過去2日間の記事「機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1]) と「機能負担量と言語変化」 ([2011-08-11-1]) で,Schendl を引き合いに出しながら,機能主義 (functionalism) ,自己調整機能 (systemic regulation) ,治癒力 (therapeutic power) ,機能負担量 (functional load) などの用語を用いてきた.昨日これに関連して次のような質問が寄せられた.
Schendl (69)からの引用についてひとつ質問をさせてください.
'therapeutic changes in one part of the grammar may create imbalance in another part'
とありますが,どのような例があるのか思い浮かびません.治癒力のせいで生じてしまう不均衡とはどのようなものなのか,とても気になりますので御回答お願いします.
Schendl は同著で具体的に例を挙げているわけではないので,読者としては該当しうる例を考えてみるしかない.ある部門(例えば音韻論)に生じた言語変化が,他の部門(例えば形態論や統語論)に別の言語変化を連鎖的に引き起こすというような例や議論は英語史でも多く見られるが,より限定的に,ある治癒的な (therapeutic) 言語変化が別のところでは病因となるような (pathogenic) 言語変化の連鎖の例というのはあったろうかと,確かに考えさせられた.
なぜすぐに例が思い浮かばないのだろうかと考えてみると,"therapeutic" という用語が具体的に何を指すか,客観的に決めがたいという背景があるからではないかと思い当たった.一般の用語では「治癒」の目指す最終目標は「全快」状態だが,言語体系において「全快」とはいかなる状態を指すのか.機能主義の立場に立った一般的な理解としては,治癒とは "a symmetrical, balanced, simple, economical system" を指向しているとみなすことができるだろう(いずれの形容詞も Schendl の説明に現われる).しかし,言語体系は複数の下位体系の複雑な組み合わせによって成る有機体であり,その一部に生じる言語変化が,ある下位体系の観点から見れば therapeutic だとしても,別の下位体系の観点から見れば pathogenic であることもあり得る.では,言語体系全体の観点からすると,この言語変化はどの程度 therapeutic なのか,あるいは pathogenic なのか.これを決定することは非常に難しい.
具体例として思いついたのは,昨日の記事でも取り上げた /θ/ と /ð/ の対立の発生,別の言い方をすれば /ð/ の音素化 (phonemicisation) という言語変化である.古英語では,
[θ] と [ð] は1つの音素 (phoneme) の2つの異音 (allomorphs) という位置づけにすぎなかった.しかし,後に主として機能語において専ら有声音 [ð] が行なわれるようになり (ex. that, the, then, there, they, thou, though, with; cf. verners_law) ,thy vs. thigh のような最小対 (minimal pair) が生じた.こうして /θ/ と /ð/ は別々の音素へと分裂していった.
この /ð/ の音素化の動機づけを機能主義的な観点から説明すると,昨日も述べたように次のようになる.英語の阻害音 (obstruent) 系列では有声と無声の対立が大きな機能負担量を担っており,歯摩擦音での声の対立の欠如は阻害音系列の対称性を損なう「病因」と考えられる./θ/ と /ð/ の音素化はこの非対称性を減じる方向で作用し,問題の病因を「治癒」していると解釈される.実際には thy vs. thigh 型の最小対の例は少ないので,声の有無の対立はたいして利用されているわけではないのだが,それでも /θ/ と /ð/ の音素的な対立が堅持されているのは,英語音韻論全体として声の有無という対立が極めて機能的だからである.以上の説明が受け入れられるとすれば,この議論はまさに therapeutic な考え方を代表していると言えるだろう.
