多くの現代人にとって,なぜ英語を学ぶのかという問いは自明であって,改めて問う必要はないかのように聞こえるだろう.私はこの問いの答えは必ずしも自明ではなく,各学習者が真剣に考えるべき問題だと思っているが,ひとまずその議論はおいておき,ここでは英語学習の自明性をひとまず認めておくことにしよう.
では,なぜ英語史を学ぶのかという問いはどうだろうか.多くの英語学習者にとってこの答えは自明ではないかもしれないが,一度じっくり考えてみてほしい.ある人は,自分の学んでいる言語がたどってきた歴史文化を学ぶことは,学習上きっと大事なことにちがいない,という漠然とした関心を抱いているかもしれない.ある人は,なぜ英語がここまで世界で広く使用される言語になったのか,その理由を歴史の中に探りたい,という明確な問題意識を抱いているかもしれない.
児馬修(『ファンダメンタル英語史』 ひつじ書房,1996年,ii--iii頁)は英語史を学ぶ意義について述べているが,私の解釈を含めてまとめると次の3点になろう.
・現代英語を深く理解することができる
・歴史に基づいた英語観を形成することができる(特に英語を教える立場にある者には必要)
・英語の言語変化を考える際の材料を得ることができる
私なりに整理した「英語史を学ぶ意義」は次の5点である.
(1) 現代英語の文法や語彙が学びやすくなる.(今まで関連の見えなかった現象につながりが見えてくる.不合理・不規則に見える現象の根拠を知ることができる.)
(2) 英語の過去を通じて英語の未来を意識することで,能動的・戦略的に英語を学ぶ姿勢が身につけられる.(未来における英語の立場を予想できれば,英語学習が本当に必要かどうかを自分で判断できるようになる.英語学習の動機も高められる.)
(3) 言語は変わるものであり,多様なものであるという許容的な言語観が形成され,おおらかに英語を学べる,あるいは教えられるようになる.
(4) 英語史は一つの物語であるから,おはなしとして面白い.
(5) 研究分野として純粋に面白い.(学問研究は世の役に立つからという理由で存在しているのではない.あくまで対象が美しいがゆえにそれに惹かれるということが学問研究の出発点である.結果として役に立つこともあるし,そうでないこともある.)
英語史は,英語を学ぶ者すべてにとって大きな意義があると確信している.特に英語を教える立場にある人にとっては(2)や(3)のポイントは重要なのではないか.
[2009-05-22-1]の記事「#24. なぜ英語史を学ぶか」への付け加え.オーストリアで英語史を教えている Schmetterer の英語史教育論といえる論考を読んだ.Schmetterer は,英語史のなかでも中英語と初期近代英語の歴史,とりわけ1500年以降の英語標準化の経緯を学び,教えることが必要だと力説する.言語的規制の弱い中英語から,言語の規格化へ乗り出す初期近代英語への著しい変わり映えを観察することで,言語が固定化された絶対的なものではありえないという認識に至ることができるという主張だ.この認識の中身について,Schmetterer は具体的に3点を挙げている.
(1) "language change is both inevitable and necessary in order to meet the requirements of the world around us" (372)
(2) "right" and "wrong" can be applied to language utterances only with the greatest possible caution" (372)
(3) "a language consists of various levels, regional, social, and temporal" (373)
言語とは通時的に変わる (change) ものであり,地理的,社会的,語用的な要因により共時的にも替わる (vary) ものである.そのような流動的な対象に正当に善し悪しの評価を加えるというのは,本来,不可能である.しかし,人間の社会生活において善悪の区別は本質的であり,言語についてもある程度の規準をもちたいという欲求は,特に近代国家とその国民にとって,抗いがたい.本来は不明確なところに善悪の線引きをしようというのだから,線引きする際にも,そしてすでに線引きされたものを評価する際にも,最大限の注意を払わなければならない.
