, farrest が勢力を得て,17世紀頃まで用いられた.
さて,古英語には,究極的な語源こそ同じ *per に遡るが,独立して発達してきた forþ "forth" という語があった.この比較級が furþor という形態だった."far" の比較級としての fierr と "forth" の比較級としての furþor は,意味の上では「さらに先(の),さらに遠く(の)」と類似しているので,形態的に混同が生じた.そうして,"far" の系列に非語源的な th が挿入され,"forth" の系列に非語源的な母音 e が侵入した.中英語では ferther などの形態が広く行なわれたが,近代英語の17世紀以後は,母音変化を経て生じた farther の形態が標準化された.これと平行して,混同以前の語形を伝える最も語源的といってよい further も存続した.こうして,farther と further が,ともに far の比較級と解釈されつつ生き残ってきたのである.最上級の形態も,同様に説明される.
近代以後,両者の並立を支えてきたのは規範文法に基づく用法の区別であると推測されるが,用法の区別それ自体にある程度の歴史的な根拠のあることが,上述の語史からわかる.母音に注目すれば,farther は far の比較級であり,further は forth の比較級であるから,前者が物理的距離の意味に,後者が比喩的な順番などの意味に対応するのは理解しやすい.
・ Partridge, Eric. Usage and Abusage. 3rd ed. Rev. Janet Whitcut. London: Penguin Books, 1999.
昨日の記事「現代英語動詞活用の3つの分類法」([2011-05-31-1]) で参照した小林論文は補充法に関する考察だが,speculative ながらその結論がたいへん興味深い.ゲルマン諸語と古典語からの補充法の例を考察したあとで,小林 (47--48) は次のように述べている(原文の圏点は,ここでは太字にしてある).
このやうな現象は,それでは一體如何なる心理的事情に基いて發生したものであらうか.
以上引照した諸例は,それらが最も日常茶版的な,從つて使用されることの最も頻繁な語に屬するといふことを示してゐる.言換へれば,補充法によつて表現される觀念は,我々に最も親しいものばかりである.このとが我々の心理的解釋に對して鍵を與へる.
「人間は肉眼を以て物を見るときは,いつも空間的に手近な物が特に細かく眼に映るものであるが,それと同じく,心眼を以て物を見るときも――言語はその鏡であるが――表象界の事物を,それが話手の感覺と思惟に近ければ近い程一層細かく一層個別的に把握するものである」(オストホフ四二頁).
原始人にあつては,見るということと見たといふことと見るだらうといふこととは,質的に異つた三つの樣相であつたのであつて,それらは實踐的價値を異にしてゐた.見たといふことは,單に見るといふ行爲が過去に行はれたことを囘想するものではなくて,見たことは知得したことである.見たは即ち今知つてゐることを意味するのである.また善いこととより善いこととは,單に善さの量的段階ではなかつた.他人がより善いとは,彼が我に優ることである.それは我の存立を或は脅かし或は助けたであらう.また行動主を示す名格と,他者の行動を被る者を示す所の對格,與格等,いはゆる斜格とは,同一類に屬すべきものではなかつた.なかんづく代名詞の第一人稱に於てこの區別が必須であつた.我がなすときと我をなすときとでは,話手の關心の度合は全然別であつたのである.直系親族に於て異根的表現が用ひられ,傍系親族にあつては同根的表現が用ひられるやうな事例も(參考,vater : mutter. これに對して neffe : nichte )同樣にして説明が付く.或は又,數詞に於て,「三――第三」以上は大體に於て純正資料的に算へられてをりながら,「一――第一」,「二――第二」の二つのみは補充的に算へられる.なぜであるか.第一は物の始めである.一切の先端に位するものである.かくして「最も始め」(最上級)を意味する語形が要求される( first, prôtus, prīmus ).第二は第一に續くものである.或はそれから隔るものである.かくして比較級形が要求される( deúteros, secundus ).
