昨日の記事[2009-12-22-1]で取りあげた二つの英語史まとめサイトの記述で,Caxton の印刷術導入に関する年号が,一方では1475年,他方では1476年となっていた.今回は,この点についてコメント.
英語史上のみならずイングランド文化史上に名を残した William Caxton は,1422年頃に England は Kent で生を受けた.[2009-09-02-1]でも触れたとおり,彼は現在のベルギーの Brugge に30年以上滞在し,Flanders と Holland を含む一帯の商人の棟梁として長らく影響力を誇っていた.
その間に文学への関心を深め,1469年から1471年にかけて Raoul Le Fèvre の Recueil des histoires de Troye を英訳した.ちょうどこの時期に彼は Cologne で印刷術を学んでおり,Brugge に戻ると印刷所を設立し,1475年に英訳 The Recuyell of the Historyes of Troye を印刷した.史上初の英語の印刷物である.
翌1476年には,もう一つのフランス語からの英訳書である The Game and Playe of the Chesse を Brugge で出版したが,その年の末に England へ戻り,Westminster に印刷所を設立した.England 初の印刷所である.
Caxton は後に,Chaucer の Canterbury Tales (1478? and 1484?), John Gower の Confessio amantis (1483), Sir Thomas Malory の Le Morte d'Arthur (1485) など,著名な英文学作品を数多く印刷し,自らの翻訳書も印刷した.1491年に London で亡くなるまでに,Caxton は約100本の印刷物を世に出した.
以上より,次のことが分かるだろう.
・1475年 = 英語の印刷物が初めて現れた年
・1476年 = England に印刷所が初めて現れた年
昨日の記事[2009-09-01-1]で,deer が「動物」から「鹿」へと意味の特殊化を経たこ過程をとりあげた.今回は,本来の「動物」の意味がいつごろ消えたのかに焦点を当てたい.
まず OED で調べてみると,1481年の William Caxton ( c1422--91 ) の The historye of reynart the foxe での例が最終例となっている.
The rybaud and the felle diere here I se hym comen.
(I see him coming here, the scoundrrel and the trecherous beast.)
だが,この例を除いた最終例は1340年頃となっており,ずいぶんと断絶があるように思われる.
15世紀からのもう一つの例として Bevis of Hampton からの例があるが,後にも定着した small deer というフレーズとしてであり,文脈から意味が補われ得るものであるから,別扱いしたほうがいいかもしれない.
Ratons & myse and soche smale dere . . . was hys mete.
(Rats and mice and such small animals . . . was his food.)
Bradley (140) は Caxton 以前の使用例の断絶を重視し,事実上,「動物」の意味は Caxton よりずっと早くに失われていたのではないかと推察している .興味深いのは,Caxton の例外的な使用は,彼の Brugge 滞在が長かったゆえに,そこで話されていた Flemish における対応語に慣れ親しんでいたからではないかと推察している点である.確かに Caxton は羊毛貿易の要地である Brugge に30年近く住み,商人の棟梁として活躍した人物であるから,この指摘は興味深い.
他にも,当時の Flemish では現役だったが英語ではほぼ廃れてしまっていた語や意味が Caxton によって「復活」されたとおぼしき例はあるのだろうか.そうだとすると,英語語彙の延命治療医としての Caxton の姿が浮き上がってきておもしろそうだ.
・Bradley, Henry. The Making of English. New York: Dover, 2006. New York: Macmillan, 1904.
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