1786年,Sir William Jones (1746--1794) が,自ら設立した the Asiatic Society の設立3周年記念で "On the Hindu's" と題する講演を行った.これが比較言語学の嚆矢となった.Jones の以下の一節は,あまりにも有名である.
The Sanskrit language, whatever be its antiquity, is of a wonderful structure; more perfect than the Greek, more copious than the Latin, and more exquisitely refined than either, yet bearing to both of them a stronger affinity, both in the roots of verbs and the forms of grammar, than could possibly have been produced by accident; so strong indeed, that no philologer could examine them all three, without believing them to have sprung from some common source, which, perhaps, no longer exists. (emphasis added)
Jones の洞察の鋭さは,赤字にした三点に見いだすことができる.
(1) Greek,Latin,その他のヨーロッパ語が互いに言語的に関係しているという発想は当時でも珍しくなかった.ヨーロッパの複数の言語を習得している者であれば,その感覚はおぼろげであれ持ち合わせていただろう.だが,Latin, Greek, Hebrew, Arabic, Persian など東洋の言語を含めた多くの言語(生涯28言語を学習したという!)を修めた Jones は,ヨーロッパ語を飛び越えて Sanskrit までもが Latin, Greek などと言語的に関係しているということを見抜くことができた.現代でも,英語(母語人口で世界第二位)とヒンディー語(第三位)が言語的に関係していることを初めて聞かされれば度肝を抜かれるだろうが,Jones の指摘はそれに近い衝撃を後世に与えた.言語ネットワークの広がりがアジア方面にまで伸長したのである.
(2) Jones 以前にヨーロッパ語どうしの言語的類縁に気づいていた人は,主に語彙の類縁のことを話題にしていた.ところが,Jones は文法(特に形態論)どうしも似ているのだと主張した.言語ネットワークに深みという新たな次元が付け加えられたのである.
(3) Jones 以前には,関連する諸言語の生みの親は現存するいずれかの言語だろうと想像されていた.しかし,Jones は鋭い直感をもって,親言語はすでに死んで失われているだろうと踏んだ.この発想は,言語ネットワークが時間という次元を含む立体的なものであり,消える言語もあれば派生して生まれる言語もあるということを前提としていなければ生じ得ない.
Jones 自身はこの発見がそれほどの大発見だとは思っていなかったようで,その後,みずから実証しようと試みた形跡もない.Jones の頭の中に印欧語の系統図([2009-06-17-1])のひな形のようなものがあったとは考えにくいが,彼の広い見識に基づく直感は結果として正しかったことになる.
今日は,印欧語族のなかで,ゲルマン語派を他の語派と区別する特徴について教科書的な説明を施す.印欧語族の系統図については[2009-06-17-1]で示したが,ゲルマン語派の部分を拡大したものを下図に示そう.

ゲルマン語派の特徴として5点を挙げる.
(1) 形容詞に強変化 ( strong declension ) と弱変化 ( weak declension ) の二種類の屈折がある
強変化型の屈折は印欧祖語から継承したものだが,ゲルマン語派では新たに弱変化型の屈折を独自に発達させた.弱変化型の屈折は /n/ 音を示すのが特徴で,主に決定詞([2009-09-30-1], [2009-09-28-1])に先行される統語環境で用いられた.
・強変化: gōde menn "good men"
・弱変化: þā gōdan menn "the good men"
(2) 動詞に現在と過去の二種類の時制がある
ゲルマン語派は,印欧祖語の複雑な時制体系から現在時制と過去時制の二種類だけを継承した.現代英語における「未来」は,形態上は時制とはいえず,後に will などの助動詞を用いて作られる迂言的な疑似時制である.また,現在時制で未来のことを現すことができるため,過去時制と非過去時制の二種類が存在すると想定するほうが適切かもしれない.
(3) 動詞に強変化 ( strong conjugation ) と弱変化 ( weak conjugation ) の二種類の活用がある (see [2009-10-22-1])
強変化型の活用は印欧祖語から継承したものだが,ゲルマン語派では新たに弱変化型の活用を独自に発達させた.強変化型では,過去形・過去分詞形が母音交替 ( Ablaut or gradation ) によって形成され,過去分詞形には -en 語尾が付加されるが,弱変化型では,過去形・過去分詞形に歯音接尾辞 ( dental suffix ) である /d/ や /t/ が付加されるのが特徴である.
