近似複数 (plural_of_approximation) なるものがあるが,ご存じだろうか.以下『新英語学辞典』に依拠して説明する.
英語の名詞の複数形は,一般的に -s 語尾を付すが,通常,同じもの,同種のものが2つ以上ある場合に現われる形式である.これを正常複数 (normal plural) と呼んでおこう.一方,同種ではなく,あくまで近似・類似しているものが2つ以上あるという場合にも,-s のつく複数形が用いられることがある.厳密には同じではないが,そこそこ似ているので同じものととらえ,それが2つ以上あるときには -s をつけようという発想である.これは近似複数 (plural_of_approximation) と呼ばれており,英語にはいくつかの事例がある.
例えば,年代や年齢でいう sixties を取り上げよう.1960年代 (in the sixties) あるいは60歳代 (in one's sixties) のような表現は,sixty に複数語尾の -(e)s が付いている形式だが「60年(歳)」そのものが2つ以上集まったものではない.60,61,62年(歳)のような連番が69年(歳)まで続くように,60そのものと60に近い数とが集まって,sixties とひっくるめられるのである.いわばメトニミー (metonymy) によって,本当は近似・類似しているにすぎないものを,同じ(種類の)ものと強引にまとめあげることによって,sixties という一言で便利な表現を作り上げているのである.少々厳密性を犠牲にすることで得られる経済的な効果は大きい.
他には人名などに付く複数形の例がある.例えば the Henry Spinkers といえば,Mr. and Mrs. Spinker 「スピンカー夫妻」の省略形として用いられる.この表現は事情によっては「スピンカー兄弟(姉妹)」にもなり得るし「スピンカー一家」にもなり得る.家族として「近似」したメンバーを束ねることで,近似複数として表現しているのである.
さらに本質的な近似複数の例として,I の複数形としての we がある.1人称代名詞の I は話し手である「自己」を指示するが,複数形といわれる we は,決して I 「自己」を2つ以上束ねたものではない.「自己」と「あなた」と「あなた」と「あなた」と・・・を合わせたのが we である.同一の I がクローン人間のように複数体コピーされているわけではなく,あくまで I とその側にいる仲間たちのことを慣習上,近似的な同一人物とみなして,合わせて we と呼んでいるのである.本来であれば「1人称の複数」という表現は論理的に矛盾をはらんでいるものの,上記の応用的な解釈を採用することで言葉を便利に使っているのである.
もともと複数の「あなた」を意味する you を,1人の相手に対して用いるという慣行も,もしかすると近似複数の発想に基づいた応用的な用法といってしかるべきものなのかもしれない.
「同じとは何か」という哲学的問題が脳裏にちらついてくるが,言語における近似複数はおもしろい事象である.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
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