
ダブリンにゆかりのある文人を取り上げる「旅hel」 (tabihel) のダブリン編のシリーズ.今回訪ねたのは,劇作家 Richard Brinsley Sheridan (1751--1816) の生家とされる建物である.The School for Scandal (1777) の作者として名高い Richard Sheridan だが,英語史上重要なのは,むしろその父,Thomas Sheridan (1719--88) のほうである.この父は,俳優,劇場経営者,そして発音辞書の著者として知られる.今回は,息子ではなく父の Thomas に焦点を当てたい.(上記の建物には,もちろん Thomas も住んでいた.)
Thomas Sheridan は1719年,ダブリンに生まれた.トリニティカレッジの学生時代に戯曲 The Brave Irishman, or Captain O'Blunder を書き,1743年に Smock Alley Theatre (下掲の写真)で Richard III 役を演じて好評を博すと,俳優としての道を歩み始めた.1744年にはロンドンの Covent Garden にも進出し,Hamlet をはじめとする主要な役を演じている.1747年には,この Smock Alley Theatre の経営者となっている.

俳優・劇場経営者としての顔をもつ Thomas Sheridan だが,同時に,正しい発音・話し方の指導者としての顔ももっていた.ここが英語史上重要な点である.British Education (1756) や A Course of Lectures on Elocution (1762) を著し,理想的な発音・雄弁術を説いている.後者では,/h/ の脱落 (h-dropping) を "defect" と呼んで非難した最初期の論者としても知られる(「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1]) を参照).舞台の上で明瞭な発音を追求してきた俳優ならではの視点が,後の規範主義的な発音論へとつながっていったと考えられる.
こうした関心の集大成となったのが,1780年刊行の A General Dictionary of the English Language である.表題には "One main object of which, is, to establish a plain and permanent standard of pronunciation" と明記されており,発音の標準化・規範化を正面から掲げた辞書としては先駆的な試みだった.収録語数は約38,000語.実は,この発音辞書編纂という構想そのものが早くから政界の有力者の目に留まっており,John Stuart, Lord Bute (1762--63年の英国首相)はこの構想に感銘を受け,Sheridan に年額200ポンドの年金を与えている.政治的な後ろ盾を得て実を結んだのが,この1780年の辞書だったのである.
もっとも,Sheridan の辞書は,後発のライバルに追い抜かれる運命にあった.11年後の1791年,John Walker (1732--1807) が A Critical Pronouncing Dictionary を出版すると,こちらが「正しい発音」の定番として広く普及し,"Elocution Walker" の異名を取るまでになった.収録語数こそ Sheridan の辞書に及ばない36,600語だが,発音記述の緻密さでは Sheridan を大きく凌駕していた(「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) を参照).Sheridan の辞書は,後の容認発音 (RP) の基盤を築くことになる Walker の辞書の露払いという位置づけに甘んじることになったのである.
もう1つ触れておきたいのが,Swift との縁について.Thomas Sheridan 自身の父,同名の Thomas Sheridan は Jonathan Swift の無二の親友だった.「#6351. 英語史でも著名な Jonathan Swift --- St Patrick's Cathedral のお墓を訪ねて」 ([2026-09-16-1]) で紹介した Swift その人と Sheridan 一族は,文人の系譜として連なっていたのだ.
綴字や文法の標準化に比べ,発音の規範化はずっと遅れて18世紀後半にようやく着手された(「#3356. 標準発音の整備は18世紀後半から」 ([2018-07-05-1]) を参照).Samuel Johnson が綴字を,Robert Lowth が文法を整備した18世紀,残された発音という最後の砦に挑んだのが,俳優出身の Thomas Sheridan だったわけである.舞台で明瞭な発音を追求し続けてきた実践家だからこその業績として,英語史上に銘記されるべき存在だ.
「#2772. 標準化と規範化の試みは,語彙→文法→発音の順序で (1)」 ([2016-11-28-1]),「#2773. 標準化と規範化の試みは,語彙→文法→発音の順序で (2)」 ([2016-11-29-1]) で触れたように,英語史における標準化・規範化の流れのなかで発音がターゲットにされたのは最も遅い時期だった.18世紀後半に発音辞書が出版され始めたのがその走りだったが,より本格的な発音の "codification" が試みられたのはさらに1世紀後,IPA(International Phonetic Alphabet; 国際音標文字)が生み出された19世紀後半のことだった.そして,その流れは20世紀,さらに21世紀へと続いている.Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade (307--08) の解説を引用しよう.