言語は変わりもすれば,替わりもするので,本来は善し悪しをつけがたい.これを十分に理解したうえでの規範であれば,役に立つ.このような言語観の形成に最も役立つのが,(必ずしも英語史とはいわずとも)言語の歴史ではないだろうか.
・ Schmetterer, Victor. "The History of the English Language and Future English Teachers." Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 371--77.
「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]) および「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]) で取り上げてきた英語史学習・教育の重要性について付け加え.Schmitt and Marsden (71--72) は,英語史の知恵をいかに英語教育へ応用すべきかという問題に対して,核心を突いた解答を示している.その「教訓」を以下に要約しよう.
しばしば学習者が質問するような不規則形などの問題は,純粋に歴史の偶然の産物である.例えば,3単現の -s がなぜ残ったのかは誰もわからない.ほかに問題となりうる規則には,規範文法家が独断と偏見で作り出したものが多い.彼らは英語はこのように話すべきだと定めることに関心があり,英語が実際にどのように話されているかという現実には目を向けなかった.分離不定詞 (split_infinitive) や shall と will の使い分け([2010-07-22-1]の記事「#451. shall と will の使い分けに関する The Wallis Rules」を参照)などがその例だ.
このような理不尽な規則そのものと同じくらい問題をはらんでいるのは,唯一の正しい英文法があるという誤った考え方だ.この態度は学習者にも教師にも深く根付いている.学習者も教師も1つの正しい答えを期待しているが,実際には言語は生きた体系であり,常に変化し,新しい状況に適用しようとする複雑で変化に富んだ体系である.つまり,文法とは絶対的な規則集ではない.もちろん文法項目のなかには比較的不変の項目もあり,それを規則として教えるということはよいことだろう.しかし,そうでない柔軟に変化する文法項目もある.後者の場合には,規則としてとらえるのではなく,多くの場合に用いられる規則的な形はあるけれども状況に応じて変異する規約くらいにとらえておくのがよい.
教師は,英語文法の柔軟性をよく理解し,変異を左右する文脈的な要因に通じている必要がある.特に話し言葉と書き言葉の区別は重要であり,それぞれに異なった文法が存在するのだと認識しておくことが肝要だろう.
Schmitt and Marsden は,この主張を支持するために,現代英文法の大著 Longman Grammar of Spoken and Written English の著者たちの次の言葉を引用している.
It would . . . be wrong to assume that standard English is fixed, with little or no variability. In fact, one of the major goals of the LGSWE is to describe the patterns of variation that exist within standard English, and to account for those patterns in terms of contextual factors. . . . In particular, the notion that the standard insists on 'uniformity'---allowing just one variant of each grammatical feature---is a serious fallacy, arising from a misleading application to language of the notion of 'standard' and 'standardization' taken from other walks of life. (18--19)
改めて,私も主張したい.英語は他のすべての言語と同様に,絶対的,固定的なものではなく,通時的にも変わるし共時的にも替わる流動体である.
・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]) ,「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]) ,「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]) に引き続き,ポーランドの英語史界の重鎮 Jacek Fisiak 先生による「なぜ英語史を学ぶ必要があるのか」を紹介する.訳書 pp. 20--21 をそのまま引用して,学ぶ理由4点を示そう.わかりやすく,かつ力強い主張である.
将来英語の教師になるために学んでいる学生が英語史を勉強すべき理由をいくつか挙げると。
まず第1に、現在の英語を理解するためには、英語の過去について何かを学び知っていることは有益である。歴史に目を向けることによって、新しい視点で現代の英語に取り組むことができる。今日の英語では変則的な変化形と見なされるもの、たとえば man -- men、foot -- feet、mouse -- mice、ox -- oxen などに見られる近代英語の名詞の複数形が、かつては規則的な変化形であったという点から、この変則性を説明し理解することができる。同様に、今日ではジャングルのようにこんがらがって見える近代英語の綴りもチョーサーの時代にはかなり規則的であり、言語学的必要性から生じたものであった。その歴史を知れば、/f/ の音が <gh> あるいは <f> で表されていることについてはなんらおかしいところも不規則なところもないことが分かる。
第2に、ある言語の過去の状態を知ることは、昔の文学作品を原文で読み、鑑賞する機会を与えてくれる。たとえば最高の訳であっても現代語訳を通してでは、中世や、ルネッサンス期の傑作の持つ雰囲気を感じとり、堪能することはできないであろう。
第3に、言語使用における規範に関するある種の偏見から我々を解放してくれる。言語は変化するものであり、今日の文法規則に反している言語形態が、明日は「正しい」ものとなるかも知れない。言語の歴史に目を向ければ、我々はもっと寛大になれる。現在会話や文章で用いられている言葉はどんなものでも受け入れるべきだというのではない。言語の発展がどういうものかを十分に理解するならば、より理にかなった批判ができるということである。
最後に、英国の歴史や文学や文化を学ぶに当たって、英語の歴史は学ばなくてもよいという理由はどこにもない。「歴史をいくらかでも知らない者は、その人の人間性の重要な側面の1つを欠く者である。歴史が今日の人間を作りあげたのであるから、人間を理解するためにはその過去をいくらかでも知らねばならない」 (Bloomfield & Newmark 1963: 19) 。
第3の理由として挙げられている段落の後半の議論は,特に重要である.英語のたどってきた歴史を振り返ると,何でもありのような自由奔放さが感じられるのは事実だが,だからといって現在生じているどんな言語変化でも無批判に受け入れるべきだということにはならない.「理にかなった批判」というのが非常に難しいところなのだが,それが何であるかを個人個人が自ら考えてゆく必要があるのではないか.「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1]) で見たように,規範主義が緩んできているという兆しが指摘されている昨今,この問題は重要性を増してくるだろう.そのために英語史が貢献しうることは多いと,私は考えている.
なお,最後に引用されている著の書誌情報は,Bloomfield, M. and Newmark, L. A Linguistic Introduction to the History of English. New York: Knopf, 1963. である.
・ ヤツェク・フィシャク著,小林 正成・下内 充・中本 明子 訳 『英語史概説 第1巻外面史』 青山社,2006年.
標記の話題について,Crystal (296--97) は著書の終わりに近い部分で,説得力をもって次のように述べている.
It is no more than common sense for those who have invested a childhood, or adult time and money, in successfully acquiring the English language to maintain an active interest in the language's progress. The more we learn about where the language has been, how it is structured, how it is used, and how it is changing, the more we will be able to judge its present course and help to plan its future. For many people, this will indeed mean a conscious altering of attitude. Language variation and language change --- the two aspects of English which are at the centre of its identity, and which are most in the public eye --- are too often blindly condemned. If just a fraction of the nervous energy which is currently devoted to the criticism of split infinitives and the intrusive r were devoted to the constructive promotion of forward-looking language activities, what might not be achieved?
Crystal は,英語の変化と変異 (change and variation) を学ぶことにより,その現在をよりよく判断し,未来をよりよく計画することができると力説している.これが,英語の歴史を始め,構造,変異,使用を学ぶ意義だろう.現在,そして未来に向けて,英語とうまく付き合っていくための知識であり知恵となる.さらに,英語史を学ぶことは,母語を含めた言語一般に対する視野を広げ,寛容な態度を育てることにも貢献する.今後も,この分野のもつ大きな可能性を指摘し,説いていきたいと思っている.
関連して,「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]),「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]),「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]),「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1]) も参照.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
常々,英語史という学問領域は,教養的,人文的,学際的であると考えています.言語学(英語学)と歴史学の接点であることは言うまでもなく,言語学の関連諸分野と歴史学の関連諸分野とが多様に交差する複合的な知の領域です.年度初めのこの4月に,英語史の世界に初めて足を踏み入れる人も,改めて深く学ぼうと意気軒昂たる人も,ぜひ英語史をこのように広くとらえてもらえればと思います.
