「#6250. なぜ古英語文法で名詞屈折の定番が stan なのか? (2)」 ([2026-06-07-1]) で紹介した通り,ヘルメイトの ykagata さんが,「[古英語]名詞屈折表が stān で始まる本,始まらない本」を公開されている.そこで Smith (66) が引用されている.以下に再掲しよう.
OE nouns can be classified into five groups, or declensions. In decreasing order of frequency of occurrence in OE, these declensions are:
(1) General Masculine Declension
(2) General Feminine Declension
(3) General Neuter Declension
(4) the -an Declension
(5) Irregular Declensions
ここで,名詞屈折の型について伝統的・通時的なラベルを採用せず,教育的・共時的なラベルを採用していることを,ykagata さんは賞賛されている.
(1) から (5) は頻度の高い順に並べられているということだが,この「頻度」のソースはどこから来ているのだろうか.おそらくだが,完全にではないが,古英語の伝統的な入門書,Quirk and Wrenn (20) の挙げている頻度比率(あるいはそこから派生した何らかのソース)に依拠しているのではないかと睨んでいる.その数値を表でまとめると以下のようになる(予想される通り,伝統的・通時的なラベルが用いられている点に注意).
| Noun Class | Value |
|---|---|
| masculine a-stems | 0.36 |
| masculine n-stems and minor declension | 0.09 |
| feminine o-stems | 0.25 |
| feminine n-stems and minor declension | 0.05 |
| neuter a-stems | 0.25 |
| neuter n-stems | insignificant |

1週間後の6月27日(土) 15:30--17:00 に,今年度の2回目となる朝日カルチャーセンター新宿教室でのオンライン講座が開かれます.昨年度より継続しているシリーズ「歴史上もっとも不思議な英単語」の通算第15弾ということで,今回は「ghost を探って古英語原文の世界へ」と題して,皆が気になる単語 ghost を深掘りしていきます.
現代英語の ghost の最も普通の語義は「幽霊」ですね.この世ではしばしば恐れられている,あの不思議な存在です.しかし,本来は広く「精霊」 (spirit) を表わし,あらゆるものに生命を吹き込むパワーを表わしていましたが,歴史の過程で意味の縮小が起こったことになります.キリスト教の「聖霊」は the Holy Spirit と言いますが,古くは the Holy Ghost と言われたのも,この経緯と関係しています.
また,発音や綴字の観点からも興味深い事実があります.古英語や中英語では gast のような綴字が普通でした.母音として ā という長母音をもっていたのです.ところが現代では /oʊ/ という2重母音になっていますね.また,後期中英語以降,どこからともなく綴字に <h> の文字が紛れ込み,現代では ghost となっていますね.講座では,<gh> という綴字の様々な謎にも触れていきたいと思っています.その他,動詞としての ghost,「幽霊語」 (ghost_word) の話題,もちろん ghost の語源自体にも触れていきます.
講座の後半には,本シリーズの「古い英語の原文で味わう」趣旨に沿って,市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)より古英語のなかに実際に現われる "ghost" を覗いてみます.丁寧に解説しますので,古英語初心者の方も心配無用です.また,上掲書をお持ちでなくても講座資料として配付しますのでご安心ください.
講座の詳細とお申込みは,朝カルのこちらの公式ページをご覧ください.
なお,この先の夏期クールのテーマと日程をお伝えしておきます.夏期もシリーズを継続していきます.そちらの詳細・お申し込みはこちらのページよりどうぞ.
・ 夏期第1回(2026年7月25日):歴史上もっとも不思議な英単語 --- "king" を探って古英語原文の世界へ
・ 夏期第2回(2026年8月22日):歴史上もっとも不思議な英単語 --- "riddle" を探って古英語原文の世界へ
・ 夏期第3回(2026年9月26日):歴史上もっとも不思議な英単語 --- "through" を探って中英語原文の世界へ
いずれの講座につきましても,多くの方の受講をお待ちしております.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.
昨日に引き続き,英語史の名著,Baugh and Cable のテキスト(第6版)を,helwa の志高き仲間たちと徹底的に腑に落としていく「超精読会」の記録です.この熱気あふれる現場の音声をそのままお届けする Voicy heldio の配信シリーズも,おかげさまで息長く続いています.
今朝配信の heldio 最新回では,新しい節の冒頭を精読する回をお届けしています.「#1846. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (64-1) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」 です.本日のブログ記事はこの最新音源と密接にリンクした誌上実況中継となります.
今回も,helwa/heldio のコミュニティを熱く盛り上げてくださっている重要ヘルメイトであり,コアリスナーの Taku さんことhttps://www.ntu.ac.jp/research/kyoin/kodomo/gakoukyouiku/kaneta_t.html">金田拓さん(帝京科学大学)に,水先案内人として精読をリードしていただきました.
さて,今回からはいよいよ "Influence of The Benedictine Reform on English" と題された新セクションへ突入します.前回まで追ってきた「ベネディクト改革」という歴史的うねりが,実際の英語の語彙にどのような変化をもたらしたのか,具体的な借用語 (loan_word) のリストとともに検証していくことになります.今回の精読のターゲットとなった英文を以下に掲げます(Baugh and Cable, pp. 84--85).第64節の冒頭から,およそ30分弱をかけて計6文の細部を解剖していきました.
The influence of Latin upon the English language rose and fell with the fortunes of the church and the state of learning so intimately connected with it. As a result of the renewed literary activity just described, a new series of Latin importations took place. These differed somewhat from the earlier Christian borrowings in being words of a less popular kind and expressing more often ideas of a scientific and learned character. They are especially frequent in the works of Ælfric and reflect not only the theological and pedagogical nature of his writings but also his classical tastes and attainments. His literary activity and his vocabulary are equally representative of the movement. As in the earlier Christian borrowings, a considerable number of words have to do with religious matters: alb, Antichrist, antiphoner, apostle, canticle, cantor, cell, chrism, cloister, collect, creed, dalmatic, demon, dirge, font, idol, nocturn, prime, prophet, sabbath, synagogue, troper.
この B&C 超精読シリーズの過去の足跡については,すべてアーカイヴに網羅されており,いつでもバックナンバーにアクセス可能です.各回へのナビゲーションは,「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) をハブとしてご利用ください.英語史のロマンに知的好奇心をくすぐられた方は,ぜひ本書をお手元にご用意の上,この音声を道しるべに深い読書体験を味わっていただければ幸いです.さらに,「ただ聴くだけでなく,自分も対面やオンラインの現場に飛び込んでリアルタイムに議論の輪に加わりたい!」という熱量をお持ちの方は,ぜひ Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネルである「英語史の輪 (helwa)」へのご参加をご検討ください.知的なお祭りをともに楽しめる仲間を,いつでもお待ちしております.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
英語史を学ぶ者にとってのバイブルとも言える Baugh and Cable の名著(第6版)を,helwa の志高きメンバーとともに1文ずつ(いな,1語ずつ)じっくりと読み解いていく「超精読会」を,半定期的なペースで重ねています.この濃密な読書会の空気感をそのままお届けする Voicy heldio の音声配信シリーズも,気づけば継続中です.開始から3年近くが経過しましたが,歩みは着実に進んでおり,現在は第63節の後半戦に突入しています.
今朝の heldio にて,その最新の配信回を公開いたしました.「#1845. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (63-7) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」です.本日のブログ記事はこの音声配信とがっちり連動する形でのアップデートとなります.
今回も,heldio/helwa コミュニティを牽引するヘルメイトでありコアリスナーの Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)に,ナビゲーターとして精読を力強くリードしていただきました.現場に集まった数名のギャラリーとともに,テキストの奥底に潜む歴史的背景を掘り起こすような,いつもながらのディープな読みを堪能する時間となりました.
今回の読書会でターゲットとした英文を以下に提示します(Baugh and Cable, pp. 83--84) .第63節の幕引きに近い箇所から,およそ40分もの時間をかけて計6文を緻密に読み解いていきました.10世紀後半のベネディクト改革の英語史上の意義を堪能してください!
One of the objects of special concern in this work of rehabilitation was the improvement of education---the establishment of schools and the encouragement of learning among the monks and the clergy. The results were distinctly gratifying. By the close of the century the monasteries were once more centers of literary activity. Works in English for the popularizing of knowledge were prepared by men who thus continued the example of King Alfred, and manuscripts both in Latin and the vernacular were copied and preserved. It is significant that the four great codices in which the bulk of Old English poetry is preserved date from this period. We doubtless owe their existence to the reform movement.
この B&C 読書会のこれまでの軌跡については,すべてアーカイヴ化されており,いつでも過去回へアクセスが可能です.各配信回へのナビゲーションリンクは,過去の記事「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) にまとまっていますので,ぜひそちらをご参照ください.知的好奇心を刺激された方は,ぜひご自身でも本書を入手され,この超精読会の音声をガイドブック代わりにお聴きいただければ幸いです.また「聴くだけでなく,対面やオンラインの現場でリアルタイムに議論に加わりたい!」という熱意をお持ちの方は,ぜひ Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネルである「英語史の輪 (helwa)」の門を叩いてみてください.皆さんのご参加を心よりお待ちしております.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

拙著『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(NHK出版新書)の版元のNHK出版より,本書に掲載されている古英語・中英語部分を読み上げた音声にアクセスできる特設ページが公開されています.著者による読み上げ音声をお聴きいただけます.
画面上の英文の上をクリック・タップしていただくだけで,簡単に音声を再生することができます.本書の第1章や第3章で登場する Gregorius hine afligde などの古英語文や,Ich was in one sumere dale といった中英語文の「生の響き」を,ぜひ耳から体験してみてください.
古英語や中英語といった古い時代の英語を学ぶ際,誰もが抱く最初の,そして最も素朴な疑問の1つが「どうして大昔の英語の発音がわかるのか」という点ではないでしょうか.録音機器など存在しなかった1000年も前の言語音をいかにして推定するのかという問いは,歴史言語学にとってきわめて本質的な課題です.
この問題については,本ブログでも「#5314. どうして古英語の発音がわかるのですか? --- YouTube で答える素朴な疑問」 ([2023-11-14-1]) や,そこから張られているリンク先の記事でも取り上げていますので,ご参照ください.当時の表音文字としてのローマン・アルファベットの綴字体系を分析すること,あるいは詩の脚韻や頭韻といった韻文の証拠を活用すること,さらには現代の諸方言に残る痕跡から比較言語学的に復元することなど,様々な文献学的・言語学的なアプローチを通じて,かつての発音に迫ることができるのです.
そのような緻密な研究の積み重ねによって明らかになった古音の響きを,今回の特設ページでは実際に再現しています.文字として眺めるだけではなかなか実感が湧きにくい中世の英語ですが,声に出して読まれた音を聴くことで,現代の英語やあるいは他のゲルマン諸語との有機的なつながりが見えて(聞こえて)くるはずです.
新書をお手元に置いていただき,各章の解説と合わせて音声を聴き進めていただけますと,英語の文法が歴史を通じていかにダイナミックに変容してきたか,その立体的な姿をより深く,納得して味わっていただけることと思います.
上記のNHK出版公式の読み上げ音声HPとは別に,本書に関する著者による公式のHPもオープンしており,そちらはすでに1000回を超えるアクセス数となっています.様々な形で本書の魅力を伝えていますので,ぜひどうぞ.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
昨日の記事 ([2026-06-06-1]) に続き,標記の話題を取り上げる.というのも,ヘルメイトの ykagata さんが,ご自身の note で昨日の記事に反応くださっているのだ.「[古英語]名詞屈折表が stān で始まる本,始まらない本」を公開され,古英語の文法書や解説書の類いを複数冊調査して,名詞屈折の項目が男性強変化 a-stem 名詞 stān "stone" で始まらないものも散見されることを指摘されている.それらでは何で始めるかといえば,男性弱変化 n-stem 名詞 nama "name" とのことだ.
nama から入門する利点は確かにある.nama - naman - naman - naman; naman - naman - namena - namum と並ぶ屈折表は,stān - stān - stānes - stāne - stānas - stānas - stāna - stānum と同じくらいに,暗唱に際して語呂がよい.また,「弱変化」といわれるだけあって語尾変化の幅が小さいので,入り口としての負担が軽い.stān でつまずく初学者がいたとしても,nama くらいなら踏みとどまるかもしれない.また,nama に代表される男性弱変化屈折表は,女性・中性の弱変化屈折表ともほぼ同じなので,その点で応用が利くし,学習効率も良い.
ただし,(現代英語に比べれば,という但し書き付きで)「屈折的な言語」を標榜する古英語の代表選手として,屈折変化が実は貧弱な弱変化名詞を持ってくるというチグハグ感はある.また,現代英語に残っている弱変化の痕跡もまた,名前の皮肉で,貧弱である.oxen, children, brethren の -en を参照してください,といえるのが関の山である.一方,昨日の記事の論点に付け足せる点だと思われるが,stān 型の屈折は,現代の複数形の -s や所有格の -'s の由来を教えてくれるという利点がある.
いずれの名詞で始めるとよいかに絶対的な答えはない.その古英語文法書の狙い,読者対象,伝統の系列など,様々なパラメータと各々の重み付けの問題だからだ.従来,古英語文法書は入門書の類いであったとしても,印欧語比較言語学や英語文献学というすぐれて学術的な分野の伝統を引き継いで書かれることが多かった.stān でつまずくような初学者を最初から想定していなかった,という言い方をしてもよい.しかし,英語史や古英語への関心が我が国でもジワジワと広がっている(そして私としては広げていきたい)今,むしろ「狙い」や「読者対象」を再考してみるのも大事だと思う.どの名詞で入門書を始めるのかという問いは,図らずも現代的な問いだった!