しかし,同じ言語変化を書記素論 (graphemics) の立場から見ると,むしろ体系的な非対称性が増しているとも考えられる.言語において,1音素に1文字が対応しているのが最も対称的で,均衡が取れており,単純で,経済的であることは疑いを容れない.現代英語はこの点で非常に悪名高いことはよく知られている.さて,より対称的で,均衡が取れており,単純で,経済的な音素と書記素の関係を追求するような言語変化が生じたとすれば,それは書記素論の観点からは therapeutic な変化ということができるだろう.ところが,上述の /ð/ の音素化に合わせて書記素体系も同様に変化したわけではないので,結果として <th> という二重字 (digraph) で表わされる1つの書記素が2つの異なる音素に対応することになってしまった.これは,書記素論の立場からすると,therapeutic ではなく,むしろ pathogenic な変化と言える.
まとめると,/ð/ の音素化という言語変化は,音韻論の観点からは therapeutic な変化だったが,書記素論の観点からは pathogenic な変化だったということになる.では,音韻論や書記素論やその他の部門をすべて考え合わせて,英語という言語体系全体への影響という視点で見ると,この変化ははたしてプラスだったのかマイナスだったのか.影響の質も量も客観的に計測することが難しいので,この判断はおぼつかないことになる(その意味では,機能負担量とは影響を客観的に計測しようとする営みの現われであり,その方法の1つなのかもしれないが).
言語において,何をもって「治癒」とし,何をもって「罹病」とするかはよくわからない.動物の場合ですら,敢えて軽く罹病させて予防・治癒効果を狙う予防接種の考え方がある.ちなみに,上で用いてきた pathogenic (発病させる)という形容詞は therapeutic の対義語として今回便宜的に用いたまでで,用語として定着しているわけではない.
・ Schendl, Herbert. Historical Linguistics. Oxford: OUP, 2001.
昨日の記事「言語の線状性」[2011-06-02-1]に引き続き,ヒトの言語の特徴について.すべての言語は二重に分節されている.言語のこの重要な特性は二重分節 ( double articulation ) と呼ばれる.
第一の分節は,言語化して伝達すべき物事を,Martinet が monème と呼ぶところの音形と意味がペアでカプセル化された記号(典型的には語)へ分節する過程である.拙訳とともに Martinet から引用する.
La première articulation du langage est celle selon laquelle tout fait d'expérience à transmettre, tout besoin qu'on désire faire connaître à autrui s'analysent en une suite d'unités douées chacune d'une forme vocale et d'un sens. (Martinet 37)
言語の第一分節は,伝達すべきすべての経験的事実や他人に知らせたいと望むすべての要求が,それぞれ音形と意味を付与された単位の連続へと分析される過程である.
La première articulation est la façon dont s'ordonne l'expérience commune à tous les membres d'une communauté linguistique déterminée. Ce n'est que dans le cadre de cette expérience, nécessairement limitée à ce quie est commun à un nombre considérable d'individus, qu'on communique linguistiquement. (Martinet 38)
第一分節は,規定の言語共同体の全成員に共通する経験を秩序づける方法である.数多くの個人にとって共通の物事に必然的に限られるこの経験の範囲内においてのみ,人は言語的にコミュニケーションをとることができるのである.
この第一分節により幾多の monème が切り出されるが,あくまで人間の記憶に耐えられるほどの有限個に抑えられる.monème は有限個だが,その組み合わせにより無限の表現を産することが可能であり,言語の経済性と効率性が確保される.ただし,上にも述べられているとおり,この経済性と効率性はあくまで分節の仕方を共有している限られた共同体内でのみ確保される点に注意すべきである.
第一分節により音形と意味からなる単位 monème が数多く切り出されるが,音形に関してはさらに小さな単位,弁別的な単位へと分析することができる.この第二分節によって,phonème 「音素」と呼ばれる単位が切り出される.例えば,フランス語の tête /tet/ は,/t/, /e/, /t/ の3つの分節音の結合として捉えられる.
