hellog〜英語史ブログ

#153. Cosmopolitan Vocabulary は Asset か?[pde_characteristic][romancisation]

2009-09-27

 [2009-09-25-1], [2009-09-26-1]と現代英語の5特徴について述べてきた.実は,Baugh and Cable は例の5特徴を長所と短所 ( Assets and Liabilities ) に分けて提示している.

 Asset 1: Cosmopolitan Vocabulary
 Asset 2: Inflectional Simplicity
 Asset 3: Natural Gender
 Liability 1: Idiomatic Expressions
 Liability 2: Spelling-Pronunciation Gap

 これについて,昨日の記事[2009-09-26-1]のコメントに鋭い疑問が寄せられた.

Cosmopolitan Vocabulary が Assets の一つということが不思議です.学習者にとっては語彙が少ないほうが学びやすいだろうから,むしろ Liabilities の一つであるべきだと前期から思っていました.


 Baugh and Cable のいう Cosmpolitan Vocabulary は,語彙の数が多いということだけでなく,語彙の種類が豊富だということを特に強調していることに注意したい.それでもこの疑問が鋭いと思うのは,私もこの点について実はあまり納得していなかったからだ.現代英語の「特徴」であることは間違いないが「長所」であるかどうかは疑問に思っていた.今日はこの問題について考えてみたい.
 そもそも言語の長所と短所というのは,どのように決められうるのだろうか.ある言語の長所と短所を言語学的に同定することは意外と難しい.判断する言語学者の母語や理論的立場によって多分にバイアスがかかると思われるからだ.Baugh and Cable の判断基準は「非母語話者にとっての学びやすさ」である.

How readily can English be learned by the non-native speaker? Does it possess characteristics of vocabulary and grammar that render it easy or difficult to acquire? (10)


 Baugh and Cable 自身も,学びやすさという基準で Assets か Liabilities かを客観的に判断することの難しさは認めているし,学習者の母語との相対的な問題であることも承知している.しかし,そうした前置きにもかかわらず,Cosmopolitan Vocabulary については "an undoubted asset" であると断言しているのである.その根拠はというと:

Studies of vocabulary acquisition in second language learning support the impression that many students have had in studying a foreign language: Despite problems with faux amis---those words that have different meanings in two different languages---cognates generally are learned more rapidly and retained longer than words that are unrelated to words in the native language lexion. The cosmopolitan vocabulary of English with its cognates in many languages is an undoubted asset. (12)


 Baugh and Cable の理屈を単純化して言えば,英語の語彙には主にロマンス系諸語からの借用語が多く含まれており,こうした言語の母語話者にとって,英語は学習しやすいということである.この理屈でいくと,ロマンス系諸語の母語話者でなくとも,例えば日本語の母語話者にもメリットがあることになる.なぜならば,英語にはすでに日本語からそれなりの量の借用語が入っており ( see [2009-09-16-1] ),日本語母語話者にとって英単語としての fujiyamatsunami は覚えやすいからである.だが,この論法はばかげていないだろうか.日本語の借用語の数は近年多くなってきているとはいえ,ロマンス系諸語からの借用語の数とは比べるべくもない.
 もっと具体的にいえば,フランス語母語話者にとっては一般的に英語語彙が学習しやすいということは恐らくあるだろうが,日本語話者にとってはそのような一般論は通用しないはずである.もちろん,すでに日本語のなかにも英語からの借用語が豊富にあり,英単語は一般的になじみ深いという印象は,日本語母語話者のあいだにも多かれ少なかれあることは確かだろう.しかし,Baugh and Cable は,フランス語や北欧語など,英語に大きな語彙的影響を与えてきたヨーロッパ諸語とのコネクションを主に念頭に置いているのであり,そこから導き出された結論「Cosmpolitan Vocabulary = an undoubted asset」は,昨日の記事[2009-09-26-1]でも論じたとおり,やはり印欧語(主にヨーロッパ諸語)の視点に偏りすぎた解釈ではないだろうか.
 結論として,日本語を母語話者とする英語学習者の視点からは,Cosmopolitan Vocabulary は現代英語の「特徴」ではあるとしても,必ずしも「長所」ではないと考えておきたい.

 ・Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002. 10--15.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

#390. Cosmopolitan Vocabulary は Asset か? (2)[french][loan_word][false_friend][pde_characteristic]

2010-05-22

 [2009-09-27-1]の記事で,現代英語の5特徴 ( [2009-09-27-1] ) の一つ Cosmopolitan Vocabulary が,英語学習者にとって Baugh and Cable のいうような asset ではなく,むしろ liability なのではないかと論じた.Baugh and Cable の議論では,フランス語母語話者など,英語の語彙に大きな影響を与えた言語の母語話者が英語を学習する場合のことを主に念頭においている節がある.フランス語母語話者は,英語を学習する際になじみ深い語に出会う確率が高く,心理的にも実際的にも学習しやすいはずだという理屈だろう.
 この議論について Granger が興味深い論文を書いている.大量のフランス借用語の存在が,フランス語を母語とする英語学習者にとって必ずしもプラスに機能しているとは限らないかもしれないという趣旨の論文である.
 中英語以降,多くのフランス単語が英語に借用されてきたが,現在までに両言語で独立して意味変化が生じてきた結果,英仏間で意味の食い違いを示す対応語ペアが量産されてしまった.こうしたペアは学習者用辞書の世界などでは false friends ( F "faux amis" ) として知られている.例を挙げれば,英語 fabric は「織物,繊維」を意味するが,対応するフランス語の fabrique は「製造所」を意味する.英語へ借用された当初は「宗教建築物」という意味の一致があったが,時間とともに意味上はまったく別の語に変化してしまった.フランス語を母語とする英語学習者にとって,こうした例は形態がほぼ同じだからこそかえって目を欺くものとなる.
 Granger によると,読んだり聞いたりという perception については,フランス借用語の存在はフランス母語話者にプラスに機能するようだという.perception では,文脈も手伝って false friends に欺かれる可能性が減少するからかもしれない.ところが,書いたり話したりする production では,必ずしもプラスに働いているとは言えないという研究結果が出た.ICLE ( the International Corpus of Learner English ) の一部で,フランス語母語話者による英作文を収集したコーパスに基づいて調査した結果,英語母語話者と比べてフランス借用語の使用頻度が意外にも低かったという.むしろゲルマン系の本来語の頻度が高かったのである.
 Granger はその説明として二つの可能性を指摘している.一つは,外国語として英語を学習する者にとっては,できるだけ基本的な易しい語彙を用いたほうが安全で確実だという戦略が働いているというものである.もう一つは,フランス語母語話者として false friends の罠に十分に気付いており,確信がない場合にはフランス借用語の使用をあえて避ける心理が働いているというものである.一方で,上級の英語学習者でも false friends による誤りが頻繁に起こることが確認されており,英語学習の壁になっていることも示されている.
 まとめれば,フランス語を母語をする英語学習者にとって,少なくとも production に関する限り,英語内のフランス借用語の存在は意外とやっかいなものであるという可能性が浮かび上がったといえる.この可能性が今後の詳細な調査で確かめられれば,Cosmopolitan Vocabulary を現代英語の長所ととらえる Baugh and Cable の議論の前提が崩れることになるだろう.
 語彙の豊かさが現代英語の「特徴」であることは変わらないだろうが,「特長」ではないという主張をサポートする材料になりそうである.

There is no doubt that the strong Romance influences exerted on the English language over the centuries have made it a richer language. From the foreign language learner's perspective, however, it seems as though it has also made it more difficult to master, creating lexical choices which they make at their peril. ( Granger 118 )


・ Granger, Sylviane. "Romance Words in English: from History to Pedagogy." Words: Proceedings of an International Symposium, Lund, 25--26 August 1995, Organized under the Auspices of the Royal Academy of Letters, History and Antiquities and Sponsored by the Foundation Natur och Kultur, Publishers. Ed. Jan Svartvik. Stockholm: Kungl. Vitterhets Historie och Antikvitets Akademien, 1996. 105--21.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

#395. 英語のロマンス語化についての評[romancisation]

2010-05-27

 [2010-05-24-1]の記事で,英語がロマンス語化したことについて Gachelin の評を引用した.英語にとってフランス語はラテン語やギリシャ語を隠蔽したトロイの木馬であるという見解は,優れた比喩として他書でも引用されているのを読んだことがある.Gachelin は論文中でこの名言を発するまでに,自らも類似した評をいろいろと漁ったようで,その論文は一種の英語のロマンス語化についての語録とでもいうべきものになっている.
 そのまま引用しておけばいずれ何かで利用できるかもしれないと思ったので,下にいくつか挙げておく.Gachelin が引用している元の文献の書誌は省略.