議論の種と糧をくださった倉林秀男先生と ykagata さんに感謝します.
なお,6月10日に発売予定の『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』では,第1章第1節では「伝統」の stān 屈折表を掲載しています.
昨日,倉林秀男先生(杏林大学)より X 上で「OE の名詞屈折の例ってかなりの割合で男性強変化名詞 stān が出てきますよね」との投稿があった.
確かにそのとおりだ.古英語の教科書の名詞屈折のセクションでは,ほぼ必ず stān "stone" が最初の屈折表として鎮座していることが多い.なぜ取り立てて stān なのか.なぜ「石」というきわめて地味な単語がトップバッターに選ばれているのか.ここには英語史教育・学習の伝統,そしてとりわけ学習者への教育的配慮に満ちた理由がいくつも隠されているように思われる.以下で議論してみたいが,「なぜ」に対する答えや理由そのものというよりも,私なりの解釈といったほうが適切かもしれない.
第1の背景として,文法書という記述形式そのものがもつ歴史的伝統が挙げられる.これは語学の一般的な傾向だが,古英語文法に限らず,およそ〇〇語文法という世界には,最初に作られた定番の型がそのまま後世の教科書へ受け継がれやすいという性質がある.
これに加えて,印欧語比較言語学の強固なセオリーも関係している.比較言語学の伝統において,ゲルマン諸語の名詞屈折を記述する際には,もっとも勢力の強い男性強変化 a-stem 名詞の屈折から始めるのが鉄則となっている.古英語の stān は,まさにこの a-stem 名詞の1つである.
しかし,a-stem 名詞のなかには,ほかにも多くの単語が存在する.そのなかで,なぜよりによって stān が選ばれるのかといえば,この単語が当該の屈折のなかでもっともクセがないからだろうと考えられる.「クセがない」の意味を,5つの観点から考えてみたい.
(1) 屈折表のなかで語幹の音形の交替がない.古英語の名詞には,単数と複数,あるいは格の違いによって語幹に含まれる母音や子音が交替するものが少なくない.たとえば dæg "day" は単数主格形だが,複数主格形では dagas となり,æ が a へと交替する.また,mūþ "mouth" や þēof "thief" などの語幹末無声摩擦音が,単数主格以外では(綴字には現われないものの)有声化する.これらに対して,stān は,単数主格から複数与格に至るまで,語幹の綴字も発音も stān- と一切揺るがない.
(2) 語幹が1音節である.cyning "king" なども a-stem 名詞の重要語だが,2音節名詞であるため,後ろに屈折語尾がついて3音節となると,暗唱するにも口がもたつく.その点,語幹が単音節の stān は,屈折語尾の付き方がもっともクリアに見えるし,暗唱するにもリズムがよい.
(3) 現代までに意味・指示対象の変化がほとんどない.古英語の stān は現代英語の stone に対応し,千年前も今も基本義は変わらず「石」である.同じようにクセのなさそうな単語として hund も挙げられるが,確かに屈折表としては綺麗で,良い線を行っているようにも思われるが,現代では意味が「(一般的な)犬」 (dog) から「猟犬」 (hound) へと狭まっている.stān にはそのような意味変化のノイズがない.もう1つ思いつく bāt "boat" はなかなかの有力候補であり,実際に stān に代わって採用している教科書があったように思う(具体的な書名は失念した).
(4) 綴字が現代の学習者の目にとって異常ではない.たとえば fisc "fish" という単語も非常に基本的だが,現代の学習者がこれを見ると,語末の <sc> で /ʃ/ の発音を表わす点など,古英語特有の綴字規則の解説を別途挟まなければならなくなる.stān であれば,現代の stone との対応が(母音の長音記号除けば)一目瞭然である.
(5) 意味・指示対象が無生物で当たり障りがない.文法規則を純粋に学ぶ段階においては,単語そのものがもつ意味的な生々しさ(性別や生物としての性質など)は,ときに文法上の性 (gender) と混同されて学習の邪魔となることもあるかもしれない.無生物の「石」であれば,これ以上ないほど当たり障りがない.過去も現在も,特に社会性を帯びている単語でもない.
こうして条件を絞り込んでいくと,stān という単語は,古英語文法に入門する学習者にとって,もっとも安全で,視界がクリアな足場として機能していることがわかる.味も素っ気もない「石」がトップバッターを務めている背後には,上記の点での教育的知恵が凝縮されているように思われる.
ちなみに,今年2月に新装復刊された90年以上の歴史を有する伝説的教科書『古英語・中英語初歩』でも,もちろん stān がトップバッターとして君臨していることを付け加えておく.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
be 動詞の話題は,本ブログでも多く取り上げてきた.今回は Lass の古英語に関する手引き書を参照して,とりわけ b- 系列の形態に関する雑記的な洞察を何点か紹介したい.
まず,be 動詞の諸屈折形の起源による分類を,Lass (170) より引用する.
(a) an s-root (eom, eart, is, sindom = L s-um, e-s, e-s-t, s-unt);
(b) a b-root (bēo, bist, biþ, bēoþ, cognate to Skr bhu- 'remain', Latin perfect of 'be' fū-ī, OCS byti 'be', Gr phú- 'become';
(c) a w-root, in the inifinitive wesan, pres part wesende, preterite wæs, wǣron; this is cognate to OIr feiss/foss 'remain', Skr vásati 'he dwells'. Wesan is a defective cl V verb (as wesan/wæs/wǣron suggest), whose PRET1/PRET2 serve as the only past for the other stems.
このなかで b- 系列に使用は西ゲルマン語群での発達であり,相対的にいって遅めの系列であるという (Lass 171) .
The incorporation of the b-root into this group seems to be a WGmc innovation.
また,以下に言及される古英語の現在分詞や過去分詞も b- 系列に属するが,これも古英語期内においてだが,やはり遅咲きだという (Lass 171) .
. . . until the eleventh century the only present participle is wesende, and there is no past participle. After this pres part bēonde and pp be-bēon (> ModE been) appear.
一方,古英語の b- 系列を含む命令形については,方言分布などもやや複雑で,次のようにある (Lass 171) .
The imperative is usually in b- in earlier texts: sg bēo, pl bēoþ; later wes, wesaþ appear (wes remains buried in wassail < wes hāl 'be healthy'). There is some regional differentiation, with b- imperatives in WS and Merc, and wes Northumbrian, though wes also occurs in WS and Mercian.
ひるがえって現代標準英語における b- 系列の勢力はどうかというと,歴史的には衰退しているとみることができそうだ (Lass 171) .