Chacune de ces unités de première articulation présente, nous l'avons vu, un sens et une forme vocale (ou phonique). Elle ne saurait être analysée en unités successives plus petites douées de sens : l'ensemble tête veut dire «tête» et l'on ne peut attribuer à tê- et à-te des sens distincts dont la somme serait équivalence à «tête». Mais la forme vocale est, elle, analysable en une succession d'unités dont chacune contribue à distinguer tête, par exemple, d'autres unités comme bête, tante ou terre. C'est ce qu'on désignera comme la deuxième articulation du langage. (Martine 38--39)
上で見たように,第一分節による単位のそれぞれは,意味と音形を表わしている.その単位は,意味を付与されたより小さな連続する単位へと分析することはできない.tête 全体として「頭」を意味するのであり,tê- と -te に,合わせて「頭」を表わすことになるような区別された意味を付与することはできない.しかし,音形のほうは,一連の単位へと,すなわちそのそれぞれが例えば tête を bête, tante, terre のような他の単位と区別するのに貢献するような単位へと分析することができる.これが,言語の第二分節といわれるものである.
第二分節によって切り出された各音素はそれより小さい単位へは分解できないので,ここで分節の作業は終了する.この二つ目にして最後の分節により,せいぜい数十個に納まる数少ない phonème 音素を活用することによって,無数ともいえる monème を生み出すことができるのである.
言語における両分節の経済性と効率性ははかりしれない.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
発音表記には,大きく分けて音声表記 ( phonetic transcription or narrow transcription ) と音素表記 ( phonemic transcription or broad transcription ) の2種類がある.前者は [ ] で囲み,後者は / / で囲むのが慣習である.音声表記と音素表記は見た目は似ているが,本質的にはまったく異なるものである.音声表記は,調音的,音響的な観点からの音の記述を目指しており,原則として当該の言語でその音が果たす機能は考慮していない.一方で,音素表記は,音の物理的な側面は捨象し,原則として当該の言語でその音が果たす役割を重視する.構造主義言語学によれば,当該言語で機能的な役割を果たしている音の単位は 音素 ( phoneme ) と呼ばれ,形態素の最小対 ( minimal pair ) に基づいた対立 ( opposition ) によって厳密に定義される.厳格な構造主義の立場からは,音素は調音的,音響的な性質とは無縁であり,Jakobson and Halle の言うように,"all phonemes denote nothing but mere otherness" (11) である.
しかし,実際のところ,発音表記は,音声表記と音素表記が互いに歩み寄ったところで実現されていることが多い.厳密に音声表記を目指そうとすれば,音の物理的な特性を余すところなく表現しなければならず,無数の数値や音響スペクトログラム ( spectrogram ) で表記しなければならなくなる.一方で,厳密に音素表記を目指そうとしても,音素の拠って立つ「機能的な対立」には論者によって複数の説があり得るし,調音的な観点が欠如しているために,機能的な対立をなしていない音どうしの関係は一切無視されてしまうことになる.そこで,語学学習や言語学の現場でも,音声と音素の両方の考え方を活かした broad phonetic transcription ともいうべき折衷案が利用されている.[ ] で囲まれていながら音素的であったり,/ / で囲まれていながら音声的であったりすることがあるのは,このためである.
英語史や歴史英語学でも,原則としてこの折衷案が採用されていると考えてよい.もとより,過去の発音を,厳密な音声表記で表わせるほど正確に復元することはできない.また,厳密な音素表記をするにも論者によって様々な立場があり得るのは現代の言語の場合と同じであるし,調音的な側面を無視していては有意義に音声変化を記述できないという決定的な事情がある.例えば,[i] が前舌高母音であることを明示しない限り i-mutation によって [o] が [e] に変化することはうまく説明できないが,厳密に構造主義的な立場では,[i] が前舌高母音であるという調音的な主張をすることができないのである.
正確には復元できない過去の音を扱うから,また音の変化を有意義に説明する必要があるから,歴史言語学ではことさらに折衷的な発音表記を採用することが避けられない.英語史の分野(そして本ブログ)に出てくる発音表記は,純粋な音声表記でも純粋な音素表記でもなく,原則として折衷的な "poorly resolved broad transcription" (Lass and Laing 20) だと考えてよい.
