昨日の記事「#6284. 英語史を育んだ北海 --- だから私は泳いだ」 ([2026-07-11-1]) との関係も深い話題.
去る7月8日(水),「NPO 法人地球ことば村」のオンラインサロンにて,臨場感あふれる YouTube 対談動画が公開されました.お相手は,本ブログや Voicy heldio の「千本ノック」などの企画でお馴染みの英語史研究者小河舜さん(上智大学)と,私の同僚の井上逸兵さん(慶應義塾大学)のお2人です.
この収録自体は,2年ほど前,2024年10月31日の夜に,慶應義塾大学三田キャンパスの東館オープンラボにて行なわれたものです.私自身は,当夜は仕事の都合で対談本編には立ち会えなかったのですが,その後に催された熱い懇親会の席にはしっかりと滑り込み,英語史トークに花を咲かせたという良き思い出があります.今回はその対談の22分ほどの「ダイジェスト版」が公開されたということで,そのエッセンスをかいつまんで紹介しつつ,hellog 読者の皆さんにもぜひ動画を視聴していただければと思います.
対談の主たるテーマは,小河さんの主たる研究フィールドである「古英語」と「地名」です.
英語史における最大の画期といえば,誰もが忘れることのできない1066年のノルマン征服 (norman_conquest) ですが,それ以前の時代を指すのが古英語です.小河さんは,外から新しい言語話者がブリテン島にやってきたときに,既存の地名がどのように置き換えられたのか,あるいは塗り替えられずに痕跡を残したのか,という動態に関心を抱かれています.
動画内では,とりわけ8世紀以降にブリテン島へ侵入・定住したヴァイキング (viking) の母語である古ノルド語 (old_norse) に由来する地名が具体的に取り上げられています.現代の私たちが抱く「凶暴な海賊」というヴァイキングのステレオタイプは,実は18世紀以降の創作による後付けのイメージが多分に含まれており,実際には商人として定住し,アングロサクソン人とある程度言葉を通じ合わせながら共存していた側面も強かったという指摘には,目から鱗が落ちる方も多いのではないでしょうか.
そのヴァイキングの言語的痕跡として最も著名な地名要素が,Rugby などの地名に見られる -by 要素です.古ノルド語で「村」や「集落」を意味するこの要素は,イングランドの北東部に明らかに集中的に分布しており,当時のヴァイキングたちの勢力圏を雄弁に物語っています.
一方で,本来のアングロサクソン系の地名として優勢なのが,Washington や Newton などに見られる -ton 要素です.古英語の日常語としては「柵」や「囲われた場所」を意味する tūn という単語の縮約形ですが,これが日常言語として発展したのが,私たちが当たり前のように使っている town (町)というわけです.まさに日本の「〇〇町」という感覚と同じ最優勢の地名要素が,歴史の波に揉まれてきたのですね.
対談では,10世紀の歴史書にラテン語で記された地名表記から,アングロサクソン系の旧名 Norðworðig とヴァイキング系の新名 Derby が並置されている移行期・接触期の揺らぎが生々しく見えるという,文献学的な醍醐味も語られています.
さらに話題は,より古い層に属するケルト語由来の地名(とりわけ水にまつわる川の名前に多く残る Avon や Thames の逸話など)から,スコッチ・ウィスキーの「ジョニー・ウォーカー」 (Johnnie Walker) のロゴに隠された興味深い語源説にまで及びます.歩く姿のシルエットで有名なウォーカーという姓ですが,語源を遡れば「歩く人」とは全く無関係で,羊毛を圧縮する職業名やヴァイキングの言語に由来する可能性が高く,現代的な解釈(誤解)によって,あの闊歩する姿のデザインが生まれたというエピソードは,言語学・文化史的にも実に興味深い話題です.
地名や人名というものは,人間がその時代にその場所とどのような関わりを持っていたかを示すアイデンティティの証にほかなりません.22分の動画のなかに,英語史のロマンと固有名詞学の奥深さが凝縮された対談となっています.
hellog 読者の皆様におかれましては,ぜひ上掲の YouTube スクリーン,あるいはこちらの直接リンクより,この魅力的な対談動画をじっくりとご視聴いただければ幸いです.
5月30日(金),YouTube 「文藝春秋PLUS 公式チャンネル」にて,前後編の2回にわたり,「英語に関する素朴な疑問」に答えながら英語史を導入するトークが公開されました.フリーアナウンサーの近藤さや香さんとともに,計60分ほどお話をしています.
前編は「【know の K はなぜ発音しない?「英語史」で英語のナゼがわかる】国内唯一慶應だけの必修科目|古代英語はもはや別言語|500通り以上の綴りがある英単語|"憧れ"と"威信"が英語を変化させた」と題して,35分ほどお話ししました.動画を観る時間がない方のために,以下に文章としてお届けします.
今回のトーク番組(前編)では,英語史の魅力や学びのおもしろさを,特に現代英語が抱える様々な疑問と絡めながら,導入的に解説しています.hellog の読者の皆さんにも,きっと楽しんでいただける内容かと思います.
