一般に「民間語源」 (folk_etymology) は勘違いの語源解釈とみなされている.歴史的に真実の語源(しばしば「学者語源」といわれる)とは異なる誤った語源説として言及されることが多い.
しかし,古今東西,言語には民間語源の事例は多く,むしろ言語変化の重要な原動力の1つであると積極的に評価することもできる.このポジティヴな見方については「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) や「#5180. 「学者語源」と「民間語源」あらため「探究語源」と「解釈語源」 --- プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の最新回より」 ([2023-07-03-1]) などで取り上げてきた.
Fertig による類推 (analogy) に関する本を読んでいて,民間語源が関与した結果,歴史的に正しい形に戻る事案,つまり「歴史的に正しい民間語源」の例があることを知った.関連する箇所を引用する.
The fact that we say churchyard rather than *churchard, which would show the normal phonetic reduction of the second, more weakly stressed element of the compound (as in orchard), and the widespread pronunciation of forehead as /fɔrhɛd/ rather than reduced /fɔrɪd/ can be ascribed to speakers analyzing these compounds just as they do in cases of folk etymology, the only difference being that here their analysis is historically accurate.
いったんこの民間語源の捉え方を知ってしまうと,コトバの見え方がガラッと変わる.forehead に代表される綴字発音 (spelling_pronunciation) には「歴史的に正しい民間語源」の例が多そうだが,すると昨今 often を [ˈɔ:fn] ではなく [ˈɔ:ftən] と発音したり,assume を[əˈʃu:m] ではなく [əˈsju:m] と発音するようになってきているのも,正しい民間語源の例だったのか,と気づくに至る.
さらに考えを進めていくと,もともとラテン語由来の単語だ(ろう)からという知識に基づき,doute に <b> を挿入して doubt などと綴りだした語源的綴字 (etymological_respelling) の現象も,結果的には歴史的に正しい語源形に近づいていったという点で「歴史的に正しい民間語源」の仲間とも言えそうだ.ただし,ここには意図性の有無という基準も関わってきそうであり,どのような点で仲間といえるのかは問題となるかもしれない.
Fertig は "hypercorrective folk etymology" 「修正しすぎの民間語源」 (60--61) と表現しているが,この現象,いなこの見方は新鮮で興味深い.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
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