現在最も広く採用されている発音表記である IPA 「国際音標文字」は The International Phonetic Association のサイトから IPA: Alphabet を参照.
・ Jakobson, R. and Halle, M. Fundamentals of Language. The Hague: Mouton, 1965.
・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction.'' Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .
[2010-05-05-1], [2010-05-06-1]でアルファベットの <u> と <v> について述べたが,今日は英語で最も出番の少ない存在感の薄い文字 <z> を話題にする.
<z> が最低頻度の文字であることは,[2010-03-01-1]で軽く触れた.BNC Word Frequency Lists の lemma.num による最頻6318語の単語リストから <z> を含む単語を抜き出してみると,以下の36語のみである.この文字のマイナーさがよくわかる.(順位表はこのページのHTMLソースを参照.)
size, organization, recognize, realize, magazine, citizen, prize, organize, zone, seize, gaze, freeze, emphasize, squeeze, gaze, amazing, crazy, criticize, horizon, hazard, breeze, characterize, ozone, horizontal, enzyme, bronze, jazz, bizarre, frozen, organizational, citizenship, dozen, privatization, puzzle, civilization, lazy
<z> をもつ語のうちで最頻の size ですら総合716位という低さで,上位1000位以内に入っているのはこの語だけである.健闘しているのが,<z> を二つもっている jazz や puzzle である.
<z> の分布について気づくことは,ギリシャ語由来の借用語が多いこと,-ize / -ization(al) がいくつか見られること ([2010-02-26-1], [2010-03-07-1]) ,単音節語に見られることが挙げられるだろうか.<z> が借用語,特にギリシャ語からの借用語と関連づけられているということは,この文字の固い learned なイメージを想起させる.<z> のもつ近寄りがたさや,それを含む語の頻度の低さとも関係しているだろう,一方で,今回の順位表には数例しか現れていないが,単音節語に <z> がよく出現することは craze, daze, laze, maze, doze, assize, freeze, wheeze などで例証される.心理や状態を表す語が多いようである.
<z> は古英語にもあるにはあったが,Elizabeth などの固有名詞などに限られ,やはりマイナーだった.古英語では /z/ は音素としては存在していず,/s/ の異音として存在していたに過ぎないので,対応する文字 <z> を用いる必要がなかったということが理由の一つである.中英語になり <z> を多用するフランス語から大量の借用語が流入するにつれて <z> を用いる機会が増えたが,<v> の場合と異なり,それほど一般化しなかった.それでも price と prize などの minimal pair を綴字上でも区別できるようになったのは,<z> の小さな貢献だろう.しかし,このような例はまれで,現代でも <s> が /s/ と /z/ の両音を表す文字として活躍しており,例えば名詞としての house と動詞としての house が綴字上区別をつけることができないなどという不便があるにもかかわらず,<z> が出しゃばることはない.<z> の不人気は,Shakespeare でも言及されている ( Scragg, p. 8 ).
Thou whoreson zed! thou unnecessary letter! ( Shakespeare, King Lear, Act II, Scene 2 )
Shakespeare と同時代人で綴字問題に関心を抱いた Richard Mulcaster ([2010-07-12-1]) は,<z> の不人気は字体が書きにくいことによると述べている.
Z, is a consonant much heard amongst vs, and seldom sene. I think by reason it is not so redie to the pen as s, is, which is becom lieutenant generall to z, as gase, amase, rasur, where z, is heard, but s, sene. It is not lightlie expressed in English, sauing in foren enfranchisments, as azur, treasur. ( The First Part of the Elementarie, p. 123 )
英語史を通じて,<z> が脚光を浴びたことはない.しかし,存在意義が稀薄でありながら,しぶとくアルファベットから脱落せずに生き残ってきたのが逞しい.ギリシャ語借用語,特に -ize / -ization,そして一握りの単音節語という限られたエリアに支持基盤をもつ小政党のような存在感だ.
・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.
