ランダムに選んだ言語Aと言語Bの単語リストを見比べて,意味も形態も十分に似通った語があったとする.このような場合には,4つの可能性のいずれか,あるいは複数の組み合わせが想定される.Fortson (1--3) を参考に説明しよう.
(1) 偶然の一致 (chance) .言語記号は恣意的 (arbitrary) であり,犬のことを「イヌ」と呼ぶ必然性もなければ,dog と呼ぶ必然性もない.したがって,2つの異なる言語で同じ(あるいは類似した)意味をもつ語が同じ(あるいは類似した)形態をもつ可能性は低いと考えられるが,ゼロではない.無数の単語の羅列を見比べれば,たまたま意味と形態が一致するような項目も2,3は見つかるだろう.よくあることではないが,偶然の一致という可能性を排除しきることはできない.
(2) 借用 (borrowing) .言語Aが言語Bからその語を借用した,あるいはその逆の場合,当然ながら,借用されたその語の意味と形態は両言語で共有されることになる.日本語「コンピュータ」は英語 computer からの借用であり,意味と形態が(完全に同じではないとしても)似ていることはいうまでもない.
(3) 言語普遍性 (language universals) .言語の恣意性の反例としてしばしば出される onomatopoeia や phonaesthesia を含む sound_symbolism の例.ある種の鳥は英語で cuckoo,フランス語で coucou,ドイツ語で Kuckuck,非印欧語である日本語で「カッコウ」である.非常に多くの言語で,母親を表わす語に ma, ba, da, ta が現われるのも,偶然の一致とは考えられず,何らかの言語普遍性が関与しているとされる.
(4) 同系 (genetic relation) .(2), (3) の可能性が排除され,かつ言語間で多くの単語が共有されている場合,(1) の偶然の一致である可能性も限りなく低い.この場合に可能な唯一の説明は,それらの言語がかつては1つであったと仮定すること,言い換えれば互いに同系統であると仮定することである.
比較言語学の再建 (reconstruction) の厳密な手続きによる同系証明は,理論上,(1), (2), (3) の可能性の否定の上に成り立っているということに注意したい.(1) と (3) には言語の恣意性 (arbitrariness) の問題がかかわっており,(2) と (4) の区別には,系統と影響の問題 (##369,371) がかかわっている.言語の同系証明とは,言語の本質に迫った上での真剣勝負なのである.
・ Fortson IV, Benjamin W. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 2004.
ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) が言語の恣意性 (arbitrariness) を公準として唱えて以来,恣意性を巡る無数の論争が繰り返されてきた.例えば,恣意性の原理に反するものとして,オノマトペ (onomatopoeia) や音象徴 (sound_symbolism) がしばしば挙げられてきた.しかし,ギローは,これらの論争は不毛であり,規約性と有縁性という2つの異なる性質を区別すれば解決する問題だと主張した.
ギロー (24--27) によれば,記号の本質として規約性があることは疑い得ない.記号の signifiant と signifié は,常に社会的な規約によって結びつけられている.規約による結合というと,「でたらめ」や「ランダム」のような恣意性を思い浮かべるかもしれないが,必ずしも有縁性を排除するわけではない.むしろ,「どんな語もみな語源的には有縁的である」 (25) .有縁的というときには,自然的有縁性と言語的有縁性を区別しておく必要がある.前者は自然界にきこえる音を言語音に写し取る onomatopoeia の類であり,後者は派生や複合などの形態的手段によって得られる相互関係(例えば,possible と impossible の関係)である.まれな語根創成 (root_creation) の例を除いて,すべての語はいずれかの種類の有縁性によって生み出されるという事実は注目に値する.
重要なのは,有縁性は限定的でもなければ被限定的でもなく,常に自由であるという点だ.限定的でないというのは,いったん定まった signifiant と signifié の対応は不変ではなく,自由に関係を解いてよいということである.被限定的でないというのは,比喩,派生,複合,イディオム化など,どんな方法を用いても,命名したり意味づけしたりできるということである.
したがって,ほぼすべての語は様々な手段により有縁的に生み出され,そこで signifiant と signifié の対応が確定するが,確定した後には再び対応を変化させる自由を回復する.換言すれば,当初の有縁的な関係は時間とともに薄まり,忘れられ,ついには無縁的となるが,その無縁化した記号が出発点となって再び有縁化の道を歩み出す.有縁化とは意識的で非連続の個人の創作であり,無縁化とは無意識的で連続的な集団の伝播である (45) .有縁化と無縁化のあいだの永遠のサイクルは,意味論の本質にかかわる問題である.語の意味変化を有縁性という観点から図示すれば,以下のようになろう.
ギローにとって,ソシュールのいう恣意性とは,いつでも自由に有縁化・無縁化することができ,なおかつ常に規約的であるという記号の性質を指すものなのである.
「#1056. 言語変化は人間による積極的な採用である」 ([2012-03-18-1]) や「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]) の記事でみた柳田国男の言語変化論は,上のサイクルの有縁化の部分にとりわけ注目した論ということになるだろう.
・ ピエール・ギロー 著,佐藤 信夫 訳 『意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,1990年.
ソシュール言語学の正統の後継者とも言われるコペンハーゲン学派の領袖 Louis Hjelmslev (1899--1965) の打ち立てた glossematics は,言語学史において独特な地位を占める.glossematics は言理学あるいは言語素論と訳さるが,これがソシュール言語学を受け継いでいるといわれるのは,1つには,ソシュールの唱えた表現 (expression) と内容 (content) との面 (plane) の対立と,形相(あるいは形式) (form) と実質 (substance) との記号 (sign) の対立をとりわけ重視し,形相どうしの関係を定式化しようと追究したからである.記号論理学の方法を大いに取り入れており,見た目は論理学や数学そのもの,狙いは記号論といったほうが適切である.きわめて抽象的な記述に満ちており,具体的な個別言語への応用は Hjelmslev 自身もついに行なわなかった.
加賀野井 (85) にある Hjelmslev の理論図式を再現しよう.
左側はよく知られたソシュールの記号 (sign) の図である.Hjelmslev の理論では,signifié は「内容の形相」に相当し,signifiant は「表現の形相」に相当する.いずれも現実そのものではなく,話者の心的表象である.次に,上下両側にある原意 (meaning or purport) とは言語外の現実のことであり,無定形な実質の連続体である.これに言語の形相が恣意的に投影されて,個別化された実質が成立する.内容側(上側)の実質とは思考内容であり,表現側(下側)の実質とは音声である.Hjelmslev にとって,表現と内容は正確に対称的とされた.
Hjelmslev は面と記号の2種類の対立の組み合わせに応じて,言語学に次のような分野を想定した.
Hjelmslev が目指したのは形相の言語学だったので,彼の用語でいうところの cenematics と plerematics を重視したことになる.ソシュール も形相を重視したが,あくまで単語レベルの形相にとどまっていたために,統語論の考察は浅かった.しかし,Hjelmslev は文やテキストという大きな単位にも語と同じくらいに注意を払い,それら大きな単位の意味をも考慮した.どのレベルにおいても,表現の形相 (signifiant) と内容の形相 (signifié) とを記号として不可分に扱った点でも,ソシュールの考え方に忠実だったといえる.内要素の提案や homonymy と polysemy の区別の方法など,構造的意味論の発展に大いに貢献した功績も評価すべきだろう.
言理学は,きわめて難解で,独特な術語も多く,言語学史において主流をなすことはなかったが,その野心的なプログラムは言語を考察する上で数々の示唆を与えてきた.機械翻訳の分野で価値が見いだされているという事実も,言理学の特徴を浮き彫りにしている.
言理学についての読みやすい解説として,町田 (107--40) やイヴィッチ (127--34) を挙げておこう.
・ 加賀野井 秀一 『20世紀言語学入門』 講談社〈講談社現代新書〉,1995年.
・ 町田 健 『ソシュールと言語学』 講談社〈講談社現代新書〉,2004年.
・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.
目下 Martinet の Éléments de linguistique générale (邦題『一般言語学要理』)を少しずつ読み,一般言語学の諸概念について勉強し直している([2011-05-14-1], [2011-05-15-1], [2011-06-02-1], [2011-06-03-1]の各記事で Martinet の言葉を引用してきた).ようやくイントロ部のピークにさしかかったところだが,Martinet にとっての「言語 (langue) とは何か」 (43--44) を紹介しないわけにはいかない.拙訳つきで引用する.
1-14. Qu'est-ce qu'une langue?
Nous pouvons maintenant tenter de formuler ce que nous entendons par «langue». Une langue est un instrument de communication selon lequel l'expérience humaine s'analyse, différemment dans chaque communauté, en unités douées d'un contenu sémantique et d'une expression phonique, les monèmes : cette expression phonique s'articule à son tour en unités distinctives et successives, les phonèmes, en nombre déterminé dans chaque langue, dont la nature et les rapports mutuels diffèrent eux aussi d'une langue à une autre. Ceci implique 1o que nous réservons le terme de langue pour désigner un instrument de communication doublement articulé et de manifestation vocale, 2o que, hors cette base commune, comme le marquent les termes «différemment» et «diffèrent» dans la formulation ci-dessus, rien n'est proprement linguistique qui ne puisse différer d'une langue à une autre : c'est dans ce sens qu'il faut comprendre l'affirmation que les faits de langue sont «arbitraires» ou «conventionnels».
