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#2542. 中世の多元主義,近代の一元主義,そして現在と未来[orthography][prescriptive_grammar][standardisation][history]

2016-04-12

 ドラッカーの名著『プロフェッショナルの条件』 (45--46) に,ヨーロッパ(及び日本)の歴史を標題の趣旨で大づかみに表現した箇所がある.中世を特徴づけていた多元主義は,近代において,国家権力のもとで一元主義へと置き換えられ,その一元的な有様こそが進歩であるという発想が,現代に至るまで根付いてきた.しかし,現在,その一元主義にはほころびが見え始めているのではないか.

 社会が今日ほど多元化したのは六〇〇年ぶりのことである。中世は多元社会だった。当時の社会は、たがいに競い合う独立した数百にのぼるパワーセンターから成っていた。貴族領、司教領、修道院領、自由都市があった。オーストリアのチロル地方には、校訂の天領たる自由農民領さえあった。職業別の独立したギルドがあった。国境を越えたハンザ同名があり、フィレンツェ商業銀行同盟があった。徴税人の組合があった。独立した立法権と傭兵をもつ地方議会まであった。中世には、そのようなものが無数にあった。
 しかしその後、王、さらには国家が、それらの無数のパワーセンターを征服することがヨーロッパの歴史となった。あるいは日本の歴史となった。
 こうして一九世紀の半ばには、宗教と教育に関わる多元主義を守り通したアメリカを除き、あらゆる先進国において、中央集権国家が完全な勝利をおさめた。実におよそ六〇〇年にわたって、多元主義の廃止こそ進歩の大義とされた。
 しかるに、中央集権国家の勝利が確立したかに見えたまさにそのとき、最初の新しい組織が生まれた。大企業だった。爾来、新しい組織が次々に生まれた。同時にヨーロッパでは、中央政府の支配に服したものと思われていた大学のようなむかしの組織が、再び自治権を取り戻した。
 皮肉なことに、二〇世紀の全体主義、特に共産主義は、たがいに競い合う独立した組織からなる多元主義ではなく、唯一の権力、唯一の組織だけが存在すべきであるとしたむかしの進歩的信条を守ろうとする最後のあがきだった。周知のように、そのあがきは失敗に終わった。だが、国家という中央権力の失墜は、問題の解決にはならなかった。


 中世から近現代に至る言語史も,この全般的な社会史の潮流と無縁でないどころか,非常によく対応している.近代国家では,数世紀のあいだ,言語の標準化が目指され,継いで規範的な文法,語彙,正書法,発音,語法が策定されてきた.そして,押しつけの程度の差こそあれ,およそ国民は公的な場において言葉遣いの規範を遵守するよう求められてきた.かつては多元主義によって開かれていた言葉遣いの様々な選択肢が,文字通りに一元化したわけではないが,著しく狭められてきた.
 しかし,ドラッカーが現代の中央政府の支配について述べている通り,言葉の規範主義や一元主義も,近代後期以降に一度確立したかのようにみえた矢先に,現在,非標準的で多様な言葉遣いがある部分で自治権を回復し,許容され始めているようにも思われる.
 英語綴字の歴史を著わした Horobin も,中世の綴字の多様性と近代の綴字の規範性・一元性という時代の流れをたどった上で,現在と未来における多様性の復活を匂わせているように思われる.国家(権力)と言語の密接な関係について,改めて考えてみたい.

 ・ ドラッカー,P. F. (著),上田 惇生(訳) 『プロフェッショナルの条件 ―いかに成果をあげ,成長するか―』 ダイヤモンド社,2000年.
 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

Referrer (Inside): [2017-10-07-1]

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