昨日の記事「#5707. 2重字 <gh> の起源」 ([2024-12-11-1]) に続き,<gh> がいかにして出現したかについて.英語綴字史の古典を著わした Scragg (46--47) に,次のくだりがある.
The use of <h> as a diacritic in <ch> and <sh>, indicating that <c> and <s> have a pronunciation different from that normally expected of those consonantsa, was not new to English when <ch> was introduced from French, for <th> had earlier been used alongside <þ> (cf. footnotes to pp. 2b and 17). Both <ch> in French and <th> in English derive from Latin orthography, use of <h> as a diacritic in Latin being made possible by the disappearance of the sounds represented by <h> from the language in the late classical period. As a result of the establishment in English of diacritic <h> in <ch> and <th>, other consonant groups were formed on the same pattern. The grapheme <gh> has already been discussed (p. 23c). <wh> has a rather different history, for it began in Old English as an initial consonantal combination <hw> corresponding to /xw/. Assimilation of the group to a single voiceless consonant /ʍ/ had taken place by the late Old English period, and Middle English scribes, associating the sequence <hw> for the single phoneme with the use of <h> as a fricative marker in other graphemes, reversed the graphs to <wh>.
English scribes' incorporation into their spelling system of the grapheme <ch>, and the 'consequential' changes which resulted in the creation of <sh> and <wh>, were made possible by their knowledge of Anglo-Norman conventions.
この引用文のなかに同著内への参照が何カ所があるが,そちらを参照すると重要な記述がみつかったので,引用者による注記符号に対応させるかたちで以下に参照先の解説文を掲載する.
a I.e. <h> as a fricative marker, allowing for the fact that <sh> is historically a simplification of <sch>. (fn. 2 to p. 46)
b Latin <th> had always been recognised as an alternative to thorn by English writers; even before the Norman Conquest, foreign names were spelt with either: Elizabeth or Elizabeþ, Thomas or þomas. (fn. 2 to p. 2)
c <ȝ> was also used in Middle English for the two allophones of /j/ which occurred after a vowel: [ç] and [x]. These two sounds gave scribes considerable difficulty in Middle English; among the many graphemes representing them are the Anglo-Norman <s>, the Old English <h>, the new grapheme <ȝ>, and the last two combined as <ȝh>. In the fifteenth century, when the distinction between <ȝ> and <g> became blurred, this combination was written <gh>, and this is the sequence which has survived in a great many words in which [ç] and [x] were once heard, or still are in northern dialects, e.g. high, ought, night, bough. (fn. 2 to p. 23)
以上より,今回の話題に関連する重要な点を箇条書きすると,次の通り.
(1) <th> は古英語期にも用いられることがあった
(2) 2重字 <ch> と <th> はおおもとはラテン語正書法に由来する
(3) <h> が発音区別符(号) (diacritical_mark) として用いられるようになったのは,古典期後のラテン語で h が無音化し,<h> が解放されたから
(4) 2文字目に <h> をもつ既存の2重字のパターンが,アングロノルマン語の綴字慣習を知っていた英語写字生の手により,他へも拡大した
(5) 2文字目に <h> をもつ2重字は,(h が本来的に摩擦音なので)摩擦音を示す
<gh> を含む2重字の起源と発達が徐々に見えてきた.
・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.
2重字 (digraph) の <gh> については,本ブログでも gh の各記事で話題にしてきた.この2重字 <gh> については,それが表わす音価とともに,英語史上でもいろいろな論点がある.そのなかでも注目したい問題の1つに起源の問題がある.古英語では,中英語以降に典型的に <gh> が用いられる多くのケースで,<h> の1文字が使われていた.中英語になると,この環境における <h> の使用は徐々に衰退していき,代わって <gh> や <ȝ> (= yogh) が台頭してくることになる.<gh> はいったいどこから来たのだろうか.
Upward and Davidson (182) によると,2重語 <gh> はアングロノルマン写字生によってもたらされた新機軸であるという.
. . . ANorm scribes frequently replaced the OE H with GH: OE niht, ME night; OE brohte, ME broughte 'brought'. (The letter ȝ was also used: niȝt, brouȝte.) The GH represented /x/, which was pronounced [ç] after a front vowel and [x] after a back vowel, as in ME night and broughte respectively (and as also in Modern German). Although, under the influence of Chancery and the printers, this digraph has continued to be written from the ME period to the present day, the sound it represented/represents has undergone many changes.