1-14. 言語 (langue) とは何か
我々はいま,「言語」で理解しているところのものを定義づけようと試みることができる.言語とは,人間の経験が,各共同体において異なるやり方で,意味内容と音声表現の付与された単位 (monème) へと分析される方法を表わすコミュニケーション手段である.この音声表現は,今度は弁別的で連続的な単位 (phonème) へと分節され,その数は各言語で決まっており,その性質と相互関係はそれ自身が言語ごとに異なっている.このことは二つのことを含意する.(1) 「言語」という用語は,二重に分節された,音声によって表現されるコミュニケーション手段を指すためにとっておくということ.(2) この共通基盤の枠外では,「異なるやり方で」や「異なっている」という語が示している通り,言語ごとに異なり得ない如何なるものも厳密には言語的ではない.言語の事実が「恣意的」あるいは「慣習的」であるという主張は,この意味において理解すべきである.
これほど明確に言語を相対化する視点はないだろう.人間は,母語や学んだことのある言語に自然と適応し,肩入れするものである.しかし,世界に約7000個あるとされる言語のそれぞれが恣意的で慣習的に定められた体系を体現しており,また限られた共同体で使用されているにすぎないことを知るとき,自らの知っている言語の存在の小ささに気付く.一方で,各言語は,慣習的な道具にすぎないといえども,信じられないほどに複雑な体系を表わしている.言語の不思議さを感じざるを得ない.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
言語のなかで最も変化しやすい部門は何か.新語や廃語に見られるように言語の語彙項目は短期間で入れ替わるものであり,語彙はおそらく最も変化の激しい部門だろう.音声も同様に変化しやすいことが,英語史を見れば分かる.だが,語彙や音声に負けず劣らず変化の激しい部門として,語の意味がある.
語の意味が変わりやすいのは,語の形態と内容の間に論理的な関係がないことによる.記号表現 ( signifiant ) と記号内容 ( signifié ) の関係は本質的に恣意的 ( arbitrary ) であり,我々が自然と思っているある語とその意味との結びつきは慣習的なものにすぎない.恣意的とか慣習的とかいうことは一時的であることにも通じ,語とその意味の関係は軽微な契機で変化しうるということにもなる.語の意味は本来的に変化することが前提とされているようにも思える.
意味変化には典型的なパターンがいくつかある.そのなかでも特によく取り上げられるのは,互いに関連する4つのパターンである.Brinton and Arnovick (77--80) を参考に例とともに列挙してみよう.
(1) 一般化 ( generalization ): 特殊性を示す限定的な要素が抜け落ちる変化
・ box: from "a small container made of boxwood" to "a small container"
・ butcher: from "one who slaughters goats" to "one who cuts and sells meat in a shop"
・ carry: from "to transport something in a vehicle" to "to move something while holding and supporting it"
・ crisis: from "a turning point of a disease" to "a difficult or dangerous situation that needs serious attention"
・ holiday: from "a holy day" to "a non-work day"
・ sanctuary: from "a holy place" to "a safe place"
・ scent: from "animal odour used for tracking" to "a pleasant smell"
(2) 特殊化 ( specialization ): 集合内の特殊な一員を示す変化や限定的な意味に特化する変化
・ acorn: from "wild fruit" to "the nut of the oak tree"
・ adder: from "a snake" to "a type of poisonous snake"
・ hound: from "a dog" to "a type of hunting dog"
・ lust: from "desire" to "sexual desire"
・ meat: from "food" to "meat"
・ sermon: from "a speech, discourse" to "a talk given as part of a Christian church service"
・ stool: from "a seat for one person" to "a backless seat"
(3) 悪化 ( pejoration ): マイナス評価を帯びるようになる変化.特殊化を兼ねることが多い.
・ admonish: from "to advise" to "To warn or notify of a fault"
・ corpse: from "a body" to "a dead body"
・ cunning: from "knowledgeable" to "clever and good at deceiving people"
・ hussy: from "a housewife" to "a woman who is sexually immoral"
・ judgmental: from "inclined to make judgments" to "inclined to make uncharitable or negative judgments, overly critical"
・ poison: from "potion, drink" to "a substance that can cause death or serious illness"
・ villain: from "a low-born or common person" to "a vile, wicked person"
(4) 良化 ( amelioration ): プラス評価を帯びるようになる変化.特殊化を兼ねることが多い.
・ boy: from "a rascal, servant" to "a male child"
・ knight: from "a boy, a servant" to "a man who is given a special honor and the title of Sir by the king or queen of England"
・ nice: from "silly, simple" to "kind, polite, and friendly"
・ queen: from "a woman of good birth" to "the female ruler of a country"
・ shrewd: from "wicked" to "mentally sharp or clever"
・ steward: from "an overseer of the pig sty" to "someone who protects or is responsible for money, property, etc."
・ success: from "an outcome, a result" to "a correct or desired result"
・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.
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