英語史におけるラテン語借用については,latin loan_word の幾多の記事で取り上げてきた.古英語期以前のラテン借用については,「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1]) で簡単な時代別の分類に触れ,いくつかの例を挙げたにすぎないので,今回はもう少し例を挙げてみたい.
Crystal (59--65) では,古英語以前のラテン語借用を,Serjeantson (Appendix A) にしたがって (1) 大陸時代,(2) c. 450--c. 650, (3) c. 650--c. 1100 と時代別に3区分している.以下に,それぞれの時代を代表する例をいくつか挙げよう.
(1) 大陸時代
belt (belt) < L balteus
butere (butter) < L butyrum
camp (field, battle) < L campus
candel (candle) < L candela
catt (cat) < L cattus
ceaster (city) < L castra
cetel (kettle) < L catillus
cupp (cup) < L cuppa
cycene (kitchen) < L coquina
cyse (cheese) < L caseus
draca (dragon) < L draco
mæsse (mass) < L missa
mil (mile) < L mille
minte (mint) < L menta
munuc (monk) < L monachus
mynster (minster) < L monasterium
panne (pan) < L panna
piper (pepper) < L piper
pise (pea) < L pisum
plante (plant) < L planta
port (door, gate) < L porta
port (harbour, town) < L portus
pund (pound) < L pondo
sacc (sack, bag) < L saccus
sinoð (council, synod) < L synodus
stræt (road) < L strata
tigle (tile) < L tegula
weall (wall) < L vallum
win (wine) < L vinum
ynce (inch) < L uncia
(2) c. 450--c. 650
cocc (cock) < L coccus
cugle (cowl) < L cuculla
cyrtan (to shorten, curtail) < L curtus
forca (fork) < L furca
fossere (spade) < L fossorium
græf (stylus) < L graphium
læden (Latin) < L ladinus (Vulgar Latin)
leahtric (lettuce) < L lactuca
mægester (master) < L magister
nunne (nun) < L nonna
pere (pear) < L pirum
pinsian (to reflect, consider) < L pensare
punt (punt, flat boat) < L ponto
relic (relic) < L reliquia
renge (spider) < L aranea
seglian (to seal) < L sigillare
segn (mark, sign) < L signum
stropp (strap) < L stroppus
torr (tower) < L turris
turl (ladle, trowel) < L trulla
(3) c. 650--c. 1100
alter (altar) < L altar
biblioþece (library) < L bibliotheca
cancer (crab) < L cancer
creda (creed, belief) < L credo
cucumer (cucumber) < L cucumer
culpe (guilt, fault) < L culpa
diacon (deacon) < L diaconus
fenester (window) < L fenestra
fers (verse) < L versus
grammatic (grammar) < L grammatica
mamma (breast) < L mamma
notere (notary) < L notarius
offrian (sacrifice, offer) < L offere
orgel (organ) < L organum
papa (pope) < L papa
philosoph (philosopher) < L philosophus
predician (preach) < L praedicare
regol (religious rule) < L regula
sabbat (sabbath) < L sabbatum
scol (school) < L scola
Serjeantson のリストによれば,(1) には183語,(2) には114語,(3) には244語が挙がっているが,各語の時代区分の正確性は必ずしも保証されておらず,額面通りに受け取るには注意を要する.だが,単語の意味領域について一般的にいえば,(1) は日常語を含む幅広い意味領域を覆っているが,(2) では宗教的な色彩が見え始め,(3) では宗教に加え学識を感じさせる単語が多い.キリスト教の伝来を契機に,ラテン借用語の質が変化したことを見て取ることができる.借用の媒介に関しても,(1) や (2) は主として話し言葉から入ったが,(3) は主として書き言葉を通じて流入したと想定される.
上記のリストでは,主に現代英語まで残ったラテン借用語を挙げてあるが,実際には現代英語にまで生き残らなかったものも多い.現代標準英語に残っているのは,約100語くらいのものである.大多数が後に死語となった背景には,中英語期に同義のフランス借用語が流入したという事情がある.新しくて格好のよいフランス語が,古めかしいラテン語に取って代わったのである.ただし,現代まで残っているラテン借用語の多くは,本来語彙と同じぐらい盤石に英語語彙に根付いている.
なお,古英語期以前に同一のラテン単語が2度借用された例もあるので,触れておこう.L calicem は "cup" の意味で最初に celc として,後に calic として古英語に借用された.同様の例を挙げる.
cliroc, cleric (cleric, clergyman) < L clericus
læden, latin (Latin) < L latinus
leahtric, lactuca (lettuce) < L lactuca
minte, menta (mint) < L menta
spynge, sponge (sponge) < L spongea
・ Crystal, David. The Stories of English. London: Penguin, 2005.