英語史の古典的名著を著わした Baugh and Cable も,その第6版の冒頭を飾る第1節 "The History of the English Languages as a Cultural Subject" にて,それは教養ある人々にふさわしい教養科目であると宣言しています.少し長いですが,力のこもった文章なので,掲載しておきましょう.
It was observed by that remarkable twelfth-century chronicler Henry of Huntington that an interest in the past was one of the distinguishing characteristics of humans as compared with the other animals. The medium by which speakers of a language communicate their thoughts and feelings to others, the tool with which they conduct their business or the government of millions of people, the vehicle by which has been transmitted the science, the philosophy, the poetry of the culture is surely worthy of study. It is not to be expected that everyone should be a philologist or should master the technicalities of linguistic science. But it is reasonable to assume that a liberally educated person should know something of the structure of his or her language, its position in the world and its relation to other tongues, the wealth of its vocabulary together with the sources from which that vocabulary has been and is being enriched, and the complex relationships among the many different varieties of speech that are gathered under the single name of the English language. The diversity of cultures that find expression in it is a reminder that the history of English is a story of cultures in contact during the past 1,500 years. It understates matters to say that political, economic, and social forces influence a language. These forces shape the language in every aspect, most obviously in the number and spread of its speakers, and in what is called "the sociology of language," but also in the meanings of words, in the accents of the spoken language, and even in the structures of the grammar. The history of a language is intimately bound up with the history of the peoples who speak it. The purpose of this book, then, is to treat the history of English not only as being of interest to the specialized student but also as a cultural subject within the view of all educated people, while including enough references to technical matters to make clear the scientific principles involved in its evolution. (Baugh and Cable 1--2)
この主張に賛同するのであれば,英語史と同じくらい日本語史も勉強したくなるかもしれません.○○語史は,専門科目でもあり教養科目でもあるのです.学習意欲を高めるために,次の記事もどうぞ.
・ 「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1])
・ 「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1])
・ 「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1])
・ 「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1])
・ 「#2984. なぜ英語史を学ぶか (5)」 ([2017-06-28-1])
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事 ([2019-04-16-1]) に引き続き,新年度に英語史をちょっと覗いてみよう(あるいは本格的に研究してみよう)という人のために,英語史が教養の学であることを改めて力説したいと思います.Heyes and Burkette は,2017年に編んだ英語史教育に関する本の序論で,英語史 (HEL = the history of the English language) が教養的な学問領域であり,人文的な知を統合した総合学であることを繰り返し指摘しています.まずは,次の引用から.
HEL course, especially in English departments, are often outliers in course catalogs. Yet they tacitly reside at the center of professional conversation about "English Studies" that emphasize the role of praxis and the potential for political engagement in academic course. For the very reasons that HEL demands much of its instructors and students, it epitomizes the intellectual dynamism and integrated knowledge that have been identified among the humanities' most compelling assets in twenty-first-century university curricula. (2)
また,日本人の英語史研究者 Haruko Momma などを引き合いに出して,英語史という領域を次のように評価しています.
Speaking to HEL's difference from other English department courses, Haruko Momma judges it an "intellectual advantage" that HEL "has never been subject to the compartmentalization that has affected the rest of the discipline." Momma's observation addresses HEL's chronological scope as well as its interdisciplinary reach. Over the course of a single semester, a HEL course may incorporate material from history, geography, lexicography, philology, literature, grammar, and linguistics, the last of which includes the subfields of phonology, morphology, syntax, semantics, pragmatics, and sociolinguistics. As Michael Adams has observed, in HEL "many elements of a liberal education converge." (3)
キーフレーズを拾えば,"intellectual dynamism", "integrated knowledge", "intellectual advantage", "never . . . subject to the compartmentalization", "many elements of a liberal education" となり,英語史がいかに教養的,人文的,学際的な領域であるかを力説していることがわかります.
・ Heyes, Mary and Allison Burkette. "Introduction." Chapter 1 of Approaches to Teaching the History of the English Language: Pedagogy in Practice. Ed. Mary Heyes and Allison Burkette. Oxford: OUP, 2017. 1--10.