The standard ModE system suggests more radical loss of the b-forms than was actually the case; as late as the 1950s some conservative rural varieties in old West Mercian and West Saxon territory (e.g. the W Midlands and West Country) preserve paradigms like I bin, thee bist, Her is (Cheshire and Shropshire), I be, you be, her is, they be (Warwickshire, Somerset), or be for all persons and numbers (Oxfordshire, Buckinghamshire, Somerset).
b- 系列の形態に焦点を当てた歴史を描いてみるのもおもしろそうだ.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
古英語では,名詞の対格 (accusative) は第一義的に動詞の直接目的語の役割を担うが,他にも役割がある.「副詞的対格」 (adverbial_accusative) と呼ばれる用法がその1つで,現代英語でも「副詞的目的格」などとして,その名残がみられる.その意味は,しばしば移動・持続期間・程度である.
しかし,この対格の用法は,古英語に限定されるわけではない.他の印欧諸語にも広く確認される用法であり,つまるところ印欧祖語の時代から発達していた用法と考えてよさそうだ.Lass (233) は次のように述べている.
We can for instance reconstruct the IE accusative as primarily the direct object case; but it has a set of extended meanings, having to do with 'attainment of a goal' (a natural move from coding the result of the action of a transitive verb). From this there develop senses coding what one has to do to achieve a goal, e.g. the traversal of space; and from this traversal of time. Thus the accusative marks not only movement (as a derivative of 'goal'), but 'extent' in space or time as well.
古英語の副詞的対格の用法については,Mitchell (§§1383--88) も詳述している.空間,時間,程度の広がりを指す用法について,用例とともに引用したい.
§1382. The accusative of extent is found referring to space, time, and degree. With reference to space, it is found with verbs, e.g. ÆCHom i. 108. 31 Ne glad he ealne weig him ætforan and ÆCHom ii. 506. 14 He arærde him munuclif on micelre digelnysse, twa mila fram ðære ceastre Turoniscre ðeode, and with adjectives, e.g. ÆCHom i. 20. 31 Wyrc þe nu ænne arc, þreo hund fæðma wid, and þritig fæðma heah.
§1383. The accusative of extent in time answers the question 'How long?'. It occurs alone, e.g. ÆCHom ii. 190. 26 (§1382.), ÆCHom ii. 74. 35 To hwi stande ge her ealne dæg ydele?, ÆCHom i. 178. 10 Moyses se heretoga fæste eac feowertig daga and feowertig nihta, and (with the noun repeated or varied) ÆCHom i. 20. 8 and he leofode nigon hund geara and þrittig geara and ÆCHom ii. 330. 17 . . . ren wæs forwyrned ðam wiðerweardum folce to ðreora gera fyrste, an syx monða fæce, or with a preposition, e.g. 1ÆCHom ii. 298. 23 He geheold Cristes setl geond ðrittig geara fæc.
§1385. The accusative singular neuter is used adverbially to express degree. It may refer to an action, e.g. ÆCHom ii. 536. 2 . . . ne derað him nan ðing on ðam ecan eðele, þæt he on wege þyses lifes andlyfene underfeng and ÆCHom ii. 122. 11 Þa ne mihte se papa þæt geðafian, āteah ðe he eall wolde (for this idiom see §3352); to a quality, e.g. ÆCHom 20. 370 seo geoguð . . . wæs þa geweaxen, and to wige ful strang; or to a quantity, e.g. ÆLS 6. 359 and he wunode . . . on his agenum mynstre em feowertig gera.
現代英語の副詞的目的格の用法にまで連なる,長い歴史があるということだ.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
・ Mitchell, Bruce. Old English Syntax. 2 vols. New York: OUP, 1985.

1週間後の5月23日(土) 15:30--17:00 に,今年度の2回目となる朝日カルチャーセンター新宿教室でのオンライン講座が開かれます.昨年度より継続しているシリーズ「歴史上もっとも不思議な英単語」の通算第14弾ということで,今回は「again を探って中英語原文の世界へ」と題して,日常的な副詞 again とその双子の兄弟である前置詞 against に注目します.
講座では,『英語語源辞典』や『英語語源ハンドブック』を参照しつつ,この単語の語源や意味・形態上の発達を追いかけ,副詞 again と前置詞 against とで棲み分けがなされるようになった背景に迫ります.本来は接頭辞にすぎなかった形態素が,独立した単語となっていくという興味深い歴史をもっているのです.関連して,古英語の前置詞全体についても概観する予定です.
この単語の発音やスペリングの変化・変異にも注目します.異形が非常に多く,古英語や中英語の辞書ではどの形が見出し語に上がっているのかを予想するのが困難なほどです.
また,この春期クールでは,2月25日に研究社より刊行された伝説的入門書,市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)を参考テキストとして活用します.今回はこの入門書に収載されている初期中英語のテキスト Peterborough Chronicle より,again を含む,中世の拷問をおどろおどろしく描写する箇所を少々読んでみたいと思います.
中英語の原文が初めてという方も心配は要りません.上記参考テキストについても,講座で読む部分については配付資料内で引用しますので,受講に必須ではありませんが,テキストには現代英語訳や辞書も付属していますので,あれば学びが深まると思います.
講座の詳細とお申込みは,朝カルのこちらの公式ページをご覧ください.See you again!
(以下,後記:2026/05/18(Mon))
今回の講座については Voicy heldio でも案内を放送しています.ぜひ「#1814. again を探って中英語原文の世界へ --- 5月23日(土)『古中初歩』による朝カルシリーズ第2回」をお聴きください.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
英語史の古典的名著 Baugh and Cable の第6版の英文を,helwa メンバーとともにゆっくりと超精読していく読書会を半定期的に開催しています.その毎回の読書会の様子を,Voicy heldio の音声メディアを通じて公開するシリーズを継続中です.2023年7月に開始してから3年弱が経ちましたが,第63節まで進んできています.
今朝の heldio にて,シリーズ最新回を配信しています.「#1796. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (63-5) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」です.明朝の heldio では,その続編となる「#1797. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (63-6) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」も配信予定ですので,合わせて2本に連動する形で本記事を公開します.
今回も,heldio/helwa コアリスナーでヘルメイトの Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)に精読会をリードしていただきました.いつもありがとうございます.数名のギャラリーとともに,いつもながらの深い読みを堪能することができました.
今回の精読対象の英文を以下に掲載します(Baugh and Cable, pp. 83--84) .B&C の第63節の第2段落の最初から,計1時間ほどかけて15文を読み進めました.
