「#1721. 2つの言語の類縁性とは何か?」 ([2014-01-12-1]) に続き,2言語のあいだにみられる類縁性の問題を考える.Meillet は,言語の見地からではなく,話し手の見地,あるいは話者共同体の意識という見地から,類縁性を定義する.ペロ (90) にメイエからの以下の引用がある.
「言語の親族関係を決めるのは歴史的事実だけである.最初の言語が話されていたときと二番目の言語が話されているときとのあいだに含まれるあらゆる時点で,絶えず,話し主たちが同一の言語を話しているという感情と意志とをもちつづけていたときに,あとの言語はまえの言語から出たものであるといえるだろう……このようにして同一の言語から出たすべての言語は,互いに親族関係にある.したがって親族関係は,もっぱら言語の単一性という意識が継続することに由来するものである.」
これは,概ね比較言語学者に受け入れられている見解だという.
「#1721. Pisani 曰く「言語は大河である」」 ([2014-01-13-1]) で話題にしたように,言語を複雑に入り組んだ水系とみなす Pisani の見解は,言語体系そのものの歴史を考える場合には有効だろう.しかし,その比喩では,話者や共同体の存在感が希薄である.一方,Meillet の見方は,話者や共同体の内部から言語というものをとらえた解釈である.今日も昨日と同じ言語を話しているという感覚,そして明日も同じ言語を話しているだろうという感覚こそが,話者にその言語の歴史的連続性・同一性を保証してくれる.Meillet は,言語間の類縁性を,話者のもつ帰属意識と歴史観に訴えかけて説明しているのだ.Meillet らしい,すぐれて社会言語学的な解釈である.
言語の類縁性の問題に関する限り Pisani と Meillet の見解は対立しているが,両者に共通しているように思えるのは,名付けられた個別の言語や方言はフィクションであるということだ.例えば,日本語を日本語と呼ばしめているものは,その言語学的な諸特徴ではなく,それを母語とする人々の意識である.あらゆる言語変種はフィクションであるという謂いについては,「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]) を参照されたい.また,関連して「#1358. ことばの歴史とは何の歴史か」 ([2013-01-14-1]) も参照.
・ ジャン・ペロ 著,高塚 洋太郎・内海 利朗・滝沢 隆幸・矢島 猷三 訳 『言語学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1972年.
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