hellog〜英語史ブログ

#14. 抽象名詞の接尾辞-th[etymology][suffix][i-mutation]

2009-05-12

 現代英語で-th という接尾辞をもつ抽象名詞をいくつ挙げられるだろうか.この語尾は起源は印欧祖語に遡り,動詞や形容詞から対応する名詞を派生させてきたが,現代英語では非生産的である.語源的には,動詞につく場合と形容詞につく場合は区別すべきである.現代英語に残る例を列挙してみる.(セミコロンの区切りは,派生された時代の区別を示す.)

 (1) 動詞からの派生(-th )
   bath , birth , death , math , oath ; growth , tilth ; stealth
 (2) 形容詞からの派生(-th )
   filth , health , length , mirth , strength , truth ; dearth , depth ; breadth , sloth , wealth

-th の異形に-t という接尾辞もあり,同様に派生機能をもつ.どちらの接尾辞になるかは,音声環境による.以下に例を挙げる.

 (3) 動詞からの派生(-t )
   draught , drift , flight , frost , gift , haft , heft , might , plight , shaft , shrift , thirst , thought , thrift , weft ; sight
 (4) 形容詞からの派生(-t )
   height , sleight ; drought

その他,例外的に名詞から theft も派生されている.
 (2)と(4)の形容詞からの派生については,派生語の母音と対応する形容詞の母音が異なっていることが多い.これは,当該の接尾辞がゲルマン祖語の-iþô に由来することと関係する.接尾辞に/i/音があることで,i-mutation という音韻過程が引き起こされたためである.
 上記の各例について,もととなった動詞や形容詞を推測してみて欲しい.

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#16. 接尾辞-th をもつ抽象名詞のもとになった動詞・形容詞は?[etymology][suffix][i-mutation]

2009-05-14

 [2009-05-12-1]で-th の接尾辞をもつ派生語を取り上げたが,派生の基体となった動詞や形容詞は何だろうかと問うたままだったので,ここで解答を示す.左列が派生語,右列が基体だが,基体については古英語(あるいはそれ以前)の形ではなく,現代英語の対応する形を挙げてある.現代英語に残っていないものについてはcf.として関連語を挙げる.

 (1) 動詞からの派生(-th )

bath cf. bake
birth bear
death die
math mow; cf. aftermath
oath cf. 対応する現存の語はなし
growth grow
tilth till
stealth steal

 (2) 形容詞からの派生(-th )

filth foul
health whole
length long
mirth merry
strength strong
truth true
dearth dear
depth deep
breadth broad
sloth slow
wealth well

 (3) 動詞からの派生(-t )

draught draw
drift drive
flight fly
frost freeze
gift give
haft heave
heft heave
might may
plight pledge
shaft cf. scape
shrift cf. script
thirst cf. dry
thought think
thrift thrive
weft weave
sight see

 (4) 形容詞からの派生(-t )

height high
sleight sly
drought dry

 形容詞から派生された名詞について,後に形容詞語尾-y が付加されたものがいくつかある(ex. filthy , healthy , lengthy , wealthy ).これらは「形容詞→名詞→形容詞」という派生経路を経たことになるので,「生まれ変わった形容詞」とでも呼びたくなるところだ.

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#165. 民族形容詞と i-mutation[i-mutation][suffix][analogy]

2009-10-09

 [2009-10-01-1]の記事で i-mutation について解説した.いろいろと具体例を挙げたが,挙げ忘れていた語類として民族形容詞がある.民族名や言語名を表す語には,-ish の語尾をもつものがあるが,この接尾辞中の /i/ 音が引き金となって,基体の母音が前寄りか上寄りになっている.いくつか代表的なものを挙げてみよう.

古英語名詞古英語形容詞現代英語形容詞
Angle (pl.)Englisc"English"
FrancaFrencisc"French"
wealhwīelisc"Welsh"
Scottas (pl.)Scyttisc"Scottish"


 このように,古英語では名詞の語幹母音と派生形容詞の語幹母音が i-mutation の影響で異なっていた.
 だが,最後の形容詞については,現代英語では i-mutation が起こらなかったかのような母音に「逆戻り」している.これは,この語に,12世紀くらいの時期に,言語の宿命ともいうべき analogy類推」が働いたためである.元の名詞が Scot ならば,派生形容詞だってわざわざ母音を変化させずにストレートに Scottish とすればいいではないか,という理屈である.これによって名詞と形容詞の関係がより透明になるばかりでなく,話者の脳ミソへの負担も軽減する,というわけだ.
 i-mutation などの音声変化は,たいてい体系や規則を乱す方向に作用する.一方,analogy は体系や規則を回復する方向に作用する.単純化していえば,言語変化とは,この相反する二つの力の永遠の綱引きである.どちらかが完全に勝利することはあり得ない.だからこそ言語変化は永遠に繰り返されるのだろう.

Referrer (Inside): [2020-05-05-1] [2012-06-27-1]

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#632. bookbeech[plural][indo-european][i-mutation][etymology]

2011-01-19

 [2010-11-03-1]の記事で古英語 bōc "book" の屈折表を示した.この語は,複数の主格・対格(および単数の属格・与格)で i-mutation の作用を示す,典型的なゲルマン語派の athematic declension の例である.古英語では現代風の複数形態 books に類する形ではなく,語幹母音が前寄りに変化し,それに伴って語尾子音が口蓋化 ( palatalise ) した bēċ なる形態が用いられていた.もし後の歴史で類推によって -s 語尾を取ることがなかったならば,この形態は *beech として現代に伝わっていたはずである.
 "books" に対応する語としての *beech は確かに現代に伝わらなかったが,beech という語は「ブナ」(ブナ科ブナ属)の意で現代英語に存在している.beechbook は形態上たまたま関係しているわけではなく,確かに語源的な関係がある.この場合,前者から後者が派生されたとされている.かつてブナの灰色で滑らかな樹皮の板にルーン文字が書かれたことから,ブナは文字や本の象徴となったのである.
 beech 「ブナ」は印欧祖語の *bhāgos に遡る.諸言語での形態を列挙すると,German Buche ( Old High German buohha ), Dutch beuk ( Middle Dutch boeke ), Old Norse bóc; Latin fāgus; Greek phāgós / phēgós "edible oak"; Old Slavonic buzū "elm" など.
 現代英語の beechbeech-tree, beech-wood などの単純な複合語のほか,母音を変化させた形態で buckwheat 「ソバ」(種がブナの実に似ていることから)の第1要素としても認められる.
 さて,この beech はかつて比較言語学の大論争を巻き起こしたことがある.印欧語比較言語学史上に名高い「ブナ問題」 ( Buchenargument ) は,比較言語学のロマンと民族主義の危うさを象徴する例として現代にまで記憶されている.その「ブナ問題」とは何か.それは明日の記事で.

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