アングロノルマン語の綴字には <ch>, <sh>, <th>, <wh> など2文字目に <h> をもつ2重字の使用が確認される.これらすべてが現代英語で見慣れているほど多く用いられていたわけではないものの,2重字 <gh> もこれらの仲間だった (cf.Anglo-Norman Dictionary) .アングロノルマン語を書き慣れた写字生や,その影響を受けた英語の写字生が,英語を書く際にも <gh> を持ち込んだということになる.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
2重字 (digraph) の <gh> については,本ブログでも gh の各記事で話題にしてきた.この2重字 <gh> については,それが表わす音価とともに,英語史上でもいろいろな論点がある.そのなかでも注目したい問題の1つに起源の問題がある.古英語では,中英語以降に典型的に <gh> が用いられる多くのケースで,<h> の1文字が使われていた.中英語になると,この環境における <h> の使用は徐々に衰退していき,代わって <gh> や <ȝ> (= yogh) が台頭してくることになる.<gh> はいったいどこから来たのだろうか.
Upward and Davidson (182) によると,2重語 <gh> はアングロノルマン写字生によってもたらされた新機軸であるという.
. . . ANorm scribes frequently replaced the OE H with GH: OE niht, ME night; OE brohte, ME broughte 'brought'. (The letter ȝ was also used: niȝt, brouȝte.) The GH represented /x/, which was pronounced [ç] after a front vowel and [x] after a back vowel, as in ME night and broughte respectively (and as also in Modern German). Although, under the influence of Chancery and the printers, this digraph has continued to be written from the ME period to the present day, the sound it represented/represents has undergone many changes.
アングロノルマン語の綴字には <ch>, <sh>, <th>, <wh> など2文字目に <h> をもつ2重字の使用が確認される.これらすべてが現代英語で見慣れているほど多く用いられていたわけではないものの,2重字 <gh> もこれらの仲間だった (cf.Anglo-Norman Dictionary) .アングロノルマン語を書き慣れた写字生や,その影響を受けた英語の写字生が,英語を書く際にも <gh> を持ち込んだということになる.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
中英語で yogh /joʊk, jɔux/ と呼ばれる <ȝ> の文字が用いられていたことについては,「#1914. <g> の仲間たち」 ([2014-07-24-1]) で取り上げた.現代英語の <g> の文字の周辺に関わる事情は歴史的には複雑だが,今回は yogh の文字に的を絞って考えてみたい.
まず重要なことは,<ȝ> は基本的には中英語において用いられた文字素 (grapheme) に対する呼称であるということだ.古英語でも,字形としてはさして変わらない文字が用いられていたのだが,それを指して yogh と称することはない.古英語のそれは,あくまで <g> (精確にいえば flat-headed g)と呼ぶべきである.
この事情をもう少し説明しよう.現代英語の <g> に相当する古英語の文字は,half-uncial 書体からアイルランド書体を経由して伝わった <<Ӡ>> の字形 (flat-headed g) をもっており,対応する音素は [g, j, ɣ] であった.ノルマン征服を経て中英語期に入ると,Anglo-French の綴字習慣の影響のもとで,<g> がさらに /ʤ/ の音価にも対応するようになり,文字素 <g> の機能負荷は高まった.一方,現代英語につらなる round-headed g は,ローマ草書体に由来し,それを受けたカロリンガ書体がノルマン征服後に輸入されることにより,英語の書記においても定着していた.そこで,<g> の機能過多を解消するという動機づけもあったのだろう,本来異なる書体に属する新参の round-headed g (<<g>>) と古参の flat-headed g (<<Ӡ>>) が,機能分化することになったのである.前者はフランス語にならって [g, ʤ] の音価に対応し,後者は古英語由来の摩擦音 [j, x, ɣ] を表わすようになった.ところで,後者は前述のように元来は flat-headed であったが,これも頭が丸い字形へ進化し,中英語までには「3」に似た <<ȝ>> になっていた.起源としては古英語に遡る,この頭の丸まった中英語の文字を指して yogh と呼ぶのである.このようにして,<g> と <ȝ> とは,中英語期の間,役割の異なる2つの文字素として,それぞれの務めを果たした.
しかし,やがて <ȝ> は,それが表わしていた音化 [j], [x], [ɣ] が各々 <y>, <gh>, <w> で綴られるようになるに及び,衰退していった.現代英語の文字素 <g> の周辺をまとめれば,古英語で1種類だったものが,中英語で2種類に分化したが,その後再び1種類に戻って,今に至るということである.
以上,田中 (128--30) を参照して執筆した.この話題に関連して「#447. Dalziel, MacKenzie, Menzies の <z>」 ([2010-07-18-1]),「#1651. j と g」 ([2013-11-03-1]),「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1]) も参照.
・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.
英語史における <g> とその仲間の文字の関係は,とりわけ中英語期において,非常に複雑である.古英語期より,<g> という文字素 (grapheme) には,異文字 (allograph) として,平らな頭部をもつ <<Ӡ>> という字形 (insular <g>) と丸い閉じた頭部をもつ <<g>> という字形 (Carolingian <g>) があった.古英語では,前者が普通であり,後者は主としてラテン語を写すのに使われたにすぎない.当時の <g> は,後母音(字)の前では軟口蓋閉鎖音の /g/,前母音(字)の前では硬口蓋摩擦音の /j/ に対応した.<god> (God), <gear> (year) の如くである.しかし,写字生の中には2つの音価の混用を嫌い,/j/ に <i> を当てたり,二重字 <ge> を用いた者もいた.yoke に相当する語を <ioc>, <geoc> などと綴った例がある.
