hellog〜英語史ブログ

#4490. イギリスの北米植民の第2弾と第3弾[history][canada]

2021-08-12

 英語史でも北米植民史でも,1607年は,イギリス人(と英語)の北米入植が初めて成功した年として歴史に刻まれている.Jamestown (Virginia) への入植である.
 実際には,それ以前にも失われた植民地として有名な Roanoke Island (North Carolina)への入植の試みがあった.1587年,Sir Walter Raleigh に率いられた人々がこの島に入植している.その後1587年に Roanoke の総督が117名の入植者を残していったんイングランドに戻ったが,総督が1590年に再び島に帰ってきたときには,入植者はみな消えていたという.今もって何が起こったのかが分かっていない怪事件である.「#3866. Lumbee English」 ([2019-11-27-1]) で紹介した,Lumbee 族が一枚かんでいたのではないかとも取り沙汰されているが,どうだろうか.
 イギリスによる「成功した」北米植民の第1弾は,したがって,1607年の Jamestown といってよい.では,第2弾はいつのことで,どこだったのだろうか.1620年の,いわゆる "Pilgrim Fathers" と呼ばれる清教徒による Plymouth (Massachusetts) の植民かと思いきや,これは実は第4弾なのだという.Trudgill (20) により,第2弾と第3弾の様子を概説しよう.
 第2弾は,1609年の Bermuda 島である.アメリカ本土の東900キロに浮かぶ島で,Jamestown に向かっていた船が,この無人島で難破したのがきっかけだという.その後1612年に,ヴァージニア会社により60人が植民のために島に送られた.1616年からはアフリカ出身の奴隷も送り込まれている.
 第3弾は,1610年の現カナダ東部の Newfoundland である.だが,実は Newfoundland はそれ以前にも長らく英語との接触があった.1497年にイギリス船に乗り込んだイタリアの航海家 Giovanni Caboto (英語名 John Cabot)が,この地に至っている.また,イギリスのみならずヨーロッパでは鱈の漁場として知られてもいた.1610年の植民は,ジェイムズ1世の勅許の下,ブリストルの商人冒険家協会によってなされた.17世紀半ば以降,イギリスが Newfoundland の植民地経営を公式に放棄したという経緯はあるものの,英語使用に関して言えば1610年以降,現在まで途切れていないことになる.

 ・ Trudgill, Peter. "The Spread of English." Chapter 2 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 14--34.

Referrer (Inside): [2022-04-22-1]

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