昨日の記事「#2173. gospel から d が脱落した時期」 ([2015-04-09-1]) で,gospel が "good + spell" ではなく "God + spell" と「誤って」解釈されたとする説を紹介した.民間語源の一種である.民間語源については,これまでも folk_etymology の各記事で sand-blind, bikini/monokini, wedlock, bridegroom, bonfire などの例を挙げてきた.
民間語源では,同じあるいは類似した音形をもつ2つの形態素の間に意味的結びつきが生じることによって起こる.上の例でいえば,それぞれ sam- (半分の)と sand (砂),bi- (それ自身は無意味な非形態素)と bi- (2つの),-lāc (動作名詞の接尾辞)と lock (錠前),guma (人間)と groom (若者),bone (骨)と bon (良い)とが結びつき,結果として元来の前者の表す意味よりも後者の表わす意味が前面に出てきて,現在はその意味で理解されることが多い.ここで生じていることは,やや雑ぱくながらも別の言い方をすれば,2つの同音異義形態素 (homonymic morphemes) が,意味的につながりのあるもの,すなわち1つの多義形態素 (polysemic morpheme) として再解釈される過程である.つまり,多義化の一種といえるが,元来の語義が忘れ去られ,消失してしまえば,古い意味から新しい意味への意味変化が生じたことにもなる.この点で,民間語源は意味変化と密接な関係にある.
ただし注意したいのは,民間語源は,2つの形態素が厳密に同じ音形でなくとも,ある程度類似さえしていれば生じることができるという点である.実際,上に挙げた例の多くに見られるのは,同一ではなく類似した音形の対にすぎない.一方で,意味変化とは,同一の音形 (signifiant) に対応する意味 (signifié) が,あるものから他のものへと置き換わることである.したがって,民間語源と意味変化の関係はやや複雑だ.民間語源の生じる過程は,厳密に同じではないが類似する2つの音形という緩いつながりのもとに,意味の連関,多義化,意味変化が生じる過程である.民間語源が意味変化の例と呼びうるのは,このような間接的な意味においてのみだろう.
民間語源と意味変化の込み入った関係について,Luján (292) は次のように述べている.
Folk etymology plays an important role in morphological reshaping and in lexical modification, and it must be mentioned here in connection with semantic change---a synchronically unanalyzable word or expression is restructured, so that its form allows for a semantic connection with other lexical items in the same language. This is what has happened in well-known cases as English asparagus → sparrow-grass or chaise lounge (from chaise longue 'long chair').
この関係には,homonymy (同義)と polysemy (多義)の区別の問題も関わってくるに違いない.両者の区別の曖昧さについては,「#286. homonymy, homophony, homography, polysemy」 ([2010-02-07-1]),「#815. polysemic clash?」 ([2011-07-21-1]),「#1801. homonymy と polysemy の境」 ([2014-04-02-1]) を参照されたい.
・ Luján, Eugenio R. "Semantic Change." Chapter 16 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum International, 2010. 286--310.
enough の語幹は印欧祖語に遡り,ゲルマン諸語に同根語が認められる.ゲルマン祖語 *ȝanōȝaz から派生した各言語の語形は,オランダ語 genoeg, ドイツ語 genug, 古ノルド語 gnógr,ゴート語 ganōhs,そして古英語 ġenōh, ġenōg などである.
古英語後期には,語末の g は長母音の後で無声音化することが多く,/x/ と発音されるようになったと考えられる.その後,16世紀までに唇音化して /f/ となったものが,現在の enough の標準発音に連なる発音である.
一方,(語末ではなく)語中の g は上記の経路をたどらなかった.この点は重要である.というのは,形容詞としてこの語が用いられるとき,古英語と中英語においては,性・数・格に応じた屈折語尾を付加する必要があり,問題の g はたいてい語末ではなく語中に生起することになるからだ.例えば,古英語において,複数主格・対格では -e 語尾が付加されて,ġenōge という形態を取った.この形態にあっては,問題の子音は後の時代に半母音化し,さらに上げや大母音推移などの音変化を経て,近代英語までに現在の /ɪˈnaʊ/ に近い発音になっていた.enow の綴字は,こちらの発音を反映するものである.
このように,enough と enow の区別は歴史的には単数形と複数形の違いと考えることができるが,単数に enow,複数に enough を用いるような両者の混乱はすでに中英語期からあったようである.enow を退けての enough の一般化は,歴史的な区別を明確につけていた Milton のような書き手もいたものの,17世紀には確立していたとみられる (Jespersen §2.75) .
ところが,おもしろいことに1755年に出版された Johnson の辞書では,enow が enough と別の見出しで挙げられており,"The plural of enough. In a sufficient number." とある.ただし,例文として与えられているのは Sydney, Milton, Dryden, Addison などのやや古めの文献からであり,辞書出版当時に enow と enought が日常的に区別されていた証拠とするわけにはいかないだろう.
現在の辞書では,enow は《古風》というレーベルを貼られて enough の代用とされているが,上記のように,歴史的には enough の複数形に起源をもつという事実は押さえておきたい.なお,現代英語でも方言を見渡せば,enow のほうを一般化させて日常的に使用しているケースも多いことを付言しておこう.
ちなみに,enough/enow の問題と平行的に論じられる例として,plough/plow を挙げることができる.こちらについては「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1]) を参照.関連して,blond/blonde に見られる性による「屈折」を取りあげた「#504. 現代英語に存在する唯一の屈折する形容詞」 ([2010-09-13-1]) もどうぞ.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 2. Vol. 1. 2nd ed. Heidelberg: C. Winter's Universitätsbuchhandlung, 1922.