そもそも英語史とは,単に英語という言語の歴史を追うだけではありません.その言語を話してきた人々の社会や文化の歴史,つまりは世界史と密接に結びついた,実に奥深い分野です.私は英語史は「英語」と「歴史」であると考えています.
なぜ英語史を学ぶのでしょうか.それは,現代英語を学習するなかで誰もが抱く素朴な疑問,たとえば,なぜ3単現に -s がつくのか,なぜ不規則動詞はこんなにも多いのか,そしてとりわけ「なぜ英語の綴字と発音はこれほどまでに食い違うのか」といった問いに対して,歴史的な視点から実に鮮やかな説明を与えてくれるからです.私自身,学生時代にこの「腑に落ちる」感覚に魅了され,英語史研究の道へと進むことになりました.今回の番組では,このおもしろさの一端でもお伝えできればと思っています.
さて,番組の中心的な話題となったのは,英語の綴字と発音の乖離の問題です.英語の歴史は約1600年間ほどあり,大まかに古英語(449--1100年頃),中英語(1100--1500年頃),近代英語(1500--1900年頃),現代英語(1500--現在)の4期に区分されます.中英語であれば,訓練を積んだ英語ネイティブならなんとか読解可能ですが,古英語に至っては,用いられている文字も異なり,もはや外国語にしか見えないでしょう.
この長い歴史のなかで,綴字と発音の間にずれが生じる原因は多数ありました.番組では,主な要因を3つほど紹介しました.1つ目は,方言の混交です.特に中英語期には,イングランド内で多様な方言が話されており「標準語」というべきものが存在しませんでした.後の時代に標準化が進んでいく過程で,ある単語の綴字はとある方言から採用され,発音は別の方言から採用される,というようなミスマッチが生じたのです.例えば busy /ˈbɪzi/ という単語の <u> の綴字はイングランド西部方言に由来し,/ɪ/ という発音は北部方言に由来します.build の <ui> という綴字も,同様の混乱が生んだ産物です.
2つ目は,ルネサンス期の学者たちによる「お洒落」な改変です.16世紀,古典語であるラテン語やギリシア語への憧れから,教養ある学者たちが,単語の語源を綴字に反映させようと試みました.その結果,本来発音されない文字が,語源に倣って意図的に挿入されることになったのです.典型的な例が doubt の <b> (ラテン語 dubitāre に由来)や receipt の <p> (ラテン語 recepta に由来)です.当時の読み書きは知識階級の独占物だったため,彼らの決めた綴字が「正しい」ものとして定着してしまいました.そのような綴字は,教育を通じて世代から世代へと受け継がれ,一種の制度として固定化されていきました.綴字改革運動が繰り広げられることしばしばもありましたが,ほぼすべてが成功せずに現在に至ります.
3つ目は,自然な音変化です.know や knife の語頭の <k> が発音されないのは,この例です.かつては /kn/ と発音されていたこの子音連鎖が,17世紀末から18世紀にかけて弱まり,やがて /k/ の音が脱落しました.しかし,その音変化が完了するより前に綴字が固定化してしまっていたため,発音されない <k> が綴字においては現代に至るまで残存しているというわけです.
番組では,中英語期にとりわけ豊かな綴字のヴァリエーションを示した単語として through を挙げました.私が調査したところでは,この単語には実に516種類もの綴字がありました.また,古英語や中英語で用いられていた文字 <þ> (thorn) が,なぜわざわざ <th> という2文字の組み合わせに置き換えられてしまったのか,という話題にも触れました.これには,1066年のノルマン征服以降に英語に流入したフランス単語が放っていた威信が関係します.フランス語にはない文字 <þ> は「野暮ったい」とされ,フランス語風の <th> を用いるのが「お洒落」と見なされるようになったのです.言語の変化とは,必ずしも合理性や利便性だけで駆動するのではなく,こうした「ファッション」というべき非合理的な要因にも大きく左右される,実に人間臭い営みなのです.
このように,英語の歴史を紐解くことで,現代英語の不可解な側面に光を当てることができます.英語史の知識は,英語学習者が抱えるフラストレーションを,知的な好奇心へと転化させる力を持っているといえるのです.
今回の番組は,英語史の導入として,あるいは英語という言語への関心を深めるきっかけとして,多くの方にご覧いただければ幸いです.
1週間ほど前の10月26日に,今年度の朝日カルチャーセンター新宿教室でのシリーズ講座の第7回が開講されました.今回は「英語,フランス語に侵される」と題して,主に中英語期の英仏語の言語接触に注目しました.90分の講義では足りないほど,話題が盛りだくさんでした.対面およびオンラインで,多くの方々にご参加いただき,ありがとうございました.
その盛りだくさんの内容を,markmap というウェブツールによりマインドマップ化して整理してみました(画像としてはこちらからどうぞ).受講された方は復習用に,そうでない方は講座内容を垣間見る機会としてご活用ください.