先日,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の「#1501. 「主の祈り」で味わう古英語の文体 --- Helvillian 7月号掲載,小河舜さんによる渾身の記事」でも語りましたが,これは改めて hellog 記事としても広く紹介しなければならないと思い,筆を執っています.hellog/heldio ではすっかりお馴染みで,先日刊行された『英語語源ハンドブック』でも校閲協力者として多大な貢献をしてくださった,上智大学の小河舜さんが,驚くべきコンテンツを公にしてくれました.
Helvillian は,heldio リスナーの有志によって制作・運営されているウェブマガジンで,先月末の6月28日に最新号となる7月号が公開されています(「#5911. ウェブ月刊誌 Helvillian の7月号が公開されました」 ([2025-07-03-1]) を参照).その特集は「古英語を嗜もう」という,英語史ファンには実に魅力的なお題でした.この特集にあたり,編集部が古英語研究を専門とする小河さんに白羽の矢を立てたのは,しごく当然のことだったと想像します.そして,その期待に小河さんは120%で答えてくれました.寄稿された記事「主の祈りで味わう古英語の文体」は,まさしく専門家の手による圧巻のコンテンツです.
この記事は,聖書の中でも最も有名な祈祷文である Lord's Prayer 「主の祈り」を題材としています.しかし,単に古英語訳を紹介し,文法的な解説を施すといった入門的な内容にとどまるものではありません.古英語後期を代表する2人の偉大な散文作家,Ælfric と Wulfstan が残した「主の祈り」のヴァージョンを丹念に比較し,そこから両者の文体,ひいては思想や個性の違いまでをも鮮やかに炙り出すという,極めて専門的かつスリリングな論考となっています.これこそ英語史や英語文献学の研究のコンテンツです.
Ælfric と Wulfstan は,同時代に活躍しながらも,その文体は対照的でした.Ælfric は,明晰で整然とした,いわば「教育的」な文章を得意としていました.一方,小河さんが注目している Wulfstan は,頭韻 (alliteration) や同義語の反復を多用し,畳みかけるようなリズムで聴衆の感情に直接訴えかける,情熱的な説教で知られています.小河さんの記事の白眉は,この2人の文体の差異が,「主の祈り」というごく短い定型文の翻訳にさえ,いかに色濃く反映されているかを具体的に解き明かしている点にあります.特に Wulfstan のテキストにみられる畳語法や強調表現の分析は,小河さんの研究の真骨頂であり,読んでいて知的な興奮を禁じ得ません.
この記事のさらに驚くべき点を指摘したいと思います.専門性の高さにもかかわらず,徹頭徹尾 heldio リスナーを中心とする英語史の学習者を読者として強く意識し,非常に平易で分かりやすい言葉で書かれている点です.導入として日本語訳や近代英語訳から説き起こし,巧みな構成で読者を古英語の世界へと誘っています.途中,古英語LINEスタンプに言及するような遊び心も忘れていません.
上記の heldio 配信では「90分,いや180分の大学講義に匹敵する価値がある」と述べましたが,決して誇張ではありません.これほどの質の高いコンテンツが,誰でもアクセスできる形で公開されているというのは,望外の幸運といってよいです.(誰も信じてくれないかもしれませんが)信じられないことです.
Helvillian は私が直接関わっているウェブマガジンではありませんが,趣旨に賛同し,応援している雑誌です.その意味で,小河さんの Helvillian への今回のご寄稿を,本当に嬉しく思います.ありがとうございました!
昨日の記事「#4353. 擬人法」 ([2021-03-28-1]) に引き続き,擬人法 (personification) について.昨日からもう少し調べてみているが,擬人法の言語学的な扱いはやはり少ないようだ.あくまで修辞学や詩学の領域にとどまっている.今回は『大修館英語学事典』 (844) より,詩語の1特徴としての擬人法の解説を引用する.伝統的で典型的な例が挙げられているので,参照用に便利.
擬人法
擬人法 (personification) も好んで用いられた技法である.言うまでもなく人間でないものを人間(時に神)にたとえて表現するものである.
a) 自然現象を神話の神の名で表現する
Zephyr (西風),Phoebus (太陽),Cynthia (月),Diana (月),Apollo (太陽),Neptune (海),Boreas (北風),Hesper (宵の明星),など.
b) 抽象名詞の擬人化
たとえば 'ambitious people' という時 'Ambition' にように表現するもので,一種の寓意的表現である.
Gladness danc'd along the sky---Thompson, Epithalanium (喜びは空を踊りながら進んで行った) / Let not Ambition mock their useful toils---Gray, Elegy Written in a Country Church-Yard (野心をして彼らの有益な労役を侮らせるなかれ) / O stretch thy reign, fair Peace---Pope, Windsor Forest (うるわしの平和よ,汝の領土を広げよ).
c) 地名または一般の事物の擬人化
That Thame's glory to the stars shall rise!---Pope, Windsor Forest (テムズの栄光よ星まで届け) / Thy forest, Windsor!---Pope, ibid. (汝の森,ウインザーよ) / And weary waves, withdraw[n]ing from the Fight, die lull'd and panting on the silent Shore (疲れた波は戦いより退きて,物言わぬ岸の上でなだめられ,あえぎながらその身を横たえる).