(4) 語幹の第1音節に強勢がおかれる
印欧祖語では語には高低アクセント ( pitch accent ) がおかれたが,ゲルマン語派では強勢アクセント ( stress accent ) がおかれるようになった.その際,印欧祖語ではアクセントの位置は語の内部で移動し得たが,ゲルマン語派ではアクセントは接辞を除いた語幹の第1音節に固定化した.この固定アクセントは活用や派生によっても揺るがされることはない.
・ゲルマン語由来の語群: lóve, lóves, lóved, lóving, lóver, lóvely, lóveliness, lóvable, lóvelessness, unlóveliness
・ロマンス語由来の語群: compáre, cómparable, comparabílity
(5) 第一次ゲルマン子音推移を経た (see [2009-08-08-1], [2009-08-09-1])
ゲルマン語派は,印欧祖語から First Germanic Consonant Shift と呼ばれる規則的な子音推移を経た.そのなかでグリムの法則 ( Grimm's Law ) が特に有名だが,この一連の子音推移は,紀元前4世紀以降に起こったと推定されている.
・宇賀治 正朋著 『英語史』 開拓社,2000年. 7--16頁.
昨日の記事[2009-10-14-1]で,guest と host が形態的には印欧祖語の同語根にさかのぼることを示した.だが,現代英語での意味はそれぞれ「客人」と「主人」であり,まさに反義である.今日は,本来は同じ語である guest と host が,なぜ意味の違いを生じさせたのかを考えてみたい.
印欧祖語における *ghostis の意味を再建するのは形態を再建するよりも難しいことだが,ラテン語に伝わった hostis という語の意味が参考になる.ラテン語の hostis の意味は "a stranger, foreigner; an enemy, foe, public enemy" であり,「見知らぬ人」を原義としてもつと考えていいだろう.「見知らぬ人」からは,見方によって様々な意味が派生してくる.まずは,「見知らぬ人」=「怪しい人」という発想がある.この発想により「敵」の意味が生まれ,そこから派生した hostage, hostile, hostility などの語は英語へも借用された.
一方,「見知らぬ人」=「異国人」という発想がある.ある人が自分にとって「異国人」である場合,自分自身もその人からみれば「異国人」である.古代・中世ヨーロッパには,外国からやってきた旅人をもてなす習慣があった.逆に,自分が旅人となって外国を訪れるときには,もてなされる立場となった.こうした客人接待制度においては,同一人物が,あるときには host 「主人」に,あるときには guest 「客人」になりえた.両者に共通しているのは,客人接待制度の会員として,互いに「もてなし」合うという関係である.この発想から *ghostis を定義すると,"someone with whom one has reciprocal duties of hospitality" ということになる.この語義に基づき,ラテン語では「もてなし」を軸とした意味の発展と語の派生がおこなわれることとなった.その結果,hospice, hospitality, hospital, hostel, hotel などの語が生じ,のちに英語へも借用された.
以上の観点からすると,「主人」も「客人」も,客人接待制度の会員である点では変わらない.場合によって役割を交代することがあるだけである.印欧祖語でもともと単一だった語が,英語では,グリムの法則や借用を通じて,異なった意味をもつ別々の語として併存することとなった.guest と host の語源をひもとくと,単語が歴史を背負って成長してきたことが,あらためてよく分かる.
現代英語では,guest 「客人」と host 「主人」は反義 ( antonym ),特に関係的反義 ( converse ) の関係にある.しかし,驚くことに,印欧祖語までさかのぼると両単語は同根である.同根ならば,(1) なぜ形態の違いが生じたのか,(2) なぜ意味の違いが生じたのか,が問題になる.今日は,形態の違いに注目したい.
印欧祖語での形は *ghosti- として再建される.これがゲルマン祖語では,グリムの法則 ( Grimm's Law ) に従って *gastiz へと発達した([2009-08-09-1]).ここから古英語へは,[2009-10-12-1]で取り上げた palatalisation を経て,giest として伝わった.古英語での発音は /jiest/ であるから,これが現代英語 guest /gɛst/ の直接の起源とは考えられない.むしろ,昨日の記事 [2009-10-13-1]で見た get や give の例と同様に,palatalisation を経ていない /g/ 音を保っていた古ノルド語の対応形 gestr が英語へ借用され,本来語の giest を置き換えたと考えるべきである.
一方,印欧祖語の *ghosti- は,非ゲルマン系であるラテン語へは hostis として伝わった.この hostis が古仏語 hoste を経由し,host として英語へ借用された.こうして,印欧祖語までさかのぼれば同一の語にすぎないものが,いったん二手に分かれ,のちに英語のなかで guest と host として再び合流したのである.両語ともに,嫡流の本来語を脇目に英語に入り込んだ,傍流の借用語ということになる.