In Lezzioni sul lessico inglese (p. 53), V. Pisani underlines the Romance character of English, due pre-eminently to all those French loan-words giving the language 'un aspetto in parte net-latino', which in its own turn increases the 'facilità di acclimatazzione' of Latin words, exactly as in a genuine Romance speech. (Gachelin 10)


English has dived into the Latin stream, 'both naked and wearing the clothes of Old French' (Burgess, Language Made Plain, p. 169), . . . . (Gachelin 11)


On 22 Feb 1850, Thomas Watt read a paper to the Philological Society, 'On the probable future position of the English language', in which he stated that 'English is essentially a medium language' uniting, 'as no other language unites, the Romanic and the Teutonic stocks', concluding that such a language might become 'the most widely spoken language on earth'. (Gachelin 12)


Chenevix Trench also praised English as 'the one language of Europe which thus serves as connecting link between the North and the South, between the languages spoken by the Teutonic nations of the North and by the Romance nations of the South', acting as 'a middle term betwe[e]n them' (English Past and Present, pp. 36--37). (Gachelin 12; the insertion of [e] mine)


. . . Jakob Grimm celebrated in English 'a surprisingly intimate union of the two noblest languages in modern Europe, the Teutonic and the Romance', prophesying its role as a 'world-language' (Gachelin 12)


Since English is more than half Latin in its vocabulary, the whole American continent might be said to be predominantly Latin, whatever dictionary, diccionario, diciónario or dictionnaire you may consult. (Gachelin 12)


'English-speaking peoples are helped in learning the vocabulary of both Romance and Germanic languages by their own twin heritage' (Anthony Burgess, Language Made Plain, p. 145). (Gachelin 13)


. . . as Sir Francis Palgrave once put it, 'the warp may be Anglo-Saxon, but the woof is Roman as well as the embroidery. (Gachelin 14)


 Gachelin 自身は,ゲルマン世界とロマンス世界をつなぐ架け橋としての英語(語彙)の役割を肯定的にとらえ,英語が世界語としてふさわしいことを説いている.
 しかし,私見では,それはあくまで後付けの結果論である.英語は語彙がロマンス化してきたがゆえに世界語になりつつあるわけではない.世界語になりつつある今,歴史を振り返ってみたら,英語は語彙的にロマンス化していたとわかった,ということではないか.また,Gachelin が考えている架け橋は,あくまでゲルマンとロマンスの架け橋であって,世界の架け橋ではない.この辺りにヨーロッパ中心の発想が潜んでいるように思われる.

 ・ Gachelin, Jean-Marc. "Is English a Romance Language?" English Today 23 (July 1990): 8--14.

Referrer (Inside): [2014-12-29-1] [2011-09-17-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由[academy][history][swift]

2009-09-08

 世界語としての英語を主題とする本などを読んでいると,英語を民主的な言語ととらえる英語観に出くわすことがある.その考え方の根底には,民主主義礼賛,世界語としての英語礼賛という政治的な立場があるように思われるが,その是非に関する議論はおいておき,どのような根拠をもって民主的と呼ばれ得るのか,英語史の立場から考えてみたい.
 まず第一に,「世界的な語彙」 ( cosmopolitan vocabulary ) という点が挙げられる.これは,Baugh and Cable などによって英語の最大の特徴の一つとして数えられている特徴である.英語はその歴史において常に他言語と接触してきており,結果として豊富な語種を獲得するに至った.近代に入ってからは大英帝国の世界的展開,アメリカ合衆国の覇権により英語はますます世界化し,語彙を増大させ続けているばかりか,多言語への語彙の提供源にもなった.語彙の借用の歴史に象徴される懐の深さや自由奔放さが,英語という言語の民主的な性格を物語っている.
 第二に,英語は,中英語期の前半にフランス語のくびきのもとで下層民の言語として「冷や飯を食う」ことを余儀なくされたが,中英語期の後半には一人前の言語へと復活し,近代英語期にかけて国際語の地位を得るに至った.お上に虐げられてきた下層階級の言語が徐々に市民権を獲得してゆく過程こそが,英語の民衆主導の歴史を物語っている.(もっとも,英語は,5世紀にその話者がブリテン島の先住民を征服したところに端を発するのであり,当時は抑圧する側だったという点を忘れてはならないだろう.これを考えると,当然,民主的とは言いにくくなる.)
 第三は,民主的な英語という英語観との関連ではあまり議論されてこなかった点だと思われるが,近代英語期にフランスやイタリアで設立されたような,言語を統制する公的機関としてのアカデミーがついに創設されなかったことである.「言語の乱れ」を取り締まるお上が存在しない代わりに,民衆の間で慣用を重んじる伝統が確立された.この伝統を築いたのは,政府の偉い人々ではなく,ジェントルマン的な文人・知識人 ( literati ) たちだった.彼らは,慣用を重視する自らの言語観を世に問い,人気を勝ち取ることによってそれを定着させようとしてきた.現代の英語の綴り字や文法の慣用は,かれらの不断の努力のたまものであり,アカデミーによる押しつけの成果ではない.(とはいっても,文豪 Jonathan Swift の熱心な運動で,アカデミーの役割を果たす機関が設立される一歩手前までいったことも事実である.もし設立していたら,後の英語の進む方向はどれくらい影響を受けていただろうか.)