But abuses when bad enough have a way of bringing about their own reformation. What is needed generally is an individual with the zeal to lead the way and the ability to set an example that inspires imitation. King Alfred had made a start. Besides restoring churches and founding monasteries, he strove for twenty years to spread education in his kingdom and foster learning. His efforts bore little fruit. But in the latter half of the tenth century, three great religious leaders, imbued with the spirit of reform, arose in the church: Dunstan, archbishop of Canterbury (d. 988), Athelwold, bishop of Winchester (d. 984), and Oswald, bishop of Worcester and archbishop of York (d. 992). With the sympathetic support of King Edgar these men effected a genuine revival of monasticism in England. The true conception of the monastic life was inseparable from the observance of the Benedictine Rule. Almost everywhere in England this had ceased to be adhered to. As the first step in the reform, the secular clergy were turned out of the monasteries and their places filled by monks pledged to the threefold vow of chastity, obedience, and poverty. In their work of restoration the reformers received powerful support from the example of continental monasteries, notably those at Fleury and Ghent. These had recently undergone a similar reformation under the inspiring leadership of Cluny, where in 910 a community had been established on even stricter lines than those originally laid down by St. Benedict. Dunstan had spent some time at the Abbey of Blandinium at Ghent; Oswald had studied the system at Fleury; and Athelwold, although wanting to go himself, had sent a representative to Fleury for the same purpose. On the pattern of these continental houses a number of important monasteries were re-created in England, and Athelwold prepared a version of the Benedictine Rule, known as the Concordia Regularis, to bring about a general uniformity in their organization and observances. The effort toward reform extended to other divisions of the church, indeed to a general reformation of morals, and brought about something like a religious revival in the island.
このB&C読書会の過去回については,すべてアーカイヴからアクセスできます.各回へのリンクは「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) をご覧ください.ご関心のある方は,ぜひ本書を入手して,この精読会の配信回をお聴きいただければ.また,精読会に対面・オンラインで直接参加されたい方は,ぜひ Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル 「英語史の輪 (helwa)」にお入りください.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
私たちが日頃英語と呼んでいるものは,たいていイングランド南部の方言に基づいて発展してきた標準英語 (Standard English) にほかなりません.しかし,一歩視点を北へ転じ,スコットランドで話されてきた/いる英語変種 (Scots or Scottish English) に目を向けると,そこには標準英語のパラレルワールドというべき世界と歴史が広がっています.
本記事では,スコットランドに暮らした/暮らしている経験のある私の贔屓目が効いていることを認めつつ,なぜ Scots とその歴史について知っておくとよいのか,ポイントを整理してみたいと思います.
Scots とその歴史に注目すべき第1の理由は,Scots が標準英語を相対化するための鏡になり得るという点です.Scots は,イングランドの英語変種を除けば,古英語に直接由来する唯一の英語変種です.ある角度から評すれば,Scots は比較言語学的に English と最も近い言語といえるのです.私たちが学習の目標としている英語が現在の姿になったのは,歴史の必然ではなく,偶然の結果にすぎません.例えば,Scots では大母音推移 (gvs) が部分的にしか起こっておらず,house を古英語以来の音に近い [huːs] と発音したり,長音を表すのに <i> の母音字を添える独自の綴字習慣を持っていたりします.また,現在形の動詞には,主語の人称に限らず軒並み -is が現われるなど,Scots は文法面でも独自の変化を遂げてきています.歴史が異なっていれば,標準英語もあるいはこうなっていたかもしれない,という仮の姿を Scots に見ることで,私たちは標準英語を絶対視せず,斜めから眺める視点を手に入れることができるのです.
第2に,Scots の歴史は English の歴史に負けず劣らず,言語接触の効果を評価する格好の材料である,という点です.Scots の語彙や表現には,8世紀後半から11世紀のヴァイキング侵攻と関連する古ノルド語の影響,13--14世紀のスコットランド独立運動と関係の深いフランスとの「古来の同盟」(Auld Alliance)がもたらした独自のフランス借用語,そして15世紀に花咲いたラテン語を駆使した華麗な文体 (aureate diction) が刻み込まれています.さらに古くは,ケルト語の基盤もあるわけで,Scots はこの土地における英語史の複雑さを体現する存在となっているのです.
第3に,Scots には豊かな文学的伝統があります.Robert the Bruce や William Wallace といった中世の英雄に関する物語から,近代の夜明けである15--16世紀の Robert Henryson や William Dunbar などのスコットランドにおけるチョーサーを信奉する詩人たち,そして後期近代の国民的詩人 Burns や作家 Scott に至るまで,Older/Modern Scots で書かれた珠玉の作品が残っています.Scots を学ぶことで,このような言葉の宝ものを直接味わうことができる喜びは格別です.Scots 特有の音楽的な響きは,単なる情報伝達の道具を超えた言語の魅力を,私たちに教えてくれます.
さらにいえば,Scots の歴史はスコットランドという枠を超えて世界史ともつながっています.Scots-Irish がアメリカ移民史に果たした役割は,いうまでもなく重要です.また,近代日本に計り知れない政治的・経済的影響を与えた,Thomas Blake Glover をはじめとするスコットランドの起業家たちの足跡を考えるとき,彼らの背景にあった言語的アイデンティティを無視することはできません.Scots という英語変種には,国家アイデンティティと言語の関係,あるいは書き言葉と話し言葉が異なるメディアとしていかに機能するかという社会言語学的諸問題が凝縮されてといってよいでしょう.
Scots とその歴史を学ぶことは,単に1つの非標準英語変種に詳しくなることではありません.それは,英語という言語が示し得た別の可能性,パラレルワールドに思いを馳せ,言語接触,言語交替,規範化の過程を批判的に捉え直す機会でもあるのです.
以上,スコットランド贔屓の目線から書きました.お目こぼしを.関連して「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) も参照.
古英語の be 動詞については「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1]) をはじめ,多くの記事で話題を取り上げてきた.古英語 be 動詞のパラダイムは,補充法 (suppletion) の典型例であり,様々な語根に基づく語形が並列的に用いられていたという事情がある.とりわけともに直説法現在時制を担っていた eom 系列と bēo 系列とが,用法の点でどのように異なるのかが問題となる.相 (aspect) の点で相違があると言われることが多いが,今回は Campbell (§768; p. 350--51) の記述を読んでみることにする.
The distinction of the pres. indic. tenses eom and bēo is fairly well preserved in OE: bēo expresses what is (a) an invariable fact, e.g. ne bið swylċ cwenliċ þeaw 'such is not a queenly custom', or (b) the future, e.g. ne bið þe wilna gad 'you will have no lack of pleasure', or (c) iterative extension into the future, e.g. biþ storma ȝehwylċ aswefed 'every storm is always allayed' (i.e. on all occasions of the flight of the Phoenix, past and to come); eom expresses a present state provided its continuance is not especially regarded, e.g.wlitiġ is se wong 'the plain is beautiful'.
基本的な用法としては,eom 系列は「特に継続を意識せずに捉えられている現在の状態」を表わすのに対し,bēo 系列は「不変の事実」「未来」「反復」を表わす.文脈上,この差が明確に出ない事例もあることは確かだが,概ね2つの系列の用法が区別されていたと捉えてよいだろう.
