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tabihel202608 - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2026-10-15 05:01

2026-10-07 Wed

■ #6372. 道路標識における Peterborough の省略綴字 [spelling][apostrophe][pcchron][tabihel][borough][onomastics][toponymy][shortening][orthography][gh][heltabi_202608][tabihel202608][tabihel_england]

 昨日の記事「#6371. 少なく見積もって80通りの綴字 --- borough」 ([2026-10-06-1]) の記事と関連して,8月にイギリスの Peterborough をドライブで訪れたときのエピソードを1つ.
 ロンドンからスコットランドを目指して北上する途中,英語史上の貴重な資料 The Peterborough Chronicle と結びつけられるイングランド中東部の町 Peterborough に立ち寄った.近づくにつれてハイウェイの道路標識にその町の名前が現われる頻度が増すのだが,地名としては長めの綴字なためか,運転しながらいくつかのヴァリエーションがあることに気付いた.
 標準的綴字が定まっている現代における「道路標識の異綴字」の事例を発見し,興奮した.表記スペースに余裕がある場合には正式に Peterborough と綴られていたが,そうでない場合には略式の P'borough や Peterboro' が確認できた.運転していたので,あまり写真は撮れなかったのだが,最後の例について1枚撮ることができた.


Peterboro' on the road sign



 2つの省略形は,省略のための戦略が異なる.前者 P'borough は,複合語地名の前半要素 Peter- のイニシャル取りという形態論的な方策に訴えかけている.4文字減らしてアポストロフィを加え,計3.5文字ほどを浮かせていることになる.一方,後者 Peterboro' は,後半要素 -borough の,表音機能としての価値が低いと目される末尾の綴字をそぎ落とすという音韻論的な方策といってよい.3文字減らしてアポストロフィを加え,計2.5文字ほどを浮かせていることになる.
 省略効率としては前者が1文字分勝っているが,先に地名を知っていないかぎり P' から Peter- を復元できないという難点がある.一方,後者は,1文字分負けているが,フルの発音を復元できるという利点がある.などと考えているうちに,Peterborough の町に到着したのだった.
 イギリス地名 Marlborough に対してアメリカ地名(そしてタバコの商標) Marlboro という点も思い起こされる.

Referrer (Inside): [2026-10-10-1]

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2026-09-03 Thu

■ #6338. 英語史上の Horatio Nelson --- ロンドンと今はなきダブリンの「ネルソンの柱」に思いを馳せて [dublin][ireland][london][nelson][tabihel][history][tabihel202608][tabihel_dublin][tabihel_london]


Nelson's Column, Trafalgar Square, London



 昨日の「#6337. 英語史上の Arthur Wellesley Wellington --- ダブリンの Wellington の生家と記念塔を眺めて」 ([2026-09-02-1]) に続き,本日もナポレオン戦争がらみの話題を1つ.イギリス軍のもう1人の英雄,ネルソン提督こと Horatio Nelson (1758--1805) を取り上げたい.Wellington が陸戦で勝利をイギリスにもたらした軍人として英語史上に象徴的に位置づけられるのだとすれば,海戦でいち早くイギリス軍に勢いをつけた Nelson もまた,同じように位置づけることができるだろう.
 1805年のトラファルガーの戦 (Battle of Trafalgar) において Nelson はフランス・スペイン連合艦隊を打ち破り,自らは銃弾に倒れつつも,その後のイギリス海軍の優位を決定づけた.イギリスがヨーロッパの制海権を握ることになり,ナポレオンのイギリス侵攻の野望は打ち砕かれることになった.
 先日,ロンドンのトラファルガー・スクエアに立つ「ネルソンの柱」 (Nelson's Column) を訪れた(上掲の写真).そして今,滞在中のダブリンの目抜き通り O'Connell Street には,高さ120メートルのランドマーク Spire がそびえ立っているのだが,実はこの塔には前身があった.かつて,そこにはもう1つの「ネルソンの柱」 (Nelson's Pillar) が建っていたのである.
 ダブリンの「ネルソンの柱」は,1800年の連合法によってイギリスとアイルランドが合一した後の1809年,Nelson によるかの戦役の勝利を記念して建てられたものだった.ロンドンの「ネルソンの柱」(こちらは1840--43年に建設)よりも早く,ダブリンにこうした記念塔が建てられていたことになる.しかし,この柱は1966年,テロリストによって爆破され,姿を消してしまった.そこには,アイルランドの英雄ではなくイギリスの英雄を顕彰する柱だった,という影の事情が横たわっている.
 ダブリンの柱が破壊された跡地には,長らく空白が残されていたが,2003年,特定の人物や国家を象徴しない,抽象的なステンレス製の尖塔,上述の Spire が新たに建てられた(下掲の写真).イギリスの英雄の記念柱から,誰のものでもない現代的なモニュメントへ.この置き換えそのものが,アイルランドとイギリスのあいだの複雑な歴史を雄弁に物語っているように思われる.


The Spire of Dublin on O'Connell Street, standing on the former site of Nelson's Pillar



 ロンドンでは今なお健在の「ネルソンの柱」と,ダブリンでは姿を消し,別のモニュメントに置き換えられた「ネルソンの柱」.同じ人物,同じ勝利を記念しながら,2つの都市でまったく異なる運命をたどったことになる.

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