ノルマン・コンクェストが起こり中英語期に入ると,<<g>> (Carolingian <g>) が一般化した.原則としてその音価は /g/ だったが,「#1651. j と g」 ([2013-11-03-1]) で見たように /ʤ/ にも対応することがあった.一方,<<Ӡ>> (insular <g>) は,従来通り硬口蓋摩擦音 /j/ を表わし続けて残ったが,さらに軟口蓋摩擦音 /x/ をも表わすようになった.ここから,両音を中に含む yogh がその呼び名となった.yogh の字形は <<Ӡ>> (insular <g>) から,より数字の <3> やフランス語式の <z> に近い字形である <<ȝ>> へと発展し,中英語期を通じて広く行われたが,15世紀に各々の音価は <y> や <gh> の文字により置き換えられた.<ȝet> (yet), <ȝou> (you), <niȝt> (night), <liȝt> (light) を参照.
しかし,この <<ȝ>> は,15世紀後半に印刷技術が導入されたときに,Scotland でちょっとしたひねりを加えられた.先に述べたように,その字形はフランス語式の <z> の字形に類似していたため,スコットランドの印刷家たちは見慣れない <<ȝ>> を <<z>> と混同してしまった.そこで,<<ȝ>> と綴るべきところに誤って <<z>> と綴る例が見られるようになる.<zeir> (year), <ze> (ye), <capercailzie> (capercailye) の如くである.固有名詞にもその混同の痕跡を残しており,「#447. Dalziel, MacKenzie, Menzies の <z>」 ([2010-07-18-1]) で見たとおりである.
このように,insular <g> および yogh は,古英語以来,近代の入り口に至るまで,他の複数の文字と複雑に関わり合い,時に混乱を引き起こしながらも活躍した文字として,英語文字史の一時代を飾ったのである.以上,Horobin (86, 91) を参考にして執筆した.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
昨日の記事[2010-07-17-1]で影の薄い文字 <z> の話題を取りあげたが,スコットランド系の人名について英語史上 <z> にまつわる興味深い話しがある ( Scragg, p. 23 ) .標題の三つの人名はいずれも <z> を含んでおり,発音はそれぞれ /ˈdælziəl/, /məˈkɛnzi/, /ˈmɛnziz/ と /z/ を伴って発音されるのだが,/z/ を伴わない伝統的な別の発音もあり得るのである.後者はそれぞれ /diˈɛl/, /məˈkɛni/ (現在ではほぼ廃用), /ˈmɪŋɪs/ と発音される.
ちょうど小川さんが「おがわ」なのか「こかわ」なのか漢字からは判別がつかないように,Menzies さんは綴字だけでは /ˈmɛnziz/ なのか /ˈmɪŋɪs/ なのか分からないという状況がある(実際にスコットランドでは学校の同じクラスに,二つの異なる発音をもつ Menzies さんがいることがあるという).
なぜこのような状況になっているかを理解するためには,中英語の綴字習慣を知る必要がある.古英語以来,"yogh" /joʊk, joʊx/ と呼ばれる文字 <ʒ> が硬口蓋摩擦音や軟口蓋摩擦音を表すのに用いられていた.具体的には [j], [x] などの音に対応し,後に音に応じて <y> や <gh> に置換されることとなった多用途の文字である.中英語では隆盛を誇った <ʒ> だが,近代英語期の印刷技術の発展に伴って衰退し,他の文字に置換されることとなった.特にスコットランドでは,発音と対応するからという理由ではなく字体が似ているからという理由で,<z> がしばしば置換候補となった.<z> の小文字の筆記体を思い浮かべれば,字体の類似は明らかだろう.人名などで <ʒ> → <z> の書き換えが起こった結果,現在の <Dalziel>, <MacKenzie>, <Menzies> という綴字が生まれた.
逆にいえばもともとは <Dalʒel>, <MacKenʒie>, <Menʒes> などと綴られていたということであり,ここで <ʒ> が表す音はそれぞれ有声硬口蓋摩擦音 [j] や有声軟口蓋摩擦音 [ɣ] に近い音だったと考えられる.この発音がそのまま現在までに発展してきたのが上記で伝統的と述べた発音であり,<z> を伴う現代的な発音は綴字が <z> に切り替わってからの綴字発音 ( spelling-pronunciation ) ということになる.
この話題については,BBC の記事 Why is Menzies pronounced Mingis? が非常におもしろい.
字体が似ているがゆえに混用が起き,その混用の名残が現在にまで残っている同様の例としては,[2009-05-11-2]の記事で取りあげた "thorn" と <y> がある.
・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.
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