英語の語源について特に関心をもたれる話題として,2重語 (doublet) や3重語 (triplet) などの多重語がある.英語は,互いに親族関係にある複数の言語(例えばラテン語とフランス語)や方言(例えば中央フランス語とノルマン方言のフランス語)のそれぞれから,多少なりとも異なる時代に,同根語 (cognate) を借用していることが少なくない.多重語は,英語の言語接触の豊富さという観点からみても興味深いし,多重語それぞれの間の形態的,意味的な差をみるのもおもしろい.最近では[2012-02-18-1]の記事「#1027. コップとカップ」で例を取り上げたが,過去の doublet の諸記事でも多くの具体例を挙げてきた.
日本語における多重語の例としては,[2012-02-18-1]の記事でコップとカップ,ゴムとガム,カルタとカードとカルテなどを挙げた.いずれも洋語からの例だが,実はもっと身近なところに多重語は無数に転がっている.通常,多重語という術語で呼ばれないので見落としているが,冒頭で示した「互いに親族関係にある複数の言語や方言のそれぞれから,多少なりとも異なる時代に,同根語を借用し」た各語を多重語と定義づけるのであれば,漢字の異なる字音はまさに多重語である.
日本語における漢字の字音(音読み)は,中国語自体の音韻変化と日本語に入った時期により4種類が区別される.以下,佐藤 (63--64) により概説する.まず,古音(上古音・推古音)は推古朝 (592--628) の遺文などで,万葉仮名「意・奇・宜・移・止・里」をそれぞれ「オ・ガ・ガ・ヤ・ト・ロ」と読むもので,現代では用いられない.ついで,呉音は,中国の六朝時代 (229--589) の江南地方音に基づき,日本では古くは6世紀頃から用いられた.主として仏教社会で根付いたもので,現代にも仏教語に多く反映されている.次に,漢音は唐 (618--907) の洛陽あるいは長安の標準音に基づき,日本では7世紀末から平安時代にかけて漢籍の音読などに広く用いられ,朝廷でも正式として奨励された.現在まで最もよく残っている字音である.次に,平安時代末期から,禅宗の伝来や交易によりもたらされたのが唐音(宋音)である.宋 (960--1279) や元 (1271--1368) の南方音に由来するものと,明 (1368--1644) や清 (1616--1912) の南方音に由来するものがある.禅宗文化に関わる語に宋音が残っているが,数は多くない.それぞれの例を示そう.
呉音 | 漢音 | 唐音 | |
---|---|---|---|
脚 | 脚気(かっけ) | 脚本(きゃくほん) | 行脚(あんぎゃ) |
行 | 行事(ぎょうじ) | 行軍(こうぐん) | 行灯(あんどん) |
請 | 勧請(かんじょう) | 招請(しょうせい) | 普請(ふしん) |
下 | 下界(げかい) | 下層(かそう) | 下火(あこ) |
外 | 外典(げてん) | 外国(がいこく) | 外郎(ういろう) |
頭 | 頭脳(ずのう) | 頭部(とうぶ) | 塔頭(たっちゅう) |
経 | 経文(きょうもん) | 経済(けいざい) | 看経(かんきん) |
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