昨日の記事「#1005. 平仮名による最古の「いろは歌」が発見された」 ([2012-01-27-1]) の最後で触れた通り,今回はルーン文字 (the runic alphabet) の変種について.
古代ゲルマン民族によって使われたルーン文字 (the runic alphabet) の起源については定説がないが,[2010-06-24-1]の記事「#423. アルファベットの歴史」で触れた通り,エトルリア文字から派生したという説がある.一方で,ギリシア文字 (the Greek alphabet) やローマ字 (the Roman alphabet) から派生したとする説もある.確かにわかっていることは,ゲルマン語話者が,紀元一千年紀前半に,自らの言語に適応させる形でルーン文字体系を発展させていたことだ.
ルーン文字は,800年頃までに北欧で用いられた初期ゲルマン・ルーン (the Early Germanic runic script) ,5--12世紀にブリテン島で用いられたアングロサクソン・ルーン (the Anglo-Saxon runic script) ,8--13世紀にスカンジナビアとアイスランドで用いられたノルディック・ルーン (the Nordic runic script) に大別される.初期ゲルマン・ルーンは24字からなり,最初の6字 <f>, <u>, <þ>, <a>, <r>, <k> をとって "fuþark" と称される.(以下,ルーン文字の図は『新英語学辞典』より.)
一方,ブリテン島に導入されて改良されたアングロサクソン・ルーンは,古英語の音韻体系を反映して文字を追加し,Salzburg Codex 140 に記録されているような28字の体系へ,そして古英語後期にはさらに拡大した33字からなる体系へと変容していった.また,ここでは第4字母 <a> が <o> へ,第6字母 <k> が <c> へ置き換えられており,アングロサクソン版ルーン文字は "fuþorc" とも呼ばれる.
このように,音標文字である限り,音韻の変化や変異を反映して,字母一覧が多少なりとも変化を被るというのは自然のことのように思われる.ルーン文字における24字 fuþark と33字 fuþorc の対比は,昨日の記事で取り上げたように,仮名における48字「あめつちの詞」と47字「いろは歌」の対比に相当するといえる.
しかし,音標文字にあってすら,音韻と文字の関係が必ずしも厳密ではないこと,音韻変化に文字体系が追いついて行かないこともまた,往々にして真実である.ルーン文字の場合でいえば,ノルディック・ルーンが表わしている古代北欧諸語は,古英語にもまして豊富な音韻をもっていたが,むしろ文字数としては減っており,最終的には16字にまで縮小した.その理由は今もって謎だが,音素と文字の関係が絶対的なものではなく,あくまで緩いものであることを示す好例だろう.仮名の「お」と「を」,「は」と「わ」,「え」と「へ」の関係,現代英語の spelling_pronunciation_gap の無数の例も,両者の関係の緩さを証明している.関連して,[2009-06-28-2]の記事「#62. なぜ綴りと発音は乖離してゆくのか」や [2011-02-20-1]の記事「#664. littera, figura, potestas」の記事を参照.
(後記 2013/03/18(Mon):以下は,デンマーク国立美術館で購入した絵はがきよりスキャンした24文字ルーン)
・ Encyclopaedia Britannica. Encyclopaedia Britannica 2008 Ultimate Reference Suite. Chicago: Encyclopaedia Britannica, 2008.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
[2010-06-24-1]の記事「#423. アルファベットの歴史」及び[2012-01-28-1]の記事「#1006. ルーン文字の変種」で,ルーン文字の起源に触れた.起源については不明な点も多いが,英語に残っているいくつかの語の語源から,ルーン文字文化のなにがしかについて知ることができる.
ルーン文字の書き方あるいは刻み方について示唆を与える語は,write である.この語は印欧祖語に遡る古い歴史をもっているが,「木または樹皮に傷をつけて,文字などを彫る」という語義をもっていた.類似する語義は,ドイツ語 reißen (引きちぎる)に残る.日本語でも「書く」は「掻く」に通ずる.
ルーン文字が秘術的に謎めいた文句を引っ掻くものだったとすれば,それを読み解く作業こそが read だったにちがいない.古英語 rǣdan には「(夢・なぞの)意味を読み取る,解釈する」の語義が認められ,単に「読む」というよりも「言い当てる」の含意が強い.この名残は,read one's mind, read the future, read a riddle などの表現に残る.最後の表現にある riddle 自体が,関連する古英語 rǣdels (謎)に由来し,同族目的語の構文といえる.14世紀に語尾の -s が複数語尾として異分析 (metanalysis) され,現在の形態の原型が作られた([2010-04-06-1]の記事「#344. cherry の異分析」を参照).
ルーン文字で掻いた(書いた)素材といえば,beech (ブナの木)だったかもしれない.母音交替を通じて book にも通じる可能性があることは,[2011-01-19-1]の記事「#632. book と beech」で触れた.
最後に,rune 自体の語源だが,伝統的には,古英語 rūn (ささやき,神秘,魔術)に由来すると解釈されてきた.しかし,「秘術」の connotation は,古ノルド語の対応する語にはあったとしても,古英語にはその証拠がない.古英語ではむしろ,キリスト教にすでに同化した語として「知識の共有」ほどの意味で用いられたとする説がある (Crystal 9) .古英語 rūn は現代英語では */raʊn/ となるはずだが,これは残っていない.実のところ,「ルーン文字」としての rune の初出は17世紀末のことで,北欧学者によるラテン語を経由しての再導入である.近現代では,rune は豊かで神秘的な connotation を得て,今なお人々の想像力をかき立てている.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
英語で記された現存する最古の文は,金のメダルに Anglo-Frisian 系のルーン文字 ( the runic alphabet ) で刻まれた短文である.1982年に Suffolk の Undley で発見された直径2.3cmの金のメダル ( the Undley bracteate ) に刻まれており,年代は紀元450--80年のものとされる.西ゲルマンの Angles, Saxons, Jutes らが大陸からブリテン島へ移住してきた時期に,かれらと一緒に海峡を渡ってきたものと考えられる.メダルの画像と説明は,The British Museum のサイトで見ることができる.
兜をかぶった頭の下で雌狼が二人の人間に乳を与えている.明らかに伝説のローマ建国者 Romulus と Remus の神話を想起させる図像だ.メダルの周囲,弧の半分ほどにかけてルーン文字が右から左に刻まれている.全体が3語からなる短い文で,語と語の区切りは小さな二重丸で示されている.ローマ字で転写すると以下のように読める.
( u d e m ・ æ g æ m ・ æg og æg )
= gægogæ mægæ medu
= ?she-wolf reward to kinsman
= This she-wolf is a reward to my kinsman
上のような試訳はあるが,詳細は分かっていない.特に最初の語 gægogæ は意味不明であり,怪しげな音の響きからして何らかの呪術的な定型句とも想像され得る.
これが,約1500年後に世界で最も重要となる言語の,現存する最古の記録である.
David Crystal も初めて見たときに涙を流して感動したというこのメダルについては,Crystal による解説(動画)と関連記事もお薦め.The British Library で11月12日から来年4月3日まで開かれている英語史展覧会 Evolving English: One Language, Many Voices の呼び物の1つです.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002. 181.
イングランド Norfolk にあるローマ時代に建てられた町 Caistor-by-Norwich より出土した火葬用の甕棺のなかから,ノロジカ (roe-deer) の骨で作ったサイコロ (astragalus) が発見されている(現在は Norwich の the Castle Museum に保管されている).同じ甕棺からは駒も発見されており,ともに遊具として用いられたものだろう.そこにルーン文字が記されているのだが,イングランドで発見されたルーン碑文としてはこれが最初期のものである.碑文には raihan と読める文字列があり,これは "roe-deer" を表わす語と考えられている.
この碑文のもつ意義はいくつかある.まず,H を表わすルーン文字に横棒が1本みられるが,これは2本の横棒を渡す Anglo-Frisia 系のルーン文字 (futhorc) と異なり,より北部起源のルーン文字 (futhark) であることを示唆する([2012-01-28-1]の記事「#1006. ルーン文字の変種」を参照).この横棒1本の H の書き手は,南デンマーク辺りから来た可能性がある.
次に,語形である.語中に現われる ai はゲルマン祖語の2重母音をとどめていると考えられ,ゲルマン語比較言語学上も重要な証拠となっている.なお,「ノロジカ」を表わす古英語の語形は roha であり,raihan はより古い段階におけるこの語の屈折形で "from a roe" ほどの意と想定される.このサイコロの材料を表わしているのだろう.ただし,この語を英単語とみなしてよいかどうかについては議論がある.
しかし,何よりも重要なのは,書かれた年代が紀元400年頃と推定されることだ.伝説的な449年の Anglo-Saxon 人のイングランドへの移動よりも数十年ほど前に,北西ゲルマンの伝統を受け継ぐ何者かが East Anglia の地に住んでいたらしいということになる([2010-05-21-1]の記事「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」を参照).
一方,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) で紹介した the Undley bracteate は,同じ East Anglia でも Suffolk から出土しているが,これは5世紀後半のものであり,Anglo-Frisia 系のルーン文字で書かれている.
両出土品のルーン碑文の含意するところは,対照的ということになる.両者の説明については,Crystal (12) も要参照.
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
8世紀前半,Northumbria で作られたとされる The Franks Casket を紹介する.1867年,大英博物館の考古学部門の学芸員だった Augustus Franks は,パリで購入していた鯨骨で作られた小箱を展示した.そのとき小箱の右側面は失われていたが,後にその側面がイタリアで発見され,現在はその鋳型がはめられた状態で大英博物館に所蔵されている.正面,両側面,背面,蓋には,ルーン文字による古英語やローマ字によるラテン語が刻まれており,そのテキストは彫られている絵柄とともにローマ,ユダヤ,キリスト教,ゲルマンの伝統を表わしており,キリスト教へ改宗して間もない当時のイングランドの移行的,混合的な文化を示唆する.
正面は,左と右にある2つの絵柄からなる.左にはゲルマンの伝説の Wayland the Smith が描かれ,右には東方の三博士が赤ん坊のキリストを崇拝している様子が描かれている.彼らの頭の上にはルーン文字で mægi と記されている.正面の縁には左下から時計回りにルーン文字で碑文が彫られているが,このテキストは古英語詩としては最古のものであり,内容は絵柄の説明ではなくなぞなぞ (riddle) となっている.テキストの読みについては議論があるが,ある解釈にしたがえば次のようになる(現代英語対訳つき).
fisc . flodu . ahof on fergenberig | the flood cast up the fish onto the cliff-bank | |
warþ gasric grorn þær he on greut giswom | the ghost-king was sad when he swam onto the shingle | |
hronæs banh | whale's bone |