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hellog〜英語史ブログ / 2025-06-20

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2025-06-20 Fri

#5898. 英語史研究において「コーパスを用いる」ことの難しさ [corpus][historical_linguistics][speech][writing][methodology][register]

 標題は,定期的に戻って考えておく必要のある問題である.先日も大学院の授業にて関連する議論が展開したので,ここで改めて検討しておきたい.
 近年,英語史研究においてコーパスを用いることは,当たり前の手法となっている.現代英語ほどではないが,過去の英語においてもそれなりの規模のテキストデータにアクセスできるようになったことで,過去の言語現象を客観的かつ定量的に分析することが可能となり,多くの画期的な知見がもたらされている.
 しかし,コーパスに基づく英語史研究の隆盛は,ある違和感を生み出してもいる.それは,データがあるものしか語られないし,語れない,という問題だ.歴史コーパスは,現存する書かれたテキストから構成される.これは,古英語から中英語を経て初期近代英語期までの言語資料は,書き言葉でしか残されていないという絶対的な制約がある以上,致し方のないことではある.歴史英語の大半は,原則として話し言葉ではなく書き言葉の情報しか与えてくれないのだ.
 しかし,この制約は,古い英語に専門的に接していればいるほど,忘れられやすいものでもある.歴史コーパスには,あたかも当時の英語全体が,すなわち書き言葉の背後にあると仮定される話し言葉をも含めた英語資料が収められているかのような錯覚に陥りやすいのだ.実際には,コーパスのなかには,話し言葉は,少なくとも直接的には収められていないにもかかわらずだ.同様に,書き言葉に付されにくいジャンルの言語使用や,社会的に周縁化された人々の言語資料も,コーパスに含まれてないことが多い.コーパスを用いても,書かれなかったレジスターの英語の歴史にはアクセスできないのだ.コーパスを常用する英語史研究者は,書かれなかったものの歴史を語ることの難しさ,そしてその重要性を意識しておく必要がある.
 このように議論するのは,コーパスの限界をネガティヴに指摘して終わるためではない.むしろコーパスを補完する他の視点をもつことの重要性を強調するためである. 言語学的素養,文献学的知識,社会的背景の理解などを組み合わせることで,コーパスデータだけでは見えてこない言語の歴史に光を当てようとすることが肝要である.
 関連して,以下の記事も参照.

 ・ 「#307. コーパス利用の注意点」 ([2010-02-28-1])
 ・ 「#367. コーパス利用の注意点 (2)」 ([2010-04-29-1])
 ・ 「#428. The Brown family of corpora の利用上の注意」 ([2010-06-29-1])
 ・ 「#1280. コーパスの代表性」 ([2012-10-28-1])
 ・ 「#2584. 歴史英語コーパスの代表性」 ([2016-05-24-1])
 ・ 「#2779. コーパスは英語史研究に使えるけれども」 ([2016-12-05-1])
 ・ 「#3967. コーパス利用の注意点 (3)」 ([2020-03-07-1])
 ・ 「#4915. 英語史のデジタル資料 --- 大学院のデジタル・ヒューマニティーズ入門講義より」 ([2022-10-11-1])
 ・ 「#4916. デジタル資料を用いた研究の功罪について議論しました」 ([2022-10-12-1])
 ・ 「#5280. 本年度も大学院生とデジタル資料を用いた研究の功罪について議論しました」 ([2023-10-11-1])

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最終更新時間: 2025-06-20 18:01

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