・ 松浪 有,池上 嘉彦,今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.
擬人法 (personification) は,文学的・修辞的な技法として知られているが,専門用語というよりは一般用語としても用いられるほどによく知られた用語・概念でもある.広く認知されているがゆえに,学術的に扱おうとするとなかなか難しい種類の話題かもしれない.
とりわけ言語学的に扱おうとする場合,どのようなアプローチが可能なのだろうか.この問題について本格的に考えたこともないので,まず取っ掛かりとして,種々の英語学辞典に当たってみた.最初は『英語学要語辞典』から.
personification 〔体〕(擬人化,擬人法) Fair science frowned not on his humble birth.---T. Gray, Elegy (美しき学問は彼の卑しい素性をいといはしなかった)のように,抽象概念や無生物に人間と同様の性質を与える修辞上の技巧.隠喩の一種で,英文学においては古英詩(特に謎詩)で用いられ始め,中世の道徳劇,寓意詩にもみられる.小説でもその用法は散見され,ゴシック小説では表現上の重要な特性とされている.なお,<+有生>など名詞の素性および選択規則という変形理論の適用により,擬人法を統一的に記述・説明することが可能である.
次に『新英語学辞典』より.
personification 〔修〕(擬人化,擬人法)
無生物や抽象概念を生物扱いしたり,感情など人間特有の性質を持つものとして表現する修辞技巧.擬人化は prosopropeia とも呼ばれ,隠喩 (METAPHOR) の一種で詩で古くから用いられた.Leech (1969) は 'an angry sky' や 'graves yawned' のように,無生物に生物の属性を付与するものを the animistic metaphor, 'this friendly river' や 'laughing valeys' のように,人間以外のものに人間特有の性質を付与するものを the humanizing [anthropomorphic] metaphor と名づけている.I. A. Richards (1929) が指摘しているように,人間以外の生物や無生物に対して抱く感情や思考は,人間相互の感情や思考と共通するもので,従って日常の言語ではもっぱら人間について用いる形容詞・動詞・代名詞を人間以外のものに適用するのはきわめて自然と言えよう.
擬人化は中世の寓意詩にまで遡ることができるが,その伝統を受けついだ Milton は "all things smil'd, With fragrance and with joy my heart oreflowd"---Paradise Lost 8: 265--66 のように,この修辞法を好んで用いた.擬古典主義の時代に入ると,Thomas Parnell, Richard Savage, Edward Young など,18世紀の詩人の言語の大きな特色となり,ますます装飾的な性格を帯びるようになった.しかし,やがてロマン派が台頭し,'the very language of men' を詩の言語たらしめることを標榜した Wordsworth は,慣習的な擬人化を 'a mechanical device of style' として斥けた (Preface to Lyrical Ballads, 1798).
このように,擬人化は詩の言語の伝統的手法であって,散文における比喩表現は直喩 (SIMILE) の形式をとるのがふつうであるが,詩的な散文では効果的に用いられることがある.例えば,Thomas Hardy が Egdon Heath を描写している次のパラグラフでは,観察者の存在を暗示する appeared, seemed, could be imagined 以外の動詞は,闇夜の荒野を擬人化して描き出している: The place became full of watchful intentness now; for when other things sank brooding to sleep the heath appeared slowly to awake and listen. Every night its Titanic form seemed to await something; but it had waited thus, unmoved, during so many centuries, through the crises of so many things, that it could only be imagined to await one last crisis---the final overthrow.---The Return of the Native. Bk. I, Ch. I.
英語における擬人法は,上記の通り,およそ修辞学的・文学史的な観点から話題にされてきたものであり,言語学的・意味論的なアプローチは稀薄だったように思われる.そもそも後者のアプローチとしては,どのようなものがあるのだろうか.探ってみる必要がありそうだ.関連して,「#2191. レトリックのまとめ」 ([2015-04-27-1]) の「擬人法」を参照.
