クレオール語研究には1つの大きな謎がある.スペイン語は英語,フランス語,ポルトガル語,オランダ語と並ぶ植民地支配の大言語だが,スペイン語ベースのクレオール語が異常に少ないという事実だ.数え方にもよるが,「#1531. pidgin と creole の地理分布」 ([2013-07-06-1]) では3つ,ショダンソン (31) は7つとしている.いずれにせよ,スペインが植民地支配の大国としてならしていた歴史を考えると,不思議なくらいにそのクレオール語は目立たない.例えば,同じイスパニョーラ島にあって,ハイチにはフランス語クレオールがあるが,ドミニカ共和国にはスペイン語クレオールはない.ジャマイカに英語クレオールがあるが,キューバにはスペイン語クレオールはない.
この謎を解く鍵は,近年クレオール研究において区別されるようになってきた,小農園社会 (homestead) の段階とプランテーション社会 (plantation) の段階との差にある.フランス植民地におけるクレオール語の発展について社会言語学に論考したショダンソン (89--90) は次のように述べている.
最初の段階において、黒人奴隷は主人の家庭と白人集団のなかにしっかりと組み込まれていたので、奴隷たちは白人との接触をつうじてフランス語を学んだ。ところが第二段階になると、白人と多数の黒人奴隷とのあいだにはもはや接触がなくなった。そこで黒人奴隷たちの手本となったのは、もはやフランス語そのものではなく、自分たちの教育係であり監督係であったクレオール奴隷の話すことば、フランス語になんとなく似たことばであった。
この点こそ決定的に重要なのである。おそらくここにおいてこそ、フランス語に対する自立化の過程がはじまったのである。黒人奴隷は彼らの言語習得のストラテジーを、白人の中心的な変種に向けてではなく、クレオール奴隷のそれ自体近似的な変種を目標としてはたらかせることとなった。しかも、自分たちの発話を白人の発話と対照させることも、さらには主人を身近にとりまく環境(いわゆる「クール」)のなかで暮らすクレオール奴隷の発話にひきあてることもできなかった。
けれども、通時的にみても共時的にみても、厳密な意味での断絶があったわけではない。というのは、通時的にみれば、植民地は小農園社会からプランテーション社会へとじょじょに移行していったのであり、しかもプランテーションは「小農園」を完全に駆逐したわけではなかったからである。また共時的にみれば、きわめてへんぴな土地の話してにとっては自分たちの発話をフランス語そのものと対照させる機会はめったになかったとはいえ、小農園社会でもプランテーション社会でも、中心にはフランス語がいすわる求心的なモデルが存在しつづけたからである。
では,スペイン語クレオールに関する謎に戻ろう.一般的にいえば,スペインは他の植民地支配国よりも,植民地の教育の普及に努めていたということはある.これは,クレオール語の発展を抑制する力にはなっただろう.しかし,これだけでは説明として不十分である.ショダンソン (96) は,ドミニカ共和国やキューバのようなスペイン植民地では,小農園社会からプランテーション社会への移行の時期が遅かったことが,謎の答えであるとしている.
クレオール化がおこらなかったのは、これら二つの島においては、小農園社会がきわめて長く続いたので、「ドミニカ風」や「キューバ風」のスペイン語ではあるにせよ、ともかくスペイン語が住民全体にいきわたるだけの時間があったからであると。つまり、これらの島では、プランテーション社会に移行する段階で奴隷が大量に導入されて、クレオール化の過程が生じることがなかったのである。
これらの植民地では,17--18世紀と長く小農園社会が続き,黒人人口が白人人口を上回ったのはようやく19世紀のことだった.
植民地における社会構造の違いが,基盤言語から heteronomous な変種が分化したのか,あるいは基盤言語から autonomous なクレオール語が発生したのかを左右するという仮説は,アメリカにおける黒人英語 (African American Vernacular English) の起源の問題にも応用されうる.これについては,明日の記事で.
・ ロベール・ショダンソン 著,糟谷 啓介・田中 克彦 訳 『クレオール語』 白水社〈文庫クセジュ〉,2000年.
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