It is only relatively recently that the norms of standard British (or rather English) English pronunciation were first systematically codified. Attempts were made to that effect in pronunciation dictionaries in the late eighteenth century by Walker (1791) and, in particular, Sheridan (1780). However, a more detailed codification did not become possible until the International Phonetic Alphabet (IPA) came into existence and began to be used by Henry Sweet, Daniel Jones and their fellow phoneticians in the late nineteenth and early twentieth centuries. Jones' works ran into a large number of editions, An Outline of English Phonetics, first published in its entirely in 1918, into as many as nine. His English Pronouncing Dictionary came out in 1917 and underwent a series of revisions first by Jones himself, and later by A. C. Gimson and Susan Ramsaran (14th edition, 1977). Its sixteenth edition, prepared by Peter Roach and James Hartman, came out in 2003. The most comprehensive recent work in the field is John Wells' Longman Pronunciation Dictionary (1990), which shows both RP and General American pronunciations.
引用では,発音の規範化の走りとなった18世紀後半でとりわけ影響力をもったものとして Walker が触れられているが,それについては「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) を参照.Walker の現代の末裔として Longman Pronunciation Dictionary の名前が挙げられているが,この発音辞書は本ブログでも発音を話題にするときに何度となくお世話になってきた.
発音の標準化・規範化とはいっても,書き言葉と結びつけられやすい綴字や文法と異なり,発音は話し言葉の領域に属するものなので,完璧な標準化・規範化は望んだとしても簡単に得られるものではない.あくまで目指すべき抽象的なターゲットである.
・ Nevalainen, Terttu and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. "Standardisation." Chapter 5 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 271--311.
後期近代英語期,主として18世紀に英語の規範を作った個人名を挙げよと言われたら,辞書(綴字)は Samuel Johnson (1709--84),文法は Robert Lowth (1710-87),では発音は誰か.
答えは,John Walker (1732--1807) である.彼の著わした A Critical Pronouncing Dictionary (1791) は,正しい権威ある発音を求めた18世紀のイギリス庶民たちに確かな道しるべを与えた.初版以降,100版以上を重ねて人気を博し,英米では "Elocution Walker" と呼ばれるまでに至った.18世紀末に Walker が定着させ方向づけた正音主義路線は,19世紀末から20世紀にかけて容認発音 (RP = Received Pronunciation) が生み出される基盤を提供し,現代標準英語にまで大きな影響を及ぼしている.
辞書の表題は例によって長い."A Critical Pronouncing Dictionary and Expositor of the English Language: to which are prefixed Principles of English Pronunciation: Rules to be Observed by the Natives of Scotland, Ireland, and London, for Avoiding their Respective Peculiarities; and Directions to Foreigners for Acquiring a Knowledge of the Use of this Dictionary." 表題の表現が示すとおり,ロンドン中心の相当に凝り固まった規範主義である.序文でもロンドン発音こそが "undoubtedly the best" と断言しているが,ロンドンとはいっても Cockney 発音は例外であり,スコットランドやアイルランドの発音を引き合いに出しながら Cockney を "a thousand times more offensive and disgusting" と糾弾している.
Walker の辞書の発音解説は実に詳細で,例えば drama の語義説明は22語ほどで終わっているが,発音説明は770語に及ぶ詳しさだ.収録語数36,600語は,ライバル辞書ともいえる Thomas Sheridan の A General Dictionary of the English Language (1780) の約38,000語には少々及ばないが,発音説明の詳細さは比較にならない.
British Library の English Timeline にある Walker's correct pronunciation より,見出し語 "BACK" で始まる辞書のページ画像を閲覧できる.以上,Crystal (52) および寺澤 (19--20) を参照して執筆した.
正音主義の伝統については,「#571. orthoepy」 ([2010-11-19-1]) を参照.
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
・ 寺澤 芳雄(編) 『辞書・世界英語・方言』 研究社英語学文献解題 第8巻.研究社.2006年.
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