最近,「名前の言語学」である固有名詞学 (onomastics) に関心を寄せており,そのハンドブックを最初から読み進めている.「名前」現象について,考えたこともなかった角度から考察が加えられており,新鮮で刺激的な機会となっている.
地名研究の方法論に関する第5章を読んでいたところ,地名の語源を探っている研究者にとっては地名の再形成・再解釈はよくある話だと知った.要するに地名は民間語源 (folk_etymology) の宝庫だということだ(「民間語源」という呼称を巡っては「#5180. 「学者語源」と「民間語源」あらため「探究語源」と「解釈語源」 --- プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) の最新回より」 ([2023-07-03-1]) を参照).
同章を執筆した Taylorは,スコットランドの地名の研究者であり,スコットランドの Aberdeenshire は Buchan の Deer という名の教会の事例を紹介している.この Deer という名前は The Gaelic Notes in the Book of Deer というスコットランド・ゲール語で書かれたテキストのなかに記録されている.このテキストの中身は,10世紀の福音書抜粋のなかに12世紀になって書き込まれた Deer 教会の資産記録である.
Deer という名前の由来は,おそらくピクト語で「オークの木」を意味する *derw- と想定されている.しかし,すでに The Gaelic Notes in the Book of Deer の時代には,この名前はスコットランド・ゲール語で「涙」を意味する déar と解釈されるようになっていたらしい.というのは,その教会に祀られている聖ドロスタンが,聖コルンバと別れる際に涙を流したことが,その名前の由来であると,すでに考えられていた節があるからだ.
確かに地名にはこのように印象的な物語を作り出すべく再解釈されやすい側面があるかもしれない.一般語よりも,ストーリーが注入されやすい,といえばよいだろうか.人々の想像と創造の産物である.
・ Taylor, Simon. "Methodologies in Place-name Research." Chapter 5 of The Oxford Handbook of Names and Naming. Ed. Carole Hough. Oxford: OUP, 2016. 69--86.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow