hellog〜英語史ブログ

#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?[language_change][causation][invisible_hand][teleology][drift][functionalism]

2013-07-24

 「なぜ言語は変化するのか」と「なぜ話者は言語を変化させるのか」とは,おおいに異なる問いである.発問に先立つ前提が異なっている.
 Why does language change? という問いでは,言語が主語(主体)となってあたかも生物のように自らが発展してゆくといった言語有機体説 (organicism) や言語発達説 (ontogenesis) の前提が示唆されている.言語の変化が必然で不可避 (necessity) であることをも前提としている.一方,Why do speakers change their language? という問いでは,話者が主語(主体)であり,話者が自由意志 (free will) によって言語を変化させるのだという機械主義 (mechanism) や技巧 (artisanship) の前提が示唆される.
 どちらが正しい発問かといえば,Keller (8--9) に語らせれば,どちらも言語変化を正しく問うていない.というのは,言語変化は集合的な現象 (collective phenomena) だからである.この集団的な現象を統御しているのは目的論 (teleology) ではなく,「見えざる手」 (invisible_hand) の原理である,と Keller は主張する.
 見えざる手については「#10. 言語は人工か自然か?」 ([2009-05-09-1]) で話題にしたが,この理論の源泉は Bernard de Mandeville (1670--1733) による The Fable of the Bees: Private Vices, Public Benefits (1714) に求めることができる.要点として,Keller から3点を引用しよう.

 ・ the insight that there are social phenomena which result from individuals' actions without being intended by them (35)
 ・ An invisible-hand explanation is a conjectural story of a phenomenon which is the result of human actions, but not the execution of any human design (38)
 ・ a language is the unintentional collective result of intentional actions by individuals (53)


 これを言語変化に当てはめると,個々の話者の言語活動における選択は意図的だが,その結果として起こる言語変化は最初から意図されていたものではないということになる.入力は意図的だが出力は非意図的となると,その間にどのようなブラックボックスがはさまっているのかが問題となるが,このブラックボックスのことを見えざる手と呼んでいるのである.個々の話者の意図的な言語行動が無数に集まって,見えざる手というブラックボックスに入ってゆくと,当初個々の話者には思いもよらなかった結果が出てくる.この結果が,言語変化ということになる.ここから,Keller (89) は言語変化の長期的な機能主義性を指摘している.

As an invisible-hand explanation of a linguistic phenomenon always starts with the motives of the speakers and 'projects' the phenomenon itself as the macro-structural effect of the choices made, it is necessarily functionalistic, although in a 'refracted' way.


 言語変化に至る過程のスタート地点では話者が主体となっているが,途中で見えざる手のトンネルをくぐり抜けると,いつのまにか主体が言語に切り替わっている.このような言語変化観をもつ者からみれば,Why does language change?Why do speakers change their language? も適切な質問でないことは明らかだろう.どちらも違っているともいえるし,どちらも当たっているともいえる.見えざる手の前提が欠落している,ということになろう.

 ・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.

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#2298. Language changes, speaker innovates.[language_change][sociolinguistics][causation][invisible_hand][methodology][contact]

2015-08-12

 本ブログでは,英語史に関する記事と同じくらい言語変化 (language_change) に関する記事を書いてきた.言語変化という用語や概念を当然の前提としてきたが,この前提の背景において理解しておかなければならないことがある.それは,言語変化 (linguistic change) と話者刷新 (speaker-innovation) の区別である (Milroy 77) .言語が変化するのは,話者が言葉遣いを刷新するからである.
 話者が言葉遣いを刷新したからといって,それが言語変化に直結するとは限らない.一度きりの繰り返されることのない刷新にすぎないかもしれないし,個人的な変異にとどまるかもしれない.それが言語体系のなかに定着し,言語共同体内に拡がってはじめて,言語変化が生じたといえる.時間順でいえば,話者刷新は言語変化に先行する.また,話者不在の言語変化はありえないということでもある.このことは考えてみれば自明ではあるが,私たちは「言語変化」を論じる際に,しばしば言語体系を自律したものとして扱い,話者を脇に追いやる.意識的にそのような方法論を採っているのであれば問題は少ないと思われるが,言葉遣いの刷新の主体が話者であるという事実は,常に念頭においておく必要がある.
 刷新や変化の主体が話者と言語のあいだで容易にすり替わり得るのは,刷新から変化への移行に関するメカニズムがよく解明されていないからでもある.そのメカニズムの1つとして見えざる手 (invisible_hand) が提案されているが,それも含めて,今後の研究課題といってよいだろう.
 似たような用語上の懸念として,話者(集団)どうしが接触しているにもかかわらず,しばしば「言語接触」 (language contact) が語られるということがある.言語接触という見方そのものに問題があるわけではないが,それに先だって常に話者接触があるという認識が肝心である.
 言語変化と話者刷新の区別や話者不在の言語(変化)論については,以下の記事で話題にしてきたので,参照されたい.
 