[2009-08-06-1]の記事で,100年ほど前に,印欧語族の centum グループに属すると証明されたトカラ語 ( Tocharian ) について簡単に触れた.トカラ語について,少し調べてみた.
1890年代に紀元6?8世紀のものとされるトカラ語の記された仏教文献が,中国の新疆ウイグル自治区 ( Uygur Autonomous Region of Xinjiang ) で発見された.(新疆ウイグル自治区といえば,一ヶ月ほど前に大規模暴動があったばかりなので記憶に新しいだろう.)
この地では,現在では主としてアルタイ語族 ( Altaic ) のチュルク語派 ( Turkic ) の言語であるウイグル語 ( Uighur ) が話されている.どうも,このウイグル語が10世紀くらいまでにトカラ語を滅ぼしたようだ.
この地からのトカラ語文献の発見は,かつてここに印欧語族の担い手が居住していたことを示唆し,歴史的に大変に興味深い発見であるが,比較言語学的にも同じくらい興味深い疑問を提供してくれている.その一つは,印欧語圏では最も「東」に位置していながら,言語的には「西」的な特徴を示す centum グループに属していることである.語彙的には satem グループのイラン語派やサンスクリット語の影響を受けていながらも,音韻的には明らかに centum グループと関連づけられることは,「百」を表す語が Tocharian A では känt,Tocharian B では kante であることからも知られる([2009-08-05-1]).だが,centum グループのどの語派と類縁関係があるのかはよくわかっていない.
Despite its historical position on the eastern frontier of the Indo-European world and the obvious lexical influence of Indo-Aryan and Iranian, Tocharian seems more closely allied linguistically with languages of the Indo-European northwest, particularly Italic and Germanic, in the matter of common vocabulary and certain verbal categories. To a lesser extent Tocharian appears to share certain features with Balto-Slavic and Greek. ( Tocharian languages. Encyclopaedia Britannica. Encyclopaedia Britannica 2008 Ultimate Reference Suite. Chicago: Encyclopaedia Britannica, 2008. )
上に挙げた Tocharian A,Tocharian B というのは,それぞれ別名で East Tocharian,West Tocharian と呼ばれるが,タリム盆地 ( Tarim Basin ) の東に位置するトルファン ( Turfan ) と西に位置するクチャ ( Kucha ) のそれぞれで発見された文書の言語に与えられた暫定的な名称である.下の地図は,Turfan と Kucha のおよその位置を示したものである.

Tocharian A と B は互いに方言関係にあるとも言われるが,別の有力な説によれば,A は仏典にのみ用いられ言語的に体系化されているため仏典用の文語であり,B は仏典以外の商用文書にも用いられていることから口語であるともされる.A で書かれた写本と B で書かれた写本が合わせて東の僧院から発見されており,これは西側出身の僧が,古い教えの上に乗る形で,新しい布教を主導した可能性を示唆する.
一つの発見によって,様々な角度から検証が加えられ,少しずつ歴史が解明されてゆく.まさに,比較言語学のロマンである.
昨日の記事[2009-08-05-1]で,印欧語族が satem グループと centum グループに大きく二分されることを紹介した.centum グループは英語を含めたヨーロッパの主要言語の大半を含むグループだが,語派の名前としてリストアップした Tocharian 「トカラ語派」と Anatolian 「アナトリア語派」は聞き慣れないのではないだろうか.実際に,本ブログでかつて掲載した印欧語の系統図([2009-06-17-1]やFlashで遊べる図)にも,この二つの語派は含まれていない.
実は,この二つの語派は比較的最近になってから発見され,新たに印欧語族の仲間入りを果たした新参者である.トカラ語は,19世紀末に発見された紀元6?8世紀のものとされる仏教論文のなかで,サンスクリット語 ( Sanskrit ) と並んで筆記されていた言語である.発見された場所は,なんと現在の中国の新疆地区である.発見された当初は,何語か見当もつかなかったようだが,後の研究でこの言語は正式に印欧語族の一員,特に centum グループの一員であることが証明された.だが,その子孫となる言語は現在では存在せず,そもそもどんな人々が話していたのか,いまだに分かっていない.そして何よりも興味深いのは,明らかに地理的には「東」に位置するが,比較言語学的には「西」の centum グループに属することである.従来の satem -- centum という印欧語族の二大区分に一石を投じることになるのか,あるいはもともと西に分布していたトカラ語の担い手が東へ民族移動したということなのか.比較言語学,歴史学,考古学を巻き込んでの謎解きが始まっている.