ほかに命令法や不定詞の形態についても,bēon 系列と他の系列が並んで行なわれていた.しかし,以下の Campbell (§768; p. 51) の説明の通り,用法の違いというよりは方言の差異と捉えるべきものだという.
The distinction of the imperatives bēo and wes is one of dialect, not of meaning. Broadly bēo is W-S and Merc., wes (woes, wæs) North.; but while bēo is never North., wes is found in W-S and Merc. . . .
Similarly inf. bēon (bīon, bīan) is W-S and Merc., wosa North.; but Ru.1 has once wesa, Li. once bīan.
The subj. forms bēo and sīe (sēo) are also dialectally distinguished: sīe is eW-S, Kt., VP, North., bēo is Ru.1 But already in eW-S bēo appears, and in lW-S it is the prevailing form (it does not appear, however, in KG). In North, it only appears in Li. (twice).
・ Campbell, A. Old English Grammar. Oxford: OUP, 1959.

新年度が始まりました.今年度も「英語史をお茶の間に」広げていく活動「hel活」 (helkatsu) を精力的に展開してまいります.hellog 読者の皆様も,ぜひそれぞれの現場でhel活を推進していただければ幸いです.
昨年に引き続き,今年度の私のhel活の柱の1つとなるのが,恒例の朝日カルチャーセンター新宿教室でのオンライン講座です.シリーズ全体のタイトルは昨年のものを継承し「歴史上もっとも不思議な英単語」のままですが,少なくともこの春期クールについては「語源を探って古英語・中英語原文の世界へ!」という副題を添えて,少々装いを新たにスタートします.
昨年度は,1つの単語を掘り下げることで英語史のパノラマを展望するというスタイルでした.今期もその精神は受け継ぎつつ,そこに「原文の味読」という付加価値を加えたいと考えています.具体的には,去る2月25日に研究社より刊行された伝説的入門書,市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)を参考テキストとして活用します.
春期クールの公式の案内文は以下の通りです.
「なぜこの英単語は,こんな意味や使い方をするのか」.その答えは,現代英語の外にあります.春期は,古英語・中英語の短い原文を入口として,英単語の不思議な歴史を探ります.名名文を丁寧に読み解いたうえで,そこから英語史の話題へと縦横に広げていきます.原文に構えず,英語史の物語として楽しめる講座です.(注:市河三喜・松浪有『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)を参考テキストとし,そこから原文を選んで味読します.)
本講座の最大の特徴は,単なる語源解説にとどまらず,その語が実際に過去の文献でどのように息づいていたのかを,実際のテキストを通じて体験していただく点にあります.もちろん,これまで通り『英語語源辞典』や『英語語源ハンドブック』も頻繁に参照しながら,語源の深淵に迫っていきます.
春期クールは毎月1回,土曜日の 15:30--17:00 に開講されます.オンライン限定の講義ですので,全国どこからでもご参加いただけますし,2週間の見逃し配信もございます.予定されているラインナップは以下の通りです.
1. 4月25日(土):knight を探って中英語原文の世界へ
2. 5月23日(土):again を探って中英語原文の世界へ
3. 6月27日(土):ghost を探って古英語原文の世界へ
1週間後に開講される第1回は,中世騎士道でおなじみの knight を取り上げます.元々は「少年」や「従者」を意味していたこの語が,いかにして高貴な身分を指すようになったのか,中英語の原文に触れながらその意味変化を辿ります.
第2回は,日常語の again です.何の変哲もないように見えるこの語には,副詞や前置詞としての用法にとどまらず,多くの話題が隠されています.中英語期のテキストではどのように綴られ,用いられていたのでしょうか.
第3回は,現代では「幽霊」を指す ghost です.古英語期には「精神」や「魂」を意味していたこの語の変遷を,当時の格調高い原文とともに味わいましょう.
古英語や中英語の原文と聞くと,難しそうに聞こえるかもしれませんが,心配は無用です.「英語史の物語」を楽しむための材料として,私がナビゲートします.講座の詳細とお申込みは,朝カルのこちらの公式ページをご覧ください.
本シリーズの開講に向けて,Voicy heldio でも案内を放送しています.ぜひ「#1778. 4月25日(土)『古中初歩』による新年度の朝カルシリーズが始まります」をお聴きください.新年度,皆様と一緒に,原文とともに英語史の森を散策していくことを楽しみにしています.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.

「#6188. heldio 2026年第1四半期のベスト回を決めるリスナー投票 --- 4月12日までオープン」 ([2026-04-06-1]) でご案内したとおり,2026年の第1四半期(1月--3月)における Voicy heldio のベスト配信回を決めるリスナー投票を実施しました.4月12日をもって締め切らせていただきましたが,年度初めのご多忙な時期にもかかわらず,多くのリスナーの皆さんに温かい1票(最大10票)を投じていただきました.ご協力いただき,ありがとうございました.
投票結果がまとまりましたので,ここに報告いたします.本日の heldio でも「 #1781. heldio 2026年第1四半期のリスナー投票の結果発表」として音声で解説していますので,あわせてお聴きください.
今回のランキングは,正直にいうと,たいへん驚きました.一言でまとめれば「『古英語・中英語初歩』祭り」でした.伝説の教科書の復刊という大きなニュースが,リスナーの皆さんの学習意欲と見事にシンクロした結果と言ってよいでしょうか.以下に上位(得票率19%以上)の配信回を掲載します.
