英語や日本語などの自然発生した言語に対して,意図的に設計された人工言語 (artificial language) というものがある.[2009-05-09-1]の記事「#10. 言語は人工か自然か?」で触れた通り,人工言語という呼称に問題がないわけではないが,広く用いられている用語である.代わりに補助言語 (auxiliary language) という用語が用いられることもあるが,周知のように,英語などの自然言語が国際コミュニケーションのために補助的に使用されている事実があり,この呼称も問題をはらんでいる.ここでは,より広く流通している人工言語という用語を採用する.
異なる言語の話者どうしの間でコミュニケーションをとるための共通語 (lingua franca) として,普遍的な言語を希求する思いそれ自体は,西洋では古典時代から見られた.現在までに数百にのぼる人工言語が提案されてきたというから驚きだ.しかし,人工言語の追求が本格的に始まったのは,西洋人が世界を探検し,異なる文化や言語へと目を向け始めた17世紀のことといってよい.この時代は,lingua franca としてのラテン語が衰退し始めた時期でもある.Francis Bacon (1561--1626), René Descartes (1596--1650), Gottfried Wilhelm Leibnitz (1646--1716) などが哲学的な記号体系としての人工言語を提案したが,実用性はゼロだった.これらの試みは,自然言語ではなく哲学に基づいた全く異質の言語,一種コンピュータ言語を思わせる言語の創造であり,a priori な人工言語と呼ぶことができる.
しかし,17世紀に始まった人工言語の熱狂は,18世紀後半にはすっかり冷めていた.普遍的な言語の構想は,18世紀後半の民族主義の高まりと反比例して,下火になっていったのである.再び人工言語熱が高まったのは,19世紀の最後の四半世紀である.今度は,既存の自然言語(事実上すべて西洋の言語)を模した a posteriori な人工言語が様々な形で策定された.今回の熱狂の背景には,国際コミュニケーションの必要性が以前とは比べられないほど増してきたこと,英語などの特定言語が国際共通語となる場合に否応なく生じる政治的な不平等感などがあった.したがって,英語の世界化という英語史上の主要な問題と,19世紀後半に生じた人工言語熱とは,無関係ではない.
最も有名で,最も成功した人工言語はエスペラント語 (Esperanto) だが,それ以外にも幾多の人工言語が提案されてきた.Crystal (355) から,その一部を年代別に並べよう.主要なものについては,赤字で示した.当時の熱の高さがわかるだろう.
数こそあるが,第1次世界大戦後は,民族主義の高まりとともに,再び人工言語への熱は冷めていった.そして,既成事実の上に,英語という自然言語が世界共通語への道をひた走ることとなったのである.
Date | Language | Inventor | Comment |
---|---|---|---|
1880 | Volapük ("World Language") | Johann Martin Schleyer | 8 vowels, 20 consonants; based largely on English and German. |
1887 | Esperanto ("Lingvo Internacia") | Ludwig Lazarus Zamenhof | 5 vowels, 23 consonants, mainly West European lexicon; Slavonic influence on syntax and spelling. |
1902 | Idiom Neutral | V. K. Rosenberger | A former supporter of Volapük; strongly influenced by Romance. |
1903 | Latino Sine Flexione (Interlingua) | Giuseppe Peano | Latin without inflections; vocabulary mainly from Latin words. |
1904 | Perio | ||
1905 | Lingua Internacional | ||
1906 | Ekselsioro | ||
1906 | Ulla | ||
1906 | Mondlingvo | ||
1907 | Lingwo Internaciona (Antido) | ||
1907 | Ido | Louis de Beaufront or Louis Couturat | A modified version of Esperanto (the name means "derived from" in Esperanto). |
1908 | Mez-Voio | ||
1908 | Romanizat | ||
1909 | Romanal | ||
1911 | Latin-Esperanto | ||
1914 | Europeo | ||
1915 | Nepo | ||
1921 | Hom Idyomo | ||
1922 | Occidental | Edgar von Wahl | Devised for the western world only; largely based on Romance. |
1923 | Espido | ||
1928 | Novial | Otto Jespersen | Mainly Ido vocabulary and Occidental grammar. Novial = New + International Auxiliary Language. |
1937 | Néo | ||
1943 | Interglossa | Lancelot Hogben | Published only in draft form. |
1951 | Interlingua | International Auxiliary Language Association | A Romance-based grammar, with a standardized vocabulary based on the main Western European languages. |
1955 | Esperantuisho | ||
1956 | Globaqo | ||
1958 | Modern Esperanto | ||
1960 | Delmondo | ||
1962 | Utoki | ||
1972 | Eurolengo | ||
1981 | Glosa | W. Ashby and R. Clark | A modified version of Interglossa. Contains a basic 1,000-word vocabulary, derived from Latin and Greek roots. |
1986 | Uropi |
昨日の記事「#957. 19世紀後半から続々と出現した人工言語」 ([2011-12-11-1]) で人工言語 (artificial language) を話題にしたが,その普及は自然言語に遠く及んでいないのが現実である.確かに,最も有名な人工言語といってよいエスペラント語 (Esperanto) は,少ない推計でも数十万人,多い推計では1500万人以上の話者(主として第2言語話者)を擁するとされ,並の自然言語に比べれば普及しているとみなすことは可能かもしれない(関連して[2010-01-26-1]の記事「#274. 言語数と話者数」を参照;なお,ヨーロッパ以外でエスペラント語話者の多いのは日本である).