之を要するに,原始人は物を質的に,個別的に,そして實踐的價値に基いて見たのである.之に反して文明人は物を量的に,總括的に,そして論物的價値に基いて見るのを特徴とする.言語の發展は具體的表象の世界から抽象的概念の世界への移行を如實に示してゐる.イェスペルセンは彼らは「これらの觀念に共通なるものを表現する力を缺いてゐた」(「言語」四二六)と見てゐるが,力を缺いてゐたのではなくて,恐らく興味を缺いていたのではあるまいか,サピアなどもさう見てゐるやうである.つまりは遠近法の相違である.
古代人の実相的・質的・単一的な発想という論題は speculative であり,実証はできないものの,文明史的な含蓄をもつ話題としておもしろい.
・ 小林 英夫 「補充法について」 『英語英文学論叢』7巻(廣島文理科大學英語英文學論叢編輯室編),1935年,39--49頁,1935年.
一般に,現代英語の動詞は過去・過去分詞形の形成法により大きく規則変化動詞と不規則変化動詞に分けられる.この区分は,単純に形態音韻論的な1点のみに注目する.過去・過去分詞形の語尾に <-ed> が付加されるか否かという点である.音韻上の現われとしては /-d, -t, -ɪd/ の3種類があり得るが,原形の基体にいずれかがそのまま付加されるか(規則変化動詞),あるいはそれ以外か(不規則変化動詞)という大雑把な区分である.後者はさらに形態音韻論的に細分化されるのが普通だが,ここでは細部には立ち入らない.これを仮に「-<ed> の有無による共時的分類法」と名付け,以下のようにまとめる.
Type | Examples |
---|---|
-ed (規則変化) | called, looked, visited |
non-ed (不規則変化) | bought, came, got, made, sent, set, went |
Type | Examples |
---|---|
弱変化 | bought, called, looked, made, sent, set, visited, went |
強変化 | came, got |
Type | Examples |
---|---|
無変異 | set |
不完全変異 | called, looked, visited; bought, came, got, made; sent |
絎????紊???? | went |
Type | Examples |
---|---|
無変異 | carp, fish, hundred, sheep |
不完全変異 | books, dogs, watches; children, oxen; feet, men; alumni, phenomena |
絎????紊???? | people (for persons) |
英語の品詞転換 ( see [2009-11-03-1] ) には,様々な方向があり得る.動詞→名詞,形容詞→名詞,名詞→動詞,形容詞→動詞,名詞→形容詞の例が比較的多い.形容詞→動詞の例では,「?にする」あるいは「?になる」の意へと転換した calm, dirty, humble; dry, empty, narrow などが挙げられる.広い意味では,ラテン語動詞の過去分詞形 -atus に由来する -ate をもつ多くの借用語動詞も,形容詞→動詞の転換の例と考えることができるだろう ( ex. assassinate, fascinate, separate ) .
先日,授業で英文テキストを読解中に,学生が形容詞の比較級として用いられている lower を動詞として読み違えるという状況が生じた.そこで気づいたのだが,比較級の形態から動詞へ転換するという例は非常に珍しいのではないか.「低くする」という動詞へ転換させるのであれば,比較級ではなく原級のままの low ではいけないのだろうか.実のところ,OED によると動詞のとしての low は現在では廃用だが,1200年頃に現れ,18世紀まで使われていた.一方で,動詞としての lower は「下ろす」の意味で17世紀に初めて現れている.
形容詞の比較級から動詞に転換した他の例を探そうとしたら,better を思いついた.こちらは古英語から使われている.worse も古英語から動詞として使われていたが,19世紀に廃用となっている(動詞派生語尾がついているので転換ではないが,13世紀に初出の worsen も比較されよう).どうも補充法 ( suppletion ) による「不規則比較級」が怪しいぞと目をつけて OED をさらに引いてゆくと,less も現在は廃用だが13?17世紀まで動詞として用いられていたとわかったし,more も14?15世紀に使用例があった.
補充法による比較級は,対応する原級との形態的な結びつきが弱いので,いずれも別個の語として語彙のなかに登録されている,つまり語彙化されていると考えられる.例えば better は good からの派生という形態過程によって生じたものではなく,good と独立した語彙として登録されているからこそ,動詞への転換が起こりうるのではないか.逆にいえば,補充法によらない一般の形容詞の -er をもつ比較級形態は,原級形態と強く結びついているので,転換を起こしにくいということなのではないか.だが,この仮説を採ると lower がその例外となってしまう.
