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旅の記録 絶景! ポルトガル語の部屋
スペイン語は通じないけど…
2014年8月
旅人:Profesor Okubo
1565年から1898年まで
スペイン統治下にあったグアム。
ビーチで過ごすのも良いけれど、
スペイン統治時代の痕跡を捜しに
島内各地を巡ってみよう。
グアム観光の拠点タモンのメインストリート は、グアムで殉教したスペイン人イエズス会 神父の名を取ってサン・ビトレス通りという。 |
ホテル街の片隅にあるサン・ビトレス神父殉 教碑。1672年、神父はタモンの酋長の娘に 無理に洗礼を授けようとし、ここで殺された。 |
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グアムに来たなら誰もが訪れる恋人岬。結 婚を迫るスペイン人総督から逃れようとした チャモロの娘が恋人とともに投身したという。 |
主都ハガニアはスペイン統治時代からグアム の行政上の中心。スペイン総督邸の跡地は 今もプラサ・デ・エスパーニャと呼ばれる。 |
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プラサ・デ・エスパーニャの隣にある立派な 大聖堂は、サン・ビトレス神父の尽力によっ て創建されたグアム最初の教会。 |
先住民チャモロ人がハガニアで開く夜市では Buenas noches、Adios等、語彙の8割以上 がスペイン語起源のチャモロ語が飛び交う。 |
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フラダンス風のチャモロダンスにはスペイン の影響を受けたSpanishとそれ以前の Ancientの2つのスタイルがある。 |
ソレダード要塞はフィリピン・メキシコ航路 の中継地ウマタックを海賊から守るために 作られた。カリブの同じような要塞を思い出す。 |
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要塞から眺めるウマタック。マゼランが上陸 した地としても知られ、1565年、この地に 来航したスペイン人がグアムの領有を宣言。 |
島中部のハガニアと南部のウマタックを結ぶ 道に架けられた古橋はスペイン橋と呼ばれる。 |
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グアム南部のココス島。似たような名前の島 がコスタリカにもあったなと中米を思い出す。 |
ホテルの庭にいたコンゴウインコ。ホンジュ ラスの国鳥だったなと中米を思い出す。 |