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harp - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2026-09-15 05:00

2026-09-14 Mon

#6349. Samuel Beckett Bridge とアイルランドの箴言 [tabihel][dublin][ireland][beckett][literature][translation][harp][heldio]


Samuel Beckett Bridge, Dublin



 先日の記事「#6341. ha'penny 「半ペニー」 --- ダブリンの Ha'penny Bridge より」 ([2026-09-06-1]) で「明日も明後日もこの橋を渡ることにしよう」と書いたが,実際には毎朝のジョギングのコースは日によって変わる.すでに定番コースの1つでもあるのだが,今朝は Ha'penny Bridge からさらに下流方面に走り,Liffey 川が海へと近づいていく Docklands 地区で,異彩を放つ橋を横目に走った.Samuel Beckett Bridge である.2009年に竣工の比較的新しい橋だ.アイルランドの国章でもあるアイリッシュ・ハープ (Irish harp) を横倒しにした形そのものの橋だ.橋は北岸と南岸の通りを結ぶ交差点も兼ねており,信号待ちがてら,ここでひと息つくことが多い.
 この橋の形が象るハープは,アイルランド共和国の紋章やギネスビールのロゴにも用いられる国民的な象徴だが,橋のたもとに立つと,その意匠の大胆さに見とれる.ちなみに,最近の heldio は,この早朝ジョギングの復路にて,この橋の付近で屋外収録を行なうことが増えている.川の風にあおられながらの収録は,臨場感があってなかなか気に入っている.
 さて,この橋の名の由来となった Samuel Beckett (1906--89) は,ダブリン近郊 Foxrock の生まれ.Waiting for Godot (原題は仏語 En attendant Godot, 1952年)をはじめとする不条理演劇の傑作で知られ,1969年にノーベル文学賞を受賞したアイルランド出身の作家である.英語史の観点からも見逃せないのは,Beckett はフランス在住作家だったが,英語とフランス語の両言語で創作し,しかも自作を自ら他方の言語へと訳し直す自己翻訳を生涯にわたって実践した稀有な作家だという点だ.削ぎ落とすように言葉を切り詰めていく彼の作風は,2つの言語のあいだを往還するなかで,いっそう研ぎ澄まされていったのだろうか.
 Beckett のよく知られた箴言の1つに,次の文句がある.晩年の散文作品 Worstward Ho (1983) の冒頭の表現だ.

Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.


 「やってみた.失敗した.それがどうした.また挑戦せよ.また失敗せよ.もっとうまく失敗せよ.」今日では Fail better. の部分だけが自己啓発やビジネスの文脈で独り歩きし,すっかり紋切り型のスローガンと化している.しかし,やはり味わいがある.
 この教訓は,あらゆる失敗に等しく当てはまるわけではないだろう.取り返しのつかないほど大きな失敗をしてしまうと,そう簡単には次の挑戦に向けて立ち上がれないものだ.しかし,やり直しのきく小さな失敗であれば,この箴言はそのまま生きた指針になる.失敗そのものをいちいち気に病まず,成功するまで淡々と続けよ,ということだ.
 ただし,実践する側にとって本当に難しいのは,まさにそこである.次の挑戦が実るのが1週間後なのか,1ヶ月後なのか,1年後なのか,それとも10年後なのか,誰にも前もっては分からない.No matter. と割り切れるだけの余裕は,見通しの立たない時間の長さの前で,しばしば試される.
 思えば,アイルランド出身の作家には,Beckett にせよ Swift にせよ,寸鉄人を刺す箴言の名手が数多く出ている.先日立ち寄った土産物屋の店先にも,アイルランド出身作家たちの箴言をあしらった「箴言マグネット」なるものがたくさん並んでいた.1つ1つ手にとって読むたびに思わずウームとうなってしまい,買って帰って冷蔵庫にでも貼ろうかと,本気で悩んでしまうほどだ.

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