
ダブリン滞在中の早朝ジョギングで出会った1コマをお伝えする,ダブリンの「旅hel」 (tabihel) シリーズ.市南部の Synge Street まで足を延ばし,George Bernard Shaw (1856--1950) の生家とされる建物を訪ねてみた.今ではごく普通に誰かが暮らしている住宅で,うっかり通り過ぎてしまいそうなほど何の変哲もない建物なのだが,玄関脇にはダブリン市による銘板がしっかりと掲げられており,ここが Shaw の生誕地であることを物語っていた.
Shaw の面影は,ダブリン市内の別の場所でも拝むことができる.Merrion Square West に面するアイルランド国立美術館 (National Gallery of Ireland) のホールに足を踏み入れると,Shaw その人がオーディオの案内とともに出迎えてくれるのだ.少年時代にこの美術館へ足繁く通って絵画を通じた美的感覚を養い,後年,自作の版権収入の一部を遺贈したのも Shaw 自身だった.生家の慎ましさとは対照的な,故郷ダブリンにおける Shaw のもう1つの居場所である.

Shaw といえば,綴字と発音の乖離 (spelling_pronunciation_gap) を痛烈に皮肉った ghoti = fish の小咄で広く知られている.もっとも,この例を発案したのは Shaw 自身ではなく,ある綴字改革者が挙げた例を Shaw が擁護したというのが実際の経緯らしいことは,「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]) で見た通りである.だが,Shaw にとって英語綴字の不合理は単なるジョークの種にとどまらず,生涯にわたる本気の問題意識だった.遺言のなかにまで綴字改革への企図を書き残し,多くの候補者から選ばれた Kingsley Read の手による新アルファベット Shavian Alphabet の考案を後押ししたことは,「#605. Shavian Alphabet」 ([2010-12-23-1]) で紹介した通りである.
しかし,Shavian Alphabet は,後世にほとんど影響力を及ぼさなかった.一般の英語使用者の綴字習慣を変えるには至らず,今では英語綴字改革史上の1エピソードとして記憶されるにとどまっている(「#5030. 英語史における4種の綴字改革」 ([2023-02-03-1]),「#5009. なぜバーナード・ショーの綴字ネタ「ghoti = fish」は強引に感じられるのか?」 ([2023-01-13-1]) も参照).
一方,本気ではなく皮肉として放たれた "ghoti" のほうは,時代を超えて今もなお世界中で語り継がれ,英語学習者が綴字と発音のギャップに感じる困惑を,多少誇張気味にではあるが,見事に代弁し続けている.
真剣に企てた改革案よりも,軽い皮肉のほうが長く生き延びる.綴字と発音のいたちごっこを長年見つめてきた身として,このねじれもまた,英語史のおもしろいところだなと思う.
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