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#5251. 「名前」 --- 『宗教学事典』より[religion][onomastics][name_project][kotodama][religion][bible]

2023-09-12

 『宗教学事典』より言葉に関する項目をつまみ食いしていくシリーズ.「名前プロジェクト」 (namae_project) で注目している「名前」を宗教学の観点からみると,これほどまでにおもしろい.視点の切り替えはエキサイティングである.

 名前とは,広く捉えれば文法でいうところの名詞であり,あるもの/ことを示すために用いられる言語表現である.この意味での名前=名詞は,一般的なもの/ことを表すために用いられる「普通名詞」と,個別のもの/ことのみをさす「固有名」とに大別される.前者は,「うちの犬」や「柴犬」のように,それぞれの要素にも,それらを包括する全体(「犬」)にも運用されるが,後者は,かけがえのない個物にしか適用されない.後者が,狭い意味における名前であろう(人の名前,町の名前,山や川の名前など……).
 しかし,上記いずれの意味においても,名前は古来洋の東西を問わず,単なる言語による表示というレベルを超えた呪術的な力を備えたものとして扱われてきた.そういった経緯を,ラテン語の格言 "nomen est omen" 「名は予兆なり」がよく表し.名前は,何かそれ以上のものをもたらし,名前の付与は,その名づけられたものを支配することにも通じるのである(例えば,創世記2:19).わが国における忌詞や,南無阿弥陀仏という語句を呪語として用いる風も,名前というものが,「畏るべき」であると当時〔ママ〕に「魅する」という,「聖なるもの」 R. オットーの属性を備えていることを,おぼろげに示している.かくして,出生時における名前の付与(例えば,洗礼名)や,様々な機会における名前の変更(例えば,戒名)などは,諸宗教における重要な儀礼的契機である.また,長く待ち望まれたこの出生の際に,希望や感謝の念を込めた名前を付したり,転生や死後にわたる生の存続を願って祖父母の名前を子につけるといった慣習も,一文化や一民族に限られるものではない.福音書においてイエス・キリストに付与される「インマヌエル=神われらととおに」(マタイによる福音書1:23=イザヤ書7:14)といった名前なども,そういった事例の一つと捉えることができよう.


 名前には「畏るべき」「魅する」という「聖なるもの」としての属性があるという指摘は意味深長である.名前は,言語活動の道具としてみると,ただの名前にすぎないともいえるが,一方で聖なる性質を備えたものととらえるのであれば,畏怖と魅惑の対象にすらなるのである.
 宗教学における名前の議論として最も重要なものは,神(々)の名前だろう.もっともタブー性の強い対象である.
 宗教学のつまみ食いシリーズとして,以下の記事も参照.

 ・ 「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1])
 ・ 「#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-22-1])
 ・ 「#5233. 「言葉の宗教」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-25-1])

 ・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.

Referrer (Inside): [2023-09-15-1]

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