 ・Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

#728. 世界語が世界に与える影響[global_language][elf]

2011-04-25

 いうまでもなく,英語は世界語 (a global language or world language) あるいはリンガ・フランカ (a lingua franca) と称される一級の言語の1つである.人類史上,これほど多くの場所でこれほど多くの人に話されている言語はなかった.現代世界でもっとも通用度の高い言語であり,事実上 "the global language" と定冠詞をつけて呼ばれたとしても,多くの日本人にとって違和感がないだろう.しかし,世界語としての現代英語を論じる際には,不定冠詞で "a global language" あるいは複数形の環境で "one of the global languages" として用いるのが適切である.
 多くの言語学者が英語を「世界語の1つ」と控えめに表現しているが,1つには勝利主義的な英語観の含意を避けるという目的がある.もっと具体的にいえば,反英語論者を意識して中立的な言葉遣いを選んでいるとも考えられる.言語(特に世界語としての英語)を語る際には必然的になにがしかの政治的スタンスを伴わざるを得ないが,その政治的含意をなるべく少なくするための(それ自体がある意味で政治的な)レトリックの1つとみなすことができる.
 しかし,それ以上に「世界語の1つ」という表現には学問的な謙虚さが感じられる.過去にも現在にも,程度の差はあれ「世界語」と呼びうる言語は複数あった.将来も,同じように複数の世界語の存在する可能性がある.世界語としての英語の性質を理解するためには,他の世界語の性質と比較対照し,異同を取ることが必要である.世界語としての英語の研究は,是非とも "global languages" という pluralist な文脈でなされなければならない.
 英語ならずとも世界語の立場にある言語は,およそ似たような影響を世界に及ぼすだろうと仮定できる.Crystal, The English Language 10--11 を参考に,現在,世界語としての英語が世界に及ぼしている影響のいくつかを指摘したい.

 (1) 世界語は未曾有の詳細さをもって学習され,研究される.その結果として,規範的な文法書や辞書が書かれ,語学教育や語学施設が充実し,言語研究が発展する.
 (2) 世界語(やその他の言語)に対する人々の意識が高まり,言語に関する書籍や雑誌,ラジオ番組やテレビ番組を通じて,世界が言語的に啓発される.
 (3) 世界語(やその他の言語)に対する意識が高まり,言語的に啓発される一方で,人々は逆に言語の問題について批判的で心配性になる.言語変化を言語の堕落とみなして不安を覚えたり,他の言語や変種に対して排他的で不寛容な態度が生じることもある.

 世界語の潜在的な影響は,他にもいくつか指摘できる.

 ・ 当然のことながら,世界語は世界のコミュニケーションを容易にし,活発にする
 ・ 世界語の学習に取り残された者が "linguistic divide" の社会的不利や差別に苦しむということも生じるかもしれない
 ・ 世界語の圧力により,少数言語の消滅する傾向が加速される(ただし,これには異論もある.例えば Crystal, English as a Global Language 20--25 を参照.)
 ・ 世界語の変種(ピジン語やクレオール語も含む)が各地に生まれ,次第に互いに理解不能の言語へと分かれてゆく

 上記の項目の多くが,かつての世界語の1つであるラテン語にも当てはまるだろう.「世界」の規模は,現代の世界語である英語と異なるが,世界語の立場にある言語がもつ影響力には,共通の特徴があることが分かる.しかし,現代における重要な問題は,英語に特有の特徴が何か,である.その答えを知るためには,過去そして現在の他の世界語(の候補)との比較対照が欠かせない.
 ELF (English as a Lingua Franca) については,elf の各記事で取り上げてきたが,特に以下の記事を参照.

 ・ #177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト: [2009-10-21-1]
 ・ #272. 国際語としての英語の話者を区分する新しいモデル: [2010-01-24-1]
 ・ #372. 国際語としての英語の趨勢についての気になる事実(2005年版): [2010-05-04-1]
 ・ #376. 世界における英語の広がりを地図でみる: [2010-05-08-1]

 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
 ・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

#226. 英語は "apolitical" な言語か?[politics][sociolinguistics][elf]

2009-12-09

 社会言語学では,言語が社会的な存在であり,しばしば政治的な存在でもあることが前提とされている.特に,世界語としての英語が議論されるとき,議論のなかに政治的な要素がまったく入り込まないということはあり得ないのではないかとすら思われる.例えば,[2009-11-30-1], [2009-12-05-1]でみた英語話者の同心円モデルでいえば,Inner Circle に属するものが「規範」 ( norma ) の中心におり,外側の Circles に属する人々の用いる英語に影響を与えるという見方は,それ自体が政治的 ( political ) 含みをもっている.
 社会言語学でおなじみの「言語」と「方言」の区別に関する議論も,言語が政治的な存在であることを示している.日本で関西地方が政治的に独立して独立国家を形成すれば,その新国民は自分たちの言語を「日本語の関西方言」ではなく「関西語」と称するかもしれない.独立以前と以後で言語的には何ら変化していないにもかかわらずである.
 また,インドなどの多言語社会においては,他の言語に比べて政治的に中立の立場にあるからという理由で,英語が国内コミュニケーションの目的で用いられている.この場合,英語は政治的に中立と見なされているのだから,非政治的 ( unpolitical ) な役割を果たしているとも言えそうであるが,そもそも複雑な言語事情の政治的解決策として英語が持ち出されてきたわけであり,この事態が政治と関係がないとは言えない."political" 「政治的」にせよ "unpolitical" 「非政治的」にせよ,いずれも politics 「政治」の含みがあることを前提とした形容詞である.
 このように,社会言語学では,言語が本質的に政治から自由ではないことを示す事例が多く挙げられる.私だけではないと思うが,社会言語学を学習した者は「言語=政治的」というテーゼをたたき込まれるわけである.ところが,Kachru の次の文章に出くわして驚いた.世界語としての英語に関する議論,すなわち社会言語学の通念からは政治的でないはずのない議論のさなかに,"apolitical" という形容詞が出てくるのだ.そして,その主語は「英語」なのである.やや長いが,引用する.

As an aside, one might add here that all the countries where English is a primary language are functional democracies. The outer circle and the expanding circle do not show any such political preferences. The present diffusion of English seems to tolerate any political system, and the language itself has become rather apolitical. In South Asia, for example, it is used as a tool for propaganda by politically diverse groups: the Marxist Communists, the China-oriented Communists, and what are labelled as the Muslim fundamentalists and the Hindu rightists as well as various factions of the Congress party. Such varied groups seem to oppose the Western systems of education and Western values. In the present world, the use of English certainly has fewer political, cultural, and religious connotations than does the use of any other language of wider communication. (14)


 "unpolitical" 「非政治的」ではなく "apolitical" 「無政治的,政治とは無関係の」であるところがポイントとなる."unpolitical" はマイナス方向に "political" 「政治的」であるという意味で,結局のところ "political" と同じ土俵の上にある用語である.政治を意識しているからこそ,"political" か "unpolitical" かという区別が重要なのである.ところが,"apolitical" は,そもそも政治という土俵の外にあり,政治に対して無関係・無関心であることを表す用語である.なるほど,英語が世界へ拡大してゆく過程においては,各国・地域の政体がどうであるかとかアメリカとの国際関係がどうであるかなどということは,ゼロとは言わないまでもそれほど関与的ではない.
 「言語=政治的」という社会言語学の洗脳を受けた頭には,世界語としての英語が "apolitical" でありうるという発想は新鮮だった.

 ・ Kachru, B. B. "Standards, Codification and Sociolinguistic Realism: The English Language in the Outer Circle." English in the World. Ed. R. Quirk and H. G. Widdowson. Cambridge: CUP, 1985. 11--30.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]