しかし,考えてみると形容詞 lower は単なる low の比較級ではないことに気づいた.lower は「より低い」という( than が後続できる)文字通りの意味の他に「(分類上)下位の」「劣った」という比喩的に発展した意味をもっている.後者の意味での初出は1590年で,その頃から lower は low とは別個の語として語彙化したと考えることができるのではないか.low と lower は形態こそ -er の有無により密接に結びついているが,意味の上では少し「距離が開いた」と考えられる.これは,転換による動詞 lower が17世紀に現れ始めたことと時間的にも符合するように思える.
屈折などのパラダイムにおいて,まったく語源の異なる形態があるスロットに入り込んで定着する現象を補充法 ( suppletion ) ということは,[2009-06-10-1]の記事で触れた.go -- went や good -- better が代表的な例として挙げられるが,現代英語の序数詞の系列にも補充が起こっている.
second の語源について話していたときに,学生が鋭く指摘してくれたことである.序数詞 second は,ラテン語の異態動詞 ( deponent verb ) sequī の過去分詞形 secūtus に由来する借用語である.だが,現代英語の序数詞の系列では second 以外はすべて本来語であり,second だけが浮き立っている.
古英語では,second の意味を表すのに本来語の ōþer ( > PDE other ) を用いていた.その名残は,現代英語の every other day ( = every second day ) という句に見られる.だが,このスロットを後に( OED の初例は1297年)外来語の second が埋めたわけであるから,これは補充法の例ではないかというわけである.
よく考えてみると,そもそも本来語の other 自体が補充形である.そして,これまた本来語の first も然り.「3番目」以上は,すべて基数詞に序数語尾 -th が付加されただけの「規則形」である.確かに,third のように若干の語尾音変化と音位転換[2009-06-27-1]を経たものもあるが,原則として規則的といっていいだろう.
だが,first は one と語源的なつながりはないし,other も two とは無関係である.語尾を見るとわかるが,first は最上級,other は比較級と関係しており,そこからそれぞれ「1番目」「2番目」の意味が生じてきているのであり,対応する基数詞には関係していない.
以上から,序数詞系列について補充法を論じる場合 second のみが借用語であるという点において補充法の例となるのではなく,そもそも first と second ( other ) が接尾辞付加規則とは無縁である点において補充法の例となる,というほうが正しいように思われる.
現代英語には不規則変化動詞が250以上あるといわれるが,そのなかでも特に不規則性が激しい動詞に go がある.go -- went -- gone と活用する.過去分詞の gone はまだ分かるが,過去の went は go との関連がまったくもって見えない.他の不規則動詞は,make -- made -- made にしろ,昨日([2009-06-09-1])取り上げた drive -- drove -- driven にしろ,原形との関連が見える.teach -- taught -- taught ですら,go に比べれば関連がありそうだということは見抜ける.
実際,went は語源的に go とはまったく関係がない.went は本来 wend 「向ける,向かう」という別の動詞の過去形である.「行く」という意味に近いことはわかるが,だからといって go の過去形のスロットによそから went が入ってきたというのはどういうことだろうか.
動詞の活用における「現在,過去,過去分詞」のように一定のパラダイムがあるとき,そのいずれかのスロットに,まったく語源の異なる形態が入り込むことがある.これを補充法 ( suppletion ) と呼ぶ.go の過去形としての went は現代英語に見られる補充法の一例である.
補充法の他の例としては,形容詞の比較変化がある:good -- better -- best,bad -- worse -- worst.また,規則的な形容詞と副詞のペアは quick -- quickly のように副詞のほうに -ly をつけるのが通常だが([2009-06-07-1]),good -- well のように別語幹を用いる例もある.この場合も,well は補充された副詞と考えられる.
現代英語において最もきわだった補充法の例は,be 動詞である.I am,you are,she is など,すべて異なる語幹をとっている.
なぜ went が補充されたかという特定の問題に答えを与えることは難しい.ただ言えることは,補充法は高頻度語のパラダイムに起こることが多いということである.「高頻度語は妙なことをする」一例といえよう.
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