hellog〜英語史ブログ

#2817. 名詞構文と形式性[noun][hypostasis][style][register][rhetoric][discourse_analysis]

2017-01-12

 ヒトラーが演説の天才だったことはよく知られている.陰でオペラ歌手による発声法の指導まで受けていたというから,完全に演説の政治的価値を見て取っていたことがわかる.ヒトラーの演説を,その政治家としてのキャリアの各段階について,言語学的およびパラ言語学的に分析した著書に,高田著『ヒトラー演説』がある.言語学的分析に関しては,ヒトラー演説150万語からなる自作コーパスを用いた語彙調査が基本となっており,各時代について興味深い分析結果が示されている.
 とりわけ私が関心をもったのは,ナチ政権期前半に特徴的に見られる名詞 Ausdruck (表現),Bekenntnis (公言),Verständnis (理解)と関連した名詞構文の多用に関する分析である(高田,p. 161--62).いずれも動詞から派生した名詞であり,「名詞的文体(名詞構文)」に貢献しているという.名詞構文とは,「列車が恐ろしく遅れたこと」を「列車の恐ろしい遅延」と名詞を中心として表現するもので,英語でいえば (the fact) that the train was terribly delayedthe terrible delay of the train の違いである.
 思いつくところで名詞構文の特徴を挙げれば,(1) 密度が濃い(あるいはコンパクト),(2) 形式的で書き言葉らしい性格が付される,(3) 実体化 (hypostasis) の作用により意味内容が事実として前提されやすい,ということがある(「#1300. hypostasis」 ([2012-11-17-1]) も参照).これは,ドイツ語,英語,日本語などにも共通する特徴と思われる.
 名詞構文においては,対応する動詞構文ではたいてい明示される人称,時制,相,態,法などの文法範疇が標示されないことが多く,その分情報量が少ない.ということは,細かいニュアンスが捨象されたり曖昧のままに置かれるということだが,形式としては高密度でコンパクト,かつ格式張った響きを有するので,内容と形式の間に不安定なギャップが生まれる.外見はしっかりしていそうで中身は曖昧,というつかみ所のないカプセルと化す.それを使用者は「悪用」することができるというわけだ.政治家や役人が名詞構文をレトリックとして好んで使う所以である.
 高田の分析によれば,ヒトラーの場合には「このような形式性,書きことばらしさは,ナチ政権期前半においてさまざまな国家的行事における演説に荘厳な印象を与えるためのものであった」 (161--63) という.

 ・ 高田 博行 『ヒトラー演説』 中央公論新社〈中公新書〉,2014年.

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