しかし,国際的な人工言語として意図されてはいるとはいえ,世界エスペラント協会の会員の大半は東欧人であり,地理的な(そして政治的な)偏りの見られることは否定できない.「普及」の定義にもよるが,エスペラント語ですら国際的に広く行なわれているとは言い難いのだから,他の人工言語の普及の程度は推して知るべしである.
では,国際的に普及すべき理想的な人工言語とはどのようなものだろうか.どのような条件を備えていれば,多くの人が納得し,受け入れるような理想の人工言語となり得るのだろうか.人工言語の創案者や支持者は,次のような条件を指摘している (Crystal 357) .
(1) 学びやすいこと.文法が規則的で単純であり,語形と意味の関係が透明であり,綴字が音標的であり,発音が容易であることが必要である.
(2) 母語と関連していること.自然言語との相互翻訳が容易である必要がある.柔軟な構造をもっており,母語のイディオムを反映することができ,言語の普遍的特徴を多く備えており,国際的に使用されてきた歴史的基盤のある語根をもっていることが望ましい.
(3) 豊富な機能を果たせること.日常の話し言葉や書き言葉のみならず,科学,宗教,通商,スポーツ,政治などの専門的な領域でも機能を果たせる必要がある.国際コミュニケーションのメディアでの使用にも耐えられるようでなければならない.
(4) 標準的であること.方言による変異があってはならない.これを守るためには,権威ある機関による監視が必要だろう.
(5) 政治的,言語的に中立であること.すべての国に受け入れられるためには,中立の確保が肝要である.多くの人工言語の支持者は,これを人類の平和共存のために不可欠な条件と考えている.
(6) 洞察を促すものであること.理想的な人工言語は,単に国際コミュニケーションの手段としてだけでなく,明晰で論理的な思考を促す道具としても有効であることが望ましい.これは,特に17世紀の a priori な人工言語が目指していた哲学的な理想である.
いずれの条件もそれぞれ満たすことが難しいが,同時に満たすのはなおさら難しい.言語的条件,政治的条件,哲学的条件が同居しており,いずれに優先順位を与えるかによって論者の間に対立が生じかねないことは自明である.そして,実際にそのような理由で論者の間に対立が生じてきた.特に (2) と (5) などは,ある特定の母語と関連していながら,同時に言語的に中立であるという矛盾する条件を要求しているのだから,問題の根は深い.
この理想的な条件の羅列のなかに,英語などの国際的な影響力をもつ自然言語への反発心を探ることは容易である.その判断自体が主観を帯びざるを得ないとはいえ,上記の条件のうち,例えば英語が満たしている条件は (3) くらいではないか.
ただし,このような理想的な条件をただ冷笑的に眺めているだけでは生産的ではない.完全には満たせずとも,国際コミュニケーションのためにはこうであれば良いという努力目標として捉えるのであれば,その方向へ一歩でも近づくことは有益だろう.自然言語である英語を,特に語彙に関して (1) の観点から改良しようとした試みの1つに,Charles Kay Ogden (1889--1857) の考案した Basic English がある.これについては明日の記事で.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.
