hellog〜英語史ブログ

#4657. 翻訳の不確定性[philosophy_of_language][translation][semantics][terminology]

2022-01-26

 意味は存在するのか,という言語哲学 (philosophy_of_language) 上の問題がある.素人考えでは,もちろん存在していると思うわけだが,犬や石が存在するのと同じように存在しているのかと問われると自信がなくなってくる.(普通の感覚では)犬や石は確かに客観的に存在しているように思われる.しかし,意味も同じような客観性をもって存在しているといえるのだろうか.意味とは,存在するにしても,あくまで主観的にのみ存在しているものなのではないか.もしそうだとすると,つまり客観的な意味というものが存在しないとすると,驚くべき結論が導かれることになる.ここからは,服部 (94--95) を引用しよう.

もし客観的対象としての意味が存在しないとしてみよう.すると,「正しい翻訳が唯一定まる」ということが意味をなさなくなるのである.この点を以下で説明しよう.
 翻訳とは,異なる言語の間で意味が同じ表現同士を対応させることである.私たちは通常,客観的対象としての意味が存在すると考えていて,一方の言語に属する表現 A がある場合,それが表す意味 m があって,その m を表すもう一方の言語に属する表現 B (があればそれ)を A に対応させると,A は正しく(B に)翻訳された,と考えてはいないだろうか.もし m を表さない表現 C を A に対応させれば,その翻訳は誤りとされるのである〔後略〕.
 ところが,〔中略〕m や n に相当するものが存在しないとすれば,どのようにして B が A の正しい翻訳であり,C はそうでないと主張したらよいのだろうか.さまざまな会話状況において円滑なやりとりが可能となるかどうか,といったことを目安に「翻訳の正しさ」を決めるということはありうるが,そのような基準をとったときに正しい翻訳が唯一定まる保証はどこにもない.かくして,翻訳の不確定性が生じることになる.


 これは,アメリカの哲学者 Willard van Orman Quine (1908--2000) が Word and Object (1960) で主張した翻訳の不確定性 (indeterminacy of translation) と呼ばれる現象を,かみ砕いて説明したものである.翻訳の不確定性を巡っては,生成文法を唱えた Noam Chomsky (1928--) との間で後に論争が繰り広げられたこともよく知られている.
 関連して「#920. The Gavagai problem」 ([2011-11-03-1]) を参照.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

Referrer (Inside): [2022-02-01-1]

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