 「#546. 言語変化は個人の希望通りに進まない」 ([2010-10-25-1])
 「#835. 機能主義的な言語変化観への批判」 ([2011-08-10-1])
 「#837. 言語変化における therapy or pathogeny」 ([2011-08-12-1])
 「#1168. 言語接触とは話者接触である」 ([2012-07-08-1])
 「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1])
 「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1])
 「#1992. Milroy による言語外的要因への擁護」 ([2014-10-10-1])
 「#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘」 ([2014-10-23-1])

 ・ Milroy, James. "A Social Model for the Interpretation of Language Change." History of Englishes. Ed. Matti Rissanen et al. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 72--91.

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#2539. 「見えざる手」による言語変化の説明[invisible_hand][language_change][causation][functionalism][spaghetti_junction]

2016-04-09

 近年の言語変化の研究では,言語変化の過程を「見えざる手」 (invisible_hand) の原理により説明しようとする Keller の試みが知られるようになってきた.本ブログでも,「#8. 交通渋滞と言語変化」 ([2009-05-07-1]),「#1549. Why does language change? or Why do speakers change their language?」 ([2013-07-24-1]),「#1979. 言語変化の目的論について再考」 ([2014-09-27-1]),「#2298. Language changes, speaker innovates.」 ([2015-08-12-1]) などの記事で扱ってきた.
 Keller (123) が図示している "invisible-hand explanation" に,説明上少し手を加えたものを下に掲載しよう.

        (micro level)                                                                    (macro level)
┌────────────┐    intentional                         causal        ┌────────────┐
│                        │      actions       ┌─────┐    consequence     │                        │  
│   ○              ○   │  ───────→  │          │  ───────→  │                        │
│ \│/          \│/ │                    │invisible-│                    │                        │
│   │      ○      │   │  ───────→  │   hand   │  ───────→  │      explanandum       │
│ /  \  \│/  /  \ │                    │ process  │                    │                        │
│           │           │  ───────→  │          │  ───────→  │                        │
│         /  \         │                    └─────┘                    │                        │
└────────────┘                                                      └────────────┘
   ecological conditions

 左端の micro level には,ある生態条件のもとでコミュニケーションを行なう個々の話者がいる.個々の話者は意図的に言語行動を行なうが,それが集団的な行動としてまとめられると,それは入力として invisible-hand process と呼ばれるブラックボックスへ入っていく.そこからの出力は,必然的な因果律に基づき,右端の説明されるべき言語現象へと一直線に向かう.
 ある言語変化や言語現象の真の説明は左端,真ん中,右端のそれぞれの箱についての詳細を含んでいなければならないが,従来の「説明」の多くは,左端の箱の ecological conditions のいくつかを指摘するのみだった.例えば,同音異義衝突とかノルマン征服とか,しばしば歴史言語学において「説明」とされてきた事柄だ.しかし,それは真の説明の一部でしかないと Keller は指摘する.改めて,Keller (120) によれば真の説明とは,

An invisible-hand explanation consists --- ideally --- of three levels:

(a) The depiction of the personal motives, intentions, goals, convictions, and so forth, which form the basis of the individual actions: the nature of the speaker's language and the world he lives in, as far as they are relevant for the speaker's choice of action and his choice of linguistic means.
(b) The depiction of the process that explains the generation of structure by the multitude of individual actions. This process is called the invisible-hand process.
(c) The depiction of the generated structure.


 この「見えざる手」による説明は,先日「#2531. 言語変化の "spaghetti junction"」 ([2016-04-01-1]) と「#2533. 言語変化の "spaghetti junction" (2)」 ([2016-04-03-1]) で話題にした spaghetti_junction の説とも関係がありそうである.

 ・ Keller, Rudi. "Invisible-Hand Theory and Language Evolution." Lingua 77 (1989): 113--27.

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