アナトリア語派についていえば,最も有名な言語は,古代ヒッタイトの言語たるヒッタイト語 ( Hittite ) だろう.20世紀初頭,現在のトルコのボガズキョイ(古代ヒッタイトの首都)にて,セム語族に属するアッカド語 ( Akkadian ) とともに,粘土板にくさび形文字で記された言語が発見された.この言語は,後に centum グループの印欧語であることが証明された.古代ヒッタイトは紀元前1900?1200年頃に栄えた王国であり,これほど古い段階の印欧語の証拠が文書として現存している例は他にない.
ヒッタイト語では「水」を <wa-ta-ra> と表記していたという.これまた驚きだ.比較言語学の知見がもたらすロマンの世界を垣間見た気がする.
本ブログの記事も100本目となった(お知らせ記事noticeも含めてだが).そこで,今日は hundred にまつわる話題をとりあげたい.この語(の祖先)は,英語史において,また印欧語比較言語学において,かなり有名にして重要な語である.重要性は二つある.一つは印欧語族の二大区分のキーワードとして,もう一つは グリムの法則 ( Grimm's Law ) と ヴェルネルの法則 ( Verner's Law ) の代表例としてである.今回は,印欧語族の二大区分について話をする.
印欧語族の系統図については,[2009-06-17-1]やFlashで遊べる図を見ていただきたい.印欧語族に属する言語の話者は世界総人口の4分の1を占めるとされるが,それだけに,属する言語や方言の数も多い.上で紹介した系統図では印欧祖語を8語派に分けているが,もっと大雑把には二つのグループに大別される.大別された二つの言語群は,satem グループと centum グループと呼ばれている.
目下のところ有力な説によれば,印欧祖語は南ロシアのステップ地方に起源がある.そこから東西南北,インドからアイスランドに及ぶ広大な範囲へ拡散し,各地で次々と方言化し,現在の諸言語の祖先が生まれたとされる.この広大な範囲において大雑把に東側に分布する言語群が satem グループ,西側に分布する言語群が centum グループである.語派の名前で整理すると以下のようになる.
・Satem languages: Albanian, Armenian, Balto-Slavic, Indo-Iranian
・Centum languages: Tocharian, Anatolian, Hellenic, Italic, Celtic, Germanic
我々になじみの深いヨーロッパの諸言語は,英語を含めて大部分が centum グループに属する.
さて,グループ名になっている satem と centum という語は何かというと,Indo-Iranian 語派に属するアヴェスター語 ( Avestan ) と Italic 語派に属するラテン語 ( Latin ) でそれぞれ「百」を表す語である.この語をもって,それぞれのグループを代表させるのが印欧語比較言語学の慣習である.
Avestan はゾロアスター教 ( Zoroastrianism ) の聖典の言語で,紀元前6世紀くらいにさかのぼるが,現在にまで直接につながる子孫の言語は残っていない.Avestan を含む satem グループの言語では,印欧祖語の /k/ は音声環境に応じて,/k/ と摩擦音化した /s/ などへ分化した.しかし,Latin を含む centum グループの言語では,印欧祖語の /k/ は分化せずに保たれた.印欧祖語の /k/ が摩擦音化による分化を経たか経ないかによって,印欧語族が大きく東か西へ二分されるという考え方である.
もちろん,その後の各言語での音声変化の結果,centum グループの言語であっても /k/ が /h/ へ変化した英語 ( ex. hundred ) や,/s/ へ変化したフランス語 ( ex. cent ) などの例はあるが,それはあくまで印欧語族が二分された時代よりもずっと後の出来事である.比較言語学の理論的な再建 ( reconstruction ) に従えば,satem と centum の対立は信頼できる区分法である.
・Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006. 96--104.
(後記 2010/05/30(Sun):本記事で「印欧語族に属する言語の話者は世界総人口の4分の1を占める」と述べたが,[2010-05-30-1]の記事で書いたように,Ethnologue によればほぼ 1/2 を占めるという.)
英語史のどの概説書でも見つけられる類のインドヨーロッパ語族(印欧語族)の系統図だが,マインドマップ風にアレンジしてみた.また,絵だけでは芸がないと思ったので,今回はこちらのページに Flash で遊べるものも作ってみた.クリックしてゆくと枝葉が展開するという仕掛け.
(図をクリックすると拡大)
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