【 第1位(44%)】
「#1755. 『古英語・中英語初歩』より古英語 Early Britain の1節を精読する (1)」
【 第2位(37%)】
「#1751. 『古英語・中英語初歩』より古英語 Early Britain の1節を音読する」
【 第3位(33%)】
「#1758. 『古英語・中英語初歩』より古英語 Early Britain の1節を精読する (2)」
【 第4位(30%)】
「#1710. 『古英語・中英語初歩』試し読み部分の解説シリーズ (1) --- 古英語の母音」
「#1761. 『古英語・中英語初歩』より古英語 Early Britain の1節を精読する (3)」
「#1764. 『古英語・中英語初歩』より古英語 Early Britain の1節を精読する (4)」
【 第7位(26%)】
「#1716. 『古英語・中英語初歩』試し読み部分の解説シリーズ (3) --- 古英語の子音(後編)」
「#1720. 『英語のルーツ』文庫化記念 --- 唐澤一友さんとの対談 from 居酒屋KKH」
【 第9位(22%)】
「#1677. 2026年,英語史は飛躍します!」
「#1685. 表音文字,表語文字,表意文字」
「#1713. 『古英語・中英語初歩』試し読み部分の解説シリーズ (2) --- 古英語の子音(前編)」
「#1723. 『古英語・中英語初歩』新装復刊の裏にはヘルメイトたちのドラマがあった」
「#1742. 緊急対談 --- teach/taught に関する中学生の天才的指摘をめぐって」
【 第14位(19%)】
「#1705. khelf 寺澤志帆さんとの対談 --- 「『英語語源辞典』でたどる英語綴字史」200回記念」
「#1706. 伝説の教科書『古英語・中英語初歩』(研究社)が新装復刊」
「#1717. 天野優未さんの『英語語源ハンドブック』『はじめての英語史』実況中継がおもしろすぎる」
「#1722. 『古英語・中英語初歩』試し読み部分の解説シリーズ (4) --- 古英語の強勢」
「#174. ten と -teen」6
「#1750. 川上さんの「英語のなぜ5分版」やってます通信 --- 第28弾」
2026年第1四半期の結果を振り返りますと,なんといっても目立つのは,2月25日に研究社より新装復刊された『古英語・中英語初歩』に関連する諸々の回でした.「精読シリーズ」を筆頭に,ベスト10の半分以上がこの伝説的な教科書に関連する内容でした.音声だけで古英語を精読するという,いささか「攻めた」企画ではありましたが,リスナーの皆さんが紙面を片手に熱心に食らいついてくださったことがうかがえます.特に,復刊の裏側にあるドラマを語った「#1723. 『古英語・中英語初歩』新装復刊の裏にはヘルメイトたちのドラマがあった」や,通常はニッチと思われるような古英語の母音と子音を各々解説したシリーズも高い支持を得ており,単なる知識の習得にとどまらない「hel活」を評価していただいたものとして,受け取らせていただきました.
対談回も豊作でした.第7位には唐澤一友さんとの居酒屋対談「#1720. 『英語のルーツ』文庫化記念 --- 唐澤一友さんとの対談 from 居酒屋KKH」がランクイン.お酒の席ならではの(?)リラックスした雰囲気の中での英語史トークが,皆さんの耳に心地よく響いたのであれば,たいへん嬉しいです.また,第9位の「#1742. 緊急対談 --- teach/taught に関する中学生の天才的指摘をめぐって」は,中学生の鋭い観察眼に始まり英語史の深淵へと連なる,ワクワクの止まらない対談回として評価されました.
khelf(慶應英語史フォーラム)メンバーも活躍しており,「#1705. khelf 寺澤志帆さんとの対談 --- 「『英語語源辞典』でたどる英語綴字史」200回記念」が上位に入りました.また,「#1717. 天野優未さんの『英語語源ハンドブック』『はじめての英語史』実況中継がおもしろすぎる」も注目を集め,英語史の熱が周囲に広がっていることを感じます.
四半期の幕開けを飾った元旦の「#1677. 2026年,英語史は飛躍します!」も,支持をいただきました.そこで宣言した通り,この3ヶ月間はまさに飛躍の準備期間、あるいは助走期間であったように思います.古英語の精読に多くのリスナーが挑戦し始めたことは,今後のhel活にも大きな意味をもつことになりそうです.パーソナリティとしては感謝しかありません.
最後に,今回のリスナー投票に関する,コアリスナー ykagata さん の note 記事をご紹介します.投票期間の最終日の4月12日に「「heldio 2026年第1四半期のベスト回を決めるリスナー投票」に投票した」と題する記事を公開されました.パーソナリティとしてたいへん参考になり,かつ嬉しい記事でした.ありがとうございます.
2026年も早くも4分の1が過ぎました.今回のリスナー投票の結果をよくよく分析し,第2四半期も,リスナーの皆さんとともに様々な英語史の景色を眺めていければと思っています.引き続き heldio をよろしくお願いします!
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 唐澤 一友 『英語のルーツ』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉,2026年.
英語史の古典的名著 Baugh and Cable の第6版の英文を,Voicy heldio という音声メディアを利用して,超精読していくシリーズです.
今朝の heldio にて,10日前にお届けした回の続編を配信しました.「#1780. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (63-4) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」です.お読みいただいている hellog 記事は,この音声配信と連動した記事となっています.
今回も,ヘルメイトの Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)に精読会をリードしていただきました.いつもありがとうございます.久しぶりに,対面でのライヴ感あふれる読書会となっていますので,楽しくお聴きいただけるかと思います.ノリに乗って長く収録することになったので,heldio でも前半・後半の2回に分けてお届けしています.今回は後半となります.
今回の精読対象の英文を掲載しましょう(Baugh and Cable, p. 83) .B&C の第63節の途中の3文のみですが,じっくりと精読しています.
So few were there that I cannot remember a single one south of the Thames when I came to the kingship." A century later, Ælfric, abbot of Eynsham, echoed the same sentiment when he said, "Until Dunstan and Athelwold revived learning in the monastic life no English priest could either write a letter in Latin, or understand one." It is hardly likely, therefore, that many Latin words were added to the English language during these years when religion and learning were both at such a low ebb.
古英語原文からの現代語訳引用があり,少々読みにくい箇所ですが,いかに巧みに本文に組み込まれているかを精読によって味わえる箇所となります.また,超精読のためには背後にある原文(今回の場合には古英語原文)を意識することの大切さも感じられると思います.今回もたいへん実りのある読書会となりました.
このB&C読書会の過去回については,すべてアーカイヴからアクセスできます.「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) をご覧いただければ.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事「#6191. 明るい l と暗い l」 ([2026-04-09-1]) に引き続き,側音 /l/ に関する話題.英語史における /l/ のルーツ,あるいは主なソースについて,Cruttenden (204) より引用する.
Chief sources---PresE /l/ derives from OE [l,ll] (land, climb, all, tell, apple), from OE [hl], [xl] or [l̥] (loaf, ladder)---since OE front vowels tended to be diphthongized before /l/, it seems likely that /l/ in such a position was velarized in OE as it is today; from OF [l] (lamp, close, colour, veal, able). In many cases pre-consonantal [ɫ], especially after back or open vowels, was vocalized to [ʊ] (walk, talk, half, folk) in the early fifteenth century, such a pronunciation being commonly shown by the seventeenth-century grammarians; but in some cases (halt, salt, malt), it has been retained; in others, an /l/ has been re-introduced in spelling and pronunciation (fault, falcon, emerald, soldier, realm) or merely in the spelling (calm, palm, balm). The loss of /l/ in could, should, would occurred in eModE.
古英語期に,少なくともある環境では暗い [ɫ] が行なわれていた間接的証拠があるということだが,明るい [l] についてはどうなのだろうか.古くから RP のような分布で,明るい [l] も実現していたのか,あるいは英語史の途中からある変種における異音として分布し始めたのか.現代フランス語の /l/ が基本的に明るい [l] であることも考え合わせると,ポライトな調音としての明るい [l] が英語に導入されたということは考えられないのか./l/ の調音ひとつをとってみても,おもしろく英語史できそうだ.
