明治時代の英語公用語化論の急先鋒といえば,初代文部大臣を務めた森有礼 (1847--89) の名前が上がる.1870年代,森は日本を欧米列強のように近代化するためには英語で国づくりしなければならないと信じていた.今から思えば極端な思想に思えるが,森は日本語に欧米の先進的な概念を表わす語彙が著しく欠けていたことを真剣に憂いていたのである.
森は,日本の英語公用語化論のための後ろ盾を得ようと,欧米の知識人に手紙を送り,英語の簡易化の要請とともに持論を説いて回った.照会した欧米知識人の一人に,当時のアメリカ言語学会の重鎮でイェール大学の教授である William Dwight Whitney (1827--94) がいた.ところが,おもしろいことに,Whitney は森の勇み足を諫めるような回答を返している.施 (71--72) より,要旨を引用する.
ホイットニーからの返答は,おおよそ次のようなものだった。
母語を棄て,外国語による近代化を図った国で成功したものなど,ほとんどない。しかも,簡易化された英語を用いるというのでは,英語国の政治や社会,あるいは文学などの文明の成果を獲得する手段として覚束ない。そもそも,英語を日本の「国語」として採用すれば,まず新しい言葉を覚え,それから学問をすることになってしまい,時間に余裕のない大多数の人々が,実質的に学問をすることが難しくなってしまう。その結果,英語学習に割く時間のふんだんにある少数の特権階級だけがすべての文化を独占することになり,一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。
まさに,ホイットニーが懸念したのは,前章で見たラテン語から「土着語」への知識の「翻訳」の努力を通じてヨーロッパの庶民が享受した知的な進歩への道を,日本人が自ら閉ざしてしまうのではないかということだったのだ。
さらに,ホイットニーは次のように述べ,森有礼に日本語による近代化を勧めている。
「たとえ完全に整った国民教育体系をもってしても,多数の国民に新奇な言語を教え,彼らを相当高い知的レベルにまで引き上げるには大変長い時間を要するでしょう。もし大衆を啓蒙しようというのであれば,主として母国語を通じて行われなければなりません」
そしてホイットニーは,日本文化の「進歩」のなかには,「母国語を豊かにする」ことが含まれなければならないと説いた。豊かになった「国語」こそ,日本の文化を増進する手段であり,それが一般大衆を文化的に高めることにつながるというのである。
言語学史上著しい地位を占める Whitney が,このような形で明治日本の英語公用語化論に関わっていたとは知らなかった.
なお,森は極端な欧化主義者とみなされ,後に国粋主義者により暗殺されてしまった.
・ 施 光恒 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 集英社〈集英社新書〉,2015年.
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