hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新    

tabihel_scotland - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2026-10-02 05:00

2026-10-02 Fri

■ #6367. スコットランドの「運命の石」を見てきた --- The Stone of Scone [stone_of_scone][scotland][tabihel][tabihel_scotland][monarch][history]


Entrance to the Stone of Destiny gallery, Perth Museum



 「旅hel」 (tabihel) シリーズのスコットランド編.8月に Perth に滞在した折,2024年に開館したばかりの Perth Museum を訪れた.素晴らしい博物館だったが,何といっても目玉は The Stone of Destiny, or the Stone of Scone,すなわち「運命の石」あるいは「スクーンの石」の実物展示である.石そのものは撮影禁止だったので,上に掲げたのは石が収められている展示室への入口の写真である.
 Scone /skuːn/ は Perth 郊外の地名(お菓子の scone /skɑn, skəʊn/ とは発音が異なるので注意).以下,Encyclopaedia Britannica の "Stone of Scone" の項に拠りながら,この石の来歴を概観する (Ultimate Reference Suite. Chicago: Encyclopaedia Britannica, 2008.).
 石はスコットランド・ゲール語で Lia Fail とも呼ばれる.重さ152キロ,66x41x28cm ほどの直方体をした淡黄色の砂岩で,ほぼ確実にスコットランド産とされる.唯一の装飾はラテン十字のみという,一見すると何の変哲もない石の塊である.
 ところが,この石に付された伝説は壮大だ.ケルトの伝承によれば,この石は族長ヤコブがベテルで天使の幻を見たときに枕にしていたものだという.聖地からエジプト,シチリア,スペインを経て,紀元前700年頃にアイルランドに至り,歴代アイルランド王が戴冠した Tara の丘に据えられた.その後,スコットランドへ渡ったケルト系のスコット人がこれを持ち込み,840年頃に Kenneth MacAlpin が Scone の村へ運んだとされる.
 史実として確かなのは,Scone において石が戴冠用の椅子の座に組み込まれ,スコットランド王の即位に用いられたことである.この石の上で戴冠した最後のスコットランド王は,1292年の John de Balliol だった.1296年,イングランド王 Edward I がスコットランドに侵攻し,他の神器とともにこの石をロンドンへ持ち去る.1307年には Westminster Abbey に,石がその下に収まるように設計された戴冠椅子 (Coronation Chair) が作られた.イングランド王がスコットランド王をも兼ねることを示す象徴であり,スコットランドにとっては屈辱の印である.
 石には古来,予言を刻んだ金属片が付いていたとも伝えられる.Walter Scott による英訳は次の通り.

Unless the fates be faulty grown
And prophet's voice be vain
Where'er is found this sacred stone
The Scottish race shall reign.


 1603年,Elizabeth I が世継ぎなく没すると,スコットランド王 James VI がイングランド王 James I として即位し,この石の上で戴冠した(「#3134. James VI 作の「主の祈り」」 ([2017-11-25-1]) を参照).愛国的なスコットランド人は,石のある地をスコットランド人が治めることになったのだから,この予言は成就した,と語った.
 近現代にも物語は続く.1950年のクリスマスの朝,スコットランド民族主義者たち(グラスゴー大学の学生たちだった!)が石を Westminster Abbey から盗み出し,スコットランドへ持ち帰った.4か月後に回収されて Abbey に戻されたものの,1996年,英国政府はついに石をスコットランドへ返還した.その後 Edinburgh Castle での展示を経て,現在は Perth Museum に安住の地を得ている.
 実物を前にした感想を率直に述べれば,それだけを見せられたら,ただの無骨な石である.しかし,その歴史的背景を知ると,あまりに重い.歴史の詰まった王位の象徴であり,王室の神器なのだから.厳重に管理されているとはいえ,博物館に足を運べば誰でも実物を見学できるというのが素晴らしい.
 Perth は Edinburgh や Glasgow からも1時間ほどの閑静な町で,川や丘も美しい.スコットランドを訪れる際には,ぜひ足を延ばしていただきたい町である.
 スコットランドとイングランドの関係史は,Scots と English の関係史とも表裏一体であり,英語史の観点からも重要なトピックである..

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2026-08-18 Tue

■ #6322. スコットランドの入り口,駆け落ち婚の名所 Gretna Green のトイレ [onomastics][tabihel][semiotics][semantics][sociolinguistics][voicy][heldio][tabihel_scotland]


Gretna_Green_notice.jpg



 先日,イギリスを旅する機会があり,イングランドからスコットランドへと北上するルートをたどりながら「旅hel」 (tabihel) を実践してきました.その道中,イングランドとスコットランドの国境を越えてすぐの場所にあるスコットランド側の村,Gretna Green に立ち寄りました.スコットランドの玄関口に位置する村です.
 この村にある観光スポット Gretna Green Famous Blacksmiths Shop を訪れた際,立ち寄ったトイレの男女別表示に目が留まりました.通常の Men と Women などではなく,Groom (花婿)と Bride (花嫁)という文字で案内されていたのです.周囲にピクトグラムはなかったように思うのですが,いずれにせよこの単語の綴字が目に飛び込んできたため,「おや,どっちがどっちだったっけ」と一瞬考えつつ,正しく Groom のほうへ入りました.なぜこのような表示がなされているのでしょうか.
 その背景には,Gretna Green のユニークな歴史があります.1754年,Lord Hardwicke's Marriage Act (ハードウィック卿の結婚条例) が施行されました.これにより,イングランドおよびウェールズでは21歳未満の若者が親の承諾なしに結婚することが法的に厳しく制限されることになりました.ところが,国境を越えた北側のスコットランドでは婚姻に関する法律が緩やかで,若者同士の結婚が可能だったのです.
 そこで,イングランド側で若いカップルたちが国境を目指して北上し,最初に到達する村である Gretna Green へと駆け落ちして結婚の誓いを立てるようになりました.こうして,この村は「駆け落ち婚の名所」,ひいては「愛の聖地」として定着していったのです.村の鍛冶屋が金床を打って結婚式を取り仕切ったということです.
 現在でも多くの観光客やカップルが訪れる名所となっているようです.私が訪れたときにも,結婚式を終えたとおぼしき1組のカップルが芝生で写真を撮っていました.「愛の聖地」として,日本でも見られるようなラックに南京錠がぎっしりとかけられていました.


Gretna_Green_locks.jpg



 トイレの男女別表示における言語表現という点では,8月13日に heldio/helwa のコアリスナーである Grace さんが note 記事「どちらに入るか、それが問題だ。」で,日本料理のお店のトイレの表記「花子/太郎」を取り上げ,その記号論的な効果を考察されていました.固有名詞論 (onomastics) の観点からいえば,固有名詞それ自体には指示対象があるのみで記述的な意味論的意味はないと説明されるのが一般的ですが,一般名詞化して男性や女性を代表する記号として用いられると,文化的な連想や雰囲気を喚起する connotation を帯びるようになる,という点を指摘した,洞察に富む論考でした.
 今回の Groom と Bride の場合,単語そのものはもとより一般名詞ですが,通常の Men / Women の代わりに用いられることで,Gretna Green という土地の歴史的文脈を鮮やかに浮き彫りにする記号として機能しています.名詞の選択ひとつに,その土地の歴史が巧みに織り込まれている好例といえます.
 なお,本件については Voicy heldio にて「#1904. 駆け落ち婚の名所 Gretna Green のトイレの話し」と「#1905. wedlock 「結婚」の lock は「錠前」か?」で,関連する話題をお話ししていますので,ぜひそちらもお聴きください.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow