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hellog〜英語史ブログ / 2022-02-01

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2022-02-01 Tue

#4663. 「翻訳の不確定性」と「根源的翻訳」 [terminology][philosophy_of_language][translation][semantics]

 「#4657. 翻訳の不確定性」 ([2022-01-26-1]) の補足として,関連の深い根源的翻訳について導入したいと思います.皆さんも一度は考えたことのある思考実験ではないでしょうか.無人島で,まったく異なる言語を母語とする人と2人きりでコミュニケーションを取ることになったら,どんなコミュニケーションになるのか,というあの問題です.言語哲学の分野では,2人の間で交わされる言語行為は根源的翻訳と呼ばれています.
 服部は「翻訳の不確定性」説の基盤にある「根源的翻訳」の思考実験について,次のように論じています (95--97) .

 クワインは,『ことばと対象』という本の中では,別の論拠によって翻訳の不確定性を主張している.それは,言語学者が自分の話す言語とはまったく異質の未知の言語を話す人々の住む社会に初めて遭遇したときに,彼/彼女がその言語をどのように翻訳するか---このような状況での翻訳は根源的翻訳と呼ばれる---という思考実験に基づいたものである.根源的翻訳は現実にはまず存在しない.というのも,現在ではもはやこの地球上のほとんどの地域が調査され,(たとえわずかであっても,また貧弱であっても)そこに住む人々の言語を通訳する人や辞書が存在したりするからである.しかしながら,現実には存在しなくとも,そのような仮想的な状況での翻訳作業がどのように行なわれるかということを考察することは,翻訳とはそもそもいかなるものなのか,ということを考える場合には有用である.
 以下,クワインの思考実験を辿ってみよう.ある日本人の言語学者が未知の言語を話す未知の社会に足を踏み入れたとする.そこで彼/彼女は現地の人と出くわす.折しも,その人の前を一羽のウサギが横切った.すると,それを見たその人は「ガヴァガイ!」と叫んだ.このとき,その言語の学者は,その人は「ウサギだ!」あるいは「ウサギが横切った!」と言ったのだろうと推測し,自分のノートに「カヴァガイ---ウサギ」というメモを残すだろう.これが私たちの通常の翻訳作業ではなかろうか.しかし,そうであるならば,「ウサギ」という表現は「ガヴァガイ」という表現の唯一正しい翻訳とは言えないかもしれない.なぜなら,ウサギを横切るのを見たとき,私たち日本人は「ウサギだ!」あるいは「ウサギが横切った!」と言いたくなるかもしれないが,現地の人もまたそうだとは断言できないからである.彼/彼女らは,たとえば,そのような場合,「ウサギ場面!」とか「ウサギの分離されていない部分!」と言っているのかもしれない.
 この事態は情報が不十分ということから起こっているわけではない.たとえば,どれが「ガヴァガイ!」の正しい翻訳であるかを決めるためにさらに観察を重ねたとしても,何ら事態は改善されないのである.というのは,新たにウサギを横切るのを見,そのとき現地の人が「ガヴァガイ!」と叫ぶのを見るとき,それは,一方の翻訳を支持する人---Aさん---にとっては「ウサギだ!」と訳すべきだということの証拠とされるが,他方の翻訳を支持する人---Bさん---にとっては「ウサギ場面だ!」と訳すべきだということの証拠とされるからである.
 「一羽の」の訳すべき現地語---それを「M」としよう---と「ガヴァガイ」が組み合わされて使用されるのを観察すれば,「ガヴァガイ」が(「ウサギ場面」ではなく)「ウサギ」と訳されるべきことであることがわかる,と言われるかもしれない.しかし,そのためめには「M」が「一羽の」と訳されるとういことが確定していなければならない.ところが,その M の翻訳においても,「ガヴァガイ」と同じように,複数の翻訳がありうる.つまり,「M ガヴァガイ」は A さんにとっては「一羽のウサギ」と訳されるべきかもしれないが,B さんにとっては「ウサギ場面」という表現を含むかなり複雑な表現に翻訳されるべきかもしれないのであり,このいずれが正しいのかを何らかの観察によって決めることはできないのである.
 以上の点は次のようにまとめることができる.すなわち,

「ある言語を別の言語に翻訳するための手引きには,種々の異なるものがありえ,しかも,いずれの手引きも言語性向全体とは両立するものの,それらの手引きどうしは互いに両立しえないということがありうる」.


 同床異夢と言いましょうか,よくおじいちゃんとおばあちゃんの会話などで,はたから聞いていると明らかにかみ合っていないのに,本人たちは互いにコミュニケーションが取れていると思い込んでいるように見えるケースがありますが,あれに近いのでしょうかね.
 「ガヴァガイ」問題については,心理言語学の観点から「#920. The Gavagai problem」 ([2011-11-03-1]) でも論じていますので,そちらも補足としてご覧ください.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

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最終更新時間: 2024-12-16 08:44

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