・ Mulcaster, Richard. The First Part of the Elementarie. Menston: Scolar Reprint 219, 1582. (downloadable here from OTA)
昨日の記事[2010-05-05-1]に続き,<u> と <v> の分化の話題.今回は,中英語や古英語にまで遡る.
まず指摘すべきこととして,古英語では <v> という文字は用いられなかった.というのは,古英語では /v/ は音素 ( phoneme ) として確立していず,あくまで音素 /f/ の有声化した異音 ( allophone ) としてのみ存在したからである.alphabet は原則として音素に対応する文字であるから,/v/ という音素がない以上,それに対応する文字は特に必要ではない.例えば,古英語の ofer "over" という語では,子音 [v] を表すのに <f> が用いられた.有声音に挟まれた子音は自動的に有声化するのが古英語の音韻規則なので,<f> と綴って [f] なのか [v] なのかという迷いは生じない.ここでは自動的に [v] の音となる.このように規則がしっかりしているので,<f> という一文字で用が足りる.余分な文字を設けないという意味で,エコである.(現代英語の of や of course の <f> の発音を比較.)
ところが,中英語の時代に入り状況が変わってくる.これまでは /f/ という音素の異音として存在していた日陰者の [v] が独立して自分の存在をアピールし始めた.音素 /v/ として独立した地位を獲得しだしたのである.この背景には,中英語期のフランス語の流入があった.フランス語では /f/ と /v/ はそれぞれ独立した音素として対立しており,例えば fine と vine は二つの異なる語だった.このように音素の独立を例証する単語ペアを minimal pair と呼ぶ.古英語ではこのような /f/ と /v/ の minimal pair は存在しなかったが,中英語ではフランス語の <v> をもつ語を多く借用したことで,新しく /f/ と /v/ を対立させるような minimal pair が生まれた.こうして英語で /v/ が音素化 ( phonemicisation ) すると,それに応じて <v> という文字の独立性も感じられるようになった.だが,音素化であるとか文字の必要性であるとか以前に,大量の <v> を含むフランス借用語が現実的に入ってきたことで,<v> の文字としての存在感は十分に感じられていただろう.
こうして中英語では古英語から用いられてきた <u> とフランス語に倣って新しく使い始められた <v> が並び立つことになった.だが,当初から事態は単純ではなかった.古英語では <u> は原則としてもっぱら母音字として使われており,これはこれで分布が明快だった.もし新たに取り入れられた <v> が音素 /v/ に対応する子音字として確立していれば,現代のように <u> は母音字,<v> は子音字というような明快な分布を示していただろう.ところが,<v> は英語へ取り入れられた当初から母音字として <u> の代わりとしても使われたのである.これは,もとのフランス語でそうだったからでもあるし,さらに言えばラテン語でもそうだったからである.ラテン語では <v> の音価は母音 [u] または子音 [w] であり(子音としては後に [v] へ変化した),一つの文字として扱われても非難を浴びないほどにその音価は近かったのである.
かくして,古英語では存在すらしなかった <u> と <v> の分布問題が,中英語期にフランスの綴字習慣をならったことで新たに生じてしまった.これが解決されるのに17世紀以降を待たなければならなかったことは,イギリスが中世以降ながらくフランスの影響から抜けきれなかったことを改めて思わせる.
<u> と <v> について,また phonemicisation については Smith (79-82) を参照.
・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
マンガなどで叫び声ともうめき声ともつかない「え゛ー」や「あ゛ー」という表記を見ることがある.日本語としては非標準的な表記ではあるが,非標準としてはじわじわと認知度を広げてきている.こうした表記は通常は目で見るだけだが,あえて発音してみなさいと言われたら,どのように発音すればいいのだろうか.
こんな他愛のない話題で,先日,同僚の英語学の先生方と盛り上がった.そこで各々の意見を述べあったが,結論は一致した.「え゛」や「あ゛」に含まれる子音は「有声声門摩擦音」ではないか.発音記号としては [ɦ] と表記される子音である.