・ 寺澤 芳雄(編) 『英語学要語辞典』 研究社,2002年.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
「#3419. 英語ことわざのキーワード」 ([2018-09-06-1]) と「#3420. キーワードを含む英語ことわざ」 ([2018-09-07-1]) に引き続き,英語ことわざの話題.安藤邦男(著)『ことわざから探る 英米人の知恵と考え方』の紹介ページより取り出した866件の英語ことわざについて,その文体的・語彙的な特徴を数字で示してみたい.特徴を浮き彫りにするには,英語ことわざコーパスを,より大きな一般的なコーパスと比較する必要があるので,昨日と同様に100万語規模の British English 06 (BE06) を使用した.結果として,次のような基本的な統計値が得られた. * *
Corpus | Proverbs | BE06 |
---|---|---|
tokens (running words) in text | 6,276 | 1,011,020 |
types (distinct words) | 1,616 | 45,298 |
type/token ratio (TTR) | 25.75 | 4.48 |
standardised TTR | 45.25 | 43.90 |
STTR std.dev. | 46.42 | 54.62 |
STTR basis | 1,000 | 1,000 |
mean word length (in characters) | 4.09 | 4.69 |
word length std.dev. | 1.92 | 2.58 |
sentences | 869 | 53,466 |
mean (in words) | 7.22 | 18.91 |
std.dev. | 2.86 | 14.38 |
1-letter words | 292 | 38,775 |
2-letter words | 1,020 | 168,273 |
3-letter words | 1,345 | 205,211 |
4-letter words | 1,370 | 166,961 |
5-letter words | 996 | 110,856 |
6-letter words | 553 | 88,195 |
7-letter words | 359 | 79,174 |
8-letter words | 163 | 56,645 |
9-letter words | 96 | 39,767 |
10-letter words | 53 | 26,170 |
11-letter words | 17 | 15,493 |
12-letter words | 6 | 8,208 |
13-letter words | 4 | 4,557 |
14-letter words | 1 | 1,687 |
15-letter words | 1 | 623 |
「#1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観」 ([2012-03-31-1]),「#2013. イタリア新言語学 (1)」 ([2014-10-31-1]),「#2014. イタリア新言語学 (2)」 ([2014-11-01-1]),「#2019. 地理言語学における6つの原則」 ([2014-11-06-1]) に引き続き,目下関心を注いでいる言語学史上の1派閥,イタリア新言語学派について話題を提供する.Leo Spitzer は,新言語学におおいに共感していた学者の1人だが,学術誌上でアメリカ構造主義言語学の領袖 Leonard Bloomfield に論争をふっかけたことがある.Bloomfield は翌年にさらりと応酬し,一枚も二枚も上手の議論で Spitzer をいなしたという顛末なのだが,2人の論争は興味深く読むことができる.
Spitzer は,言語変化の源泉として "expressivity" (表現力)への欲求があるとし,新言語学の主張を代弁した.とりわけ「民族の自己表現としての文体」という概念を前面に押し出す新言語学派の議論は,言語学の科学性を標榜する Bloomfield にとっては受け入れがたい主張だったが,Spitzer はあくまでその議論にこだわる.例えば,ラテン語からロマンス諸語へ至る過程での音韻変化 e -- ei -- oi -- ué -- uá は,ラテン語 e をより表現力豊かに実現するために各民族が各段階で経てきた発展の軌跡であると議論される.この過程において,León や Aragon では揺れの時期が長く続いたのに対し,Castile では比較的早くに ué の段階で固定化したが,これは前者が後者よりも言語的に "chaotic" であり, より "restlessness" と "anarchy" に特徴づけられていたからであると結論される (Spitzer 422) .別の議論では,Hitler の Deutche Volksgenossen の発音における2つの o が a に近い低舌母音として実現されていたことを取り上げ,そこには Hitler が自らのオーストリア訛りを嫌い,標準的な「良き」ドイツ語方言を志向したという背景があったのではないかと論じている.つまり,ドイツ民族主義に裏打ちされた過剰修正 (hypercorrection) という主張だ (Spitzer 422--23) .
確かに,非常に民族主義的でロマン主義的な言語論のように聞こえる.しかし,近年の社会言語学では同類の現象は accommodation (特に負の accommodation といわれる diversion; cf. 「#1935. accommodation theory」 ([2014-08-14-1]))などの用語でしばしば言及される話題であり,それが生じる単位が個人なのか,あるいは民族のような集団なのかの違いはあるとしても,現在ではそれほどショッキングな議論ではないようにも思われる.新言語学派は,後の社会言語学や地理言語学の重要な話題をいくつか先取りしていたといえる.
Spitzer は,音韻変化のみならず意味変化においても(いや,意味変化にこそ),"expressivity" の役割の重要性を認めている.より具体的には,言語革新は,"expressivity" に始まり,"standardization" を経た後に,再び次の革新へと続いてゆくサイクルであると考えている.
Moreover in the field of semantics as in that of phonology the same cycle may be noted: first there is the period of creativity in which an individual innovation develops in expressivity, and expands; this period is followed in turn by one of standardization and petrification---which again brings about innovation and expressivity. Historical semantics offers us many parallels of the endless spiral movement in which words that have ceased to be expressive give way to others. (Spitzer 425)
この議論は,言語に広く見られる「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) で見たような言語変化の反復と累積の事例を想起させる.このような点にも,いくつかの種類の言語変化を1つの言語観のもとに統一的に説明しようとした新言語学の狙いが垣間見える.
話者(集団)の "expressivity" への欲求を言語変化の根本原理として据えている以上,新言語学派が音韻よりも語彙,意味,文体に強い関心を寄せたことは自然の成り行きだった.実際,Spitzer (428) は,言語学の課題は重要な順に,文体論,統語論(=文法化された文体論),意味論,形態論,音韻論であると説いている.
・ Spitzer, Leo. "Why Does Language Change?" Modern Language Quarterly 4 (1943): 413--31.
・ Bloomfield, Leonard. "Secondary and Tertiary Responses to Language." Language 20 (1944): 45--55.
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