・ Serjeantson, Mary S. A History of Foreign Words in English. London: Routledge and Kegan Paul, 1935.
[2009-05-30-1]の記事で,6世紀にブリテン島にもたらされたキリスト教が,アングロサクソン人と英語に多大な影響を与えたことを見た.キリスト教は,布教の媒体であったラテン語とともに英語の語彙に深く入り込んだだけでなく,英語に alphabet という文字体系をもたらしもした.6世紀のキリスト教の伝来は,英語文化史的にも最重要の事件だったとみてよい.
興味深いことに,同じ頃,ユーラシア大陸の反対側でも似たような出来事が起こっていた.6世紀半ば,大陸から日本へ仏教という外来宗教がもたらされた.仏教文化を伝える媒体は漢語(漢字)だった.日本語は,漢字という文字体系を受け入れ,仏教関連語彙として「法師(ほふし)」「香(かう)」「餓鬼(がき)」「布施(ふせ)」「檀越(だにをち)」などを受容した.『万葉集』には漢語は上記のものなど少数しか見られないが,和歌が主に大和言葉を使って歌われるものであることを考えれば,実際にはより多くの漢語が奈良時代までに日本語に入っていたと考えられる.和語接辞と漢語基体を混在させた「を(男)餓鬼」「め(女)餓鬼」などの混種語 ( hybrid ) がみられることからも,相当程度に漢語が日本語語彙に組み込まれていたことが想像される.
丁寧に比較検討すれば,英語と日本語とでは文字や語彙の受容の仕方の詳細は異なっているだろう.しかし,大陸の宗教とそれに付随する文字文化を受け入れ,純度の高いネイティブな語彙体系に外来要素を持ち込み始めたのが,両言語においてほぼ同時期であることは注目に値する.その後,両言語の歴史で外来語が次々と受け入れられてゆくという共通点を考え合わせると,ますます比較する価値がありそうだ.
また,上に挙げた「餓鬼(がき)」「布施(ふせ)」「檀越(だにをち)」などの仏教用語が究極的には梵語 ( Sanskrit ) という印欧語族の言語にさかのぼるのもおもしろい.英語に借用されたキリスト教用語もラテン語 ( Latin ) やギリシャ語 ( Greek ) という印欧語族の言語の語彙であるから,根っことしては互いに近いことになる.(もっとも,究極的にはキリスト教用語の多くは非印欧語であるヘブライ語 ( Hebrew ) にさかのぼる).偶然の符合ではあるが,英語と日本語における外来宗教の言語的影響を比べてみるといろいろと発見がありそうだ.
・山口 仲美 『日本語の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2006年. 40--42頁.
英語にはラテン語からの借用語が大量に存在する.歴史的に見ると,これらのラテン借用語の流入にはいくつかの波がある.古英語期以前だけに限ってもその波は三つある.
(1) アングル人,サクソン人,ジュート人がまだ大陸にいた時代にラテン語と接したときの借用
(2) ブリテン島がローマ人に支配されていたときにケルト人が借用したラテン語を,後にアングル人,サクソン人,ジュート人がブリテン島において借用したもの
(3) ブリテン島に入ったアングル人,サクソン人,ジュート人が6世紀以降にキリスト教に改宗した際に借用したもの
(3)に属する借用語は,その歴史的経緯からキリスト教関係の用語が多い.現代英語にも豊富に残っているこれらの用語の例を挙げよう.
abbot 「修道院長」, altar 「祭壇」, angel 「天使」, anthem 「聖歌」, candle 「ろうそく」, canon 「法規」, cleric 「聖職者」, deacon 「助祭」, demon 「悪魔」, disciple 「使徒」, gloss 「注解」, grammar 「文法」, hymn 「賛美歌」, martyr 「殉教者」, mass 「ミサ」, master 「先生」, minster 「大寺院,大聖堂」, monk 「修道士」, noon 「九つの時(の礼拝)」, nun 「修道女」, palm 「しゅろ」, pope 「ローマ教皇」, priest 「司祭」, prophet 「預言者」, psalm 「賛美歌」, psalter 「詩篇」, school 「学校」, shrive 「告解する」, temple 「神殿」, verse 「韻文」
キリスト教の伝来が英語に及ぼした影響の大きさが垣間見える.
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