・ Cruttenden, Alan. Gimson's Pronunciation of English. 6th ed. New York: OUP, 2001.
英語史の古典的名著である Baugh and Cable の第6版の英文を,Voicy heldio という音声メディアを利用して,「超」のつく精読でじっくりと解釈していく長期的な企画です.久しぶりの最新回となります.初回の配信は2023年7月17日だったので,かれこれ3年弱も続けていることになります.第63節に入っていますが,時代的にはまだまだ古英語期です.
最新回は,今朝の Voicy heldio にて「#1770. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (63-3) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」としてお届けしています.この hellog 記事も,heldio 配信と連動しています.
いつものようにヘルメイトの Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)とともに精読を進めています.今回も古英語の原文を現代語に翻訳しながら引用している箇所が続いているため,「裏読み」を楽しめる部分となっています.以下に,今回の精読対象の英文を掲載します(Baugh and Cable, p. 83) .
By the time of Alfred, things had reached such a pass that he looked upon the past as a golden age which had gone, "when the Kings who ruled obeyed God and His evangelists," and when "the religious orders were earnest about doctrine, and learning, and all the services they owed to God"; and he lamented that the decay of learning was so great at the beginning of his reign "that there were very few on this side of the Humber who could understand their rituals in English, or translate a letter from Latin into English, and I believe not many beyond the Humber.
今回も前回に引き続き,背後にある古英語原文を予想しながら読み進めました.Taku さんも,この点を強く意識して解釈されていました.精読に伴走していただいている方も,見え隠れする古英語原文に関心をもたれるのではないかと思われます.
配信内でも触れられているように,この背後にある古英語テキストを読む回なども,近いうちに配信したいと思っています.B&Cの精読のためには,寄り道であり回り道になりますが,そのような読み方こそ真の精読です.同じ heldio では『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』での古英語講座シリーズも展開していますので,そちらも追いかけていただいている方には,問題の古英語原文も必ず読み解くことができます.それによってB&Cの精読の味わいが何倍も深くなることを保証します.ぜひお付き合いいただければ.
さて,このB&C読書会の過去回は,(初期のものは有料配信となっていますが)すべてアーカイヴからアクセスできます.「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) をご覧ください.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
標題は,すでに「#1307. most と mest」 ([2012-11-24-1]) でも,OED の most (ADJECTIVE, PRONOUN, NOUN, & ADVERB)を参照しつつ触れたことがあるが,改めて OED の注記の解説をじっくり読んでおきたい.
Old English māst, the normal Old English development of the Germanic form, is attested only in Northumbrian, but it is not certain whether it existed only in that region. The vowel quality of the usual Old English form (West Saxon mǣst, Kentish mēst) is unusual. It may have been formed by analogy with lǣst least adj. (or perhaps by i-mutation from an earlier form in ā, although this presents phonological difficulties). The reflex of this form survived in the south until the 15th cent. The establishment of the (originally northern) form most as the only form in the midlands and south was probably due to the influence of the related mo adv.1 and more adj.
古英語 West Saxon 方言などで示される前舌母音は反対語である lǣst からの類推かもしれないと述べつつ,中英語南部方言などでも後舌母音が一般化してきた背景には,今度は mo, more からの類推があったのではないかと述べているなど,一貫した説明は難しいようである.
OED の注記には,母音の量に関する言及もあるので,参考までに引用しておく.
Some forms show early shortening of the vowel before the consonant cluster -st (e.g. masst in the β forms, must in the γ forms). Some early Middle English examples of mast from southern texts probably also show a shortening of Old English ǣ (compare α forms). Occasional forms (e.g. Older Scots mest, messt in the β forms) probably show the influence of early Scandinavian.
最上級接尾辞の -est は,「#6170. 形容詞の比較級 -er と最上級 -est の起源を求めて」 ([2026-03-19-1]) で見たように,起源となるゲルマン祖語における2つのタイプのうち前母音をもつ系列が一般化したものといってよい.一方,最上級を作る副詞 most は,むしろ後母音をもつ系列が一般化した.この対比は歴史の偶然だろうとは思われるが,古英語での -est と -ost の混在や,中英語での接尾辞としての -mest と -most の混同などの事実を念頭におくと,興味深い.
関連して,以下の記事も参照されたい.
・ 「#1320. LAEME で見る most の異形態の分布」 ([2012-12-07-1])
・ 「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1])
「#6170. 形容詞の比較級 -er と最上級 -est の起源を求めて」 ([2026-03-19-1]) 以来,-er とその周辺の起源と発達に関心を寄せている.現代英語の比較級を作る -er には,形容詞にせよ副詞にせよ,A と B と仮に名付けられている2つのゲルマン祖語のタイプに遡るとされる.
古英語の段階までに,形容詞の比較級接尾辞としては -ra が,副詞の比較級接尾辞としては -or が確立していたが,現代の -er は少なくとも一般的ではなかった.しかし,中英語になると,いずれの品詞についても比較級接尾辞は現代に直接つらなる -er が一般的になった.この一般化の過程に何があったのか.とりわけ形容詞の比較級接尾辞において r の前に e という母音が入ることになったのは,どのような経緯でなのだろうか.
OED の -er (SUFFIX3) の注記に,次のような記述があった.
Old English betera better adj. apparently preserves -era, but the word is an unusual case; compare the discussion at that entry. Later forms with epenthetic vowel, as -ere, -er develop in Middle English, but are rare in Old English.
Attested regularly formed adverbs continue type (ii) of the suffix, preserving the vowel before r in the final syllable (compare heardor harder), with very occasional reduction to -er in Old English. The adverbial and adjectival comparative endings merge in the course of Middle English.
この記述によると,形容詞の比較級接尾辞における e は "epenthetic vowel" とある.これは母音挿入の事実を述べているだけで,なぜどのように挿入されたのかについては述べていない.直前に挙げられている,betera に珍しく残されている e からの影響である,とも読めなさそうだ.そうすると,次の段落で言及されている副詞の比較級接尾辞 -or やその弱形である -er が,形容詞にとっての類推の基盤となった,という考え方があり得ることになろうか.
これまでの記事で,形容詞の比較級接尾辞の B タイプは,古い副詞語尾に由来するかもしれないとの仮説に触れた (Krahe 1965: §56) .また,副詞の最上級接尾辞の B タイプが,形容詞の対応する要素の中性単数対格の形にすぎないという記述もみた (Campbell §670; p. 277) .形容詞と副詞の間で類推の行き来が頻繁にあり得た前史を想定すると,中英語にかけての -er の一本化にも同じような行き来(今回は副詞から形容詞へ)があったと考えるのは,十分に自然なように思われる.
・ Campbell, A. Old English Grammar. Oxford: OUP, 1959.
・ Krahe, H. Germanische Sprachwissenschaft. II, Formelehre. Berlin: de Gruyter, 1965.
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