音声学の基礎を修めていれば,この子音の調音は理解できる.一言でいえば [h] の有声音である.しかし,これは言語音としては比較的珍しい音の一つで,正規の音素としては日本語にも英語にも存在しない.ただし,音節間を明確に切らずに「はは(母)」と発音するときに,二つ目の「は」の子音の異音として現れる場合がある.
「え゛ー」のような感情を表現する語は間投詞 ( interjection ) と呼ばれ,この語類ではその言語の標準的な音素体系から外れた音が現れることがある.言語化される以前の感情を反射的に発する際に出される音であるから,当該言語の標準的な音素体系から独立しているということは不思議ではない.
英語に話を移すと,不快を表す ugh [ʌx] や,軽い後悔・非難を表す tut-tut [] のような間投詞がある.[x] は無声軟口蓋摩擦音,[
] は無声歯吸着音であり,標準英語の音素体系には含まれていない子音である.
ここで注目したいのは,日本語でも英語でも,間投詞の表す音を強引に綴字として表記しようとした場合,従来の綴字で表すことが難しいために,無理をせざるをえないという点である.「え゛ー」も強引な表記だし,ugh も強引な表記である.だが,この表記が慣習として定着してくると,逆にこの表記に基づいた新しい発音が生まれることになる.例えば,ugh は [ʌg] として,tut-tut は [tʌt tʌt] として発音されるようになってくる.もともとは感情の発露であった表記しにくい音を強引に表記することによって,今度はその表記に基づいた発音,すなわち綴り字発音 ( spelling pronunciation ) を生み出していることになる.
仮に感情の発露としての最初の発音を「第一次発音」と呼び,その後に綴り字発音として生じた発音を「第二次発音」と呼ぼう.感情の発露としての第一次発音に対して,第二次発音は何段かの言語化プロセスを経て現れた「不自然」で「人工的」な発音である.第二字発音は,その長いプロセスを経る過程で,「皮肉」という connotation を獲得したのではないか.Quirk et al. (853 ft. [c]) によると,ugh [ʌg] や tut-tut [tʌt tʌt] のような第二次発音は,常に皮肉的な響きを有するという.別の例として,ha ha [hɑ: hɑ:] などを挙げている.
感情の発露である第一次発音と綴り字発音などのプロセスを経た第二次発音との間に,「皮肉」などのより人間的な複雑な感情が connotation として付加されるということは,言語発生の議論にも示唆を与えるのではないか.
気がついたら,「え゛ー」の話から言語発生論にまで発展していた・・・.
・Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
二つの子音 /k/ と /tʃ/ は音声学的にはそれほど遠くない.前者は無声軟口蓋閉鎖音,後者は無声歯茎硬口蓋破擦音である([2009-05-29-1])./k/ を調音する際に,調音点を前方にずらせば,/tʃ/ に近い音が出る.
/k/ と /tʃ/ は現代英語では別々の音素だが,古英語では一つの音素の異音にすぎなかった./k/ の前後に /i/ などの前舌母音がにくると,それにつられて調音点が前寄りとなり /tʃ/ となる.調音点が前寄りになるこの音韻過程を口蓋化 ( palatalisation ) という.
英語には,口蓋化の有無により,名詞と動詞が交替する例がいくつか存在する.
bake / batch
break / breach
speak / speech
stick / stitch
wake / watch
match / make
これらのペアのうち,左側の語は動詞で,口蓋化を受けていず,現在でも本来の /k/ を保っている.一方,右側の語は名詞で,口蓋化を受けており,現在でも /tʃ/ の発音をもっている.最後のペアについては口蓋化音をもつ match が動詞で,make が名詞(「連れ」の意)である.
これらのペアを動詞と名詞のペアとして把握していた学習者はあまりいないと思うが,palatalisation という音韻過程を一つ介在させることで,急に関連性が見えてくるのが興味深い.英語(史)を学ぶ上で,音声学の知識が必要であることがよくわかるだろう.
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