昨日の記事「#958. 理想的な国際人工言語が備えるべき条件」 ([2011-12-12-1]) の最後に触れた,Charles Kay Ogden (1889--1857) による Basic English について取り上げる.
19世紀後半から始まった国際人工言語への熱 ([2011-12-11-1]) は,様々な現実によるその理想の頓挫とともに,20世紀が進むにつれて冷めてきた.一方,国際コミュニケーションの需要は激増しており,国際共通語の必要も爆発的に高まってきた.人工言語の創案に取って代わるべきアイディアは,広く行なわれている既存の自然言語を単純化するというものだった.主要な西欧の言語はすべて,このように簡略化された "modified natural language" の提案を試みた.そのなかで最も有名な試みが,"British American Scientific International Commercial" の acronym (頭字語)をとった Basic English である.
英国の作家・言語学者 Ogden によって1926--30年にかけて考案されたこの簡略版の英語は,850の語彙(600の名詞,150の形容詞,100の操作詞)から成っている.動詞は18個しかないが,他の語との結びつきにより,標準英語の約4,000の動詞の代わりとなることができる.assemble に代えて put together, invent に代えて make up, photograph に代えて take pictures の如くである.
1940年代には,Churchill や Roosevelt などという著名人によっても支持されたが,語彙が少ない分,複雑な統語構造で補われなければならなかったこと,イディオムが増えざるを得なかったことなどの理由もあり,やがて衰退した.たとえ語彙を極度に単純化したとしても,そのためにかえって統語や意味の点で不便が生じ,言語体系全体としてはむしろ不経済となり得ることが,現実に感じられたのだろう(関連して,[2010-02-14-1]の記事「#293. 言語の難易度は測れるか」を参照).
Basic English は現在では歴史的な意義をもつのみとなっているが,その精神は世界の英語教育のなかに反映されている.限られた数の知っている語の組み合わせにより複雑な概念を表現する能力や,基本語で平易に表現する技量を身につけることは,外国語教育においては重要な課題である.近年の学習者用英英辞典学習において採用されている "defining vocabulary" の考え方も,Basic English の思想の延長線上にあるといえる.ELF (English as a Lingua Franca) や世界標準英語という呼称が聞かれるようになってきた昨今,Basic English という試みそのものではないにせよ,その考え方は,改めて有効となってくるのではないだろうか.
以上の記事は,Crystal (358) および Basic-English Institute の記述を参考にして執筆した.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.
国際共通語としての使用を念頭に提案された人工言語の抱える最大の課題は,当然のことながら,国際的に広く認知され,受容されるということだが,19世紀後半以降の状況を眺めてみると,その課題はまったく克服されていないといってよい.その背景には,人工言語にまつわる言語的,社会的,政治的な問題がある.Crystal (357) より,そのいくつかを箇条書きしよう.
(1) 動機づけ.駆け出しの人工言語であれば,当初の話者数はほぼゼロである.ここから話者数を増やしてゆくにはどうすればよいのか.これは,あらゆる社会改革が直面する問題だろう.エスペラント語の発案者 Zamenhof もこの問題に悩まされ,入門書の最後に "I, the undersigned, promise to learn the international language proposed by Dr Esperanto, if it appears that 10 million people have publicly given the same promise." という約束の宣言を読者に要求するという案を打ち出した.結果としては奏功しなかったようだ.
(2) アイデンティティ問題.コミュニケーションと並んで,言語の重要な役割の1つに,話者のアイデンティティを標示するという機能がある.話者は,地域方言,社会方言,使用域の差異を利用して常に自己表現をしているのであり,言語のこの機能はことのほか重要だというのが,社会言語学の知見である.一方,人工言語は,[2011-12-12-1]の記事の (4) で示した通り,方言差がなく標準的であることを理想として掲げる.自然言語の果たす重要な機能の1つが,人工言語では奪われてしまうことになる.民族主義の勃興と人工言語熱の冷却が,歴史上18世紀後半と20世紀半ばの2回にわたって,同じタイミングで観察されたことは,注目すべきである.
(3) 言語的偏狭.提案されてきた人工言語は軒並みヨーロッパの言語を基盤としている.言語的,政治的中立を目指すには,バイアスがかかりすぎているのではないか.人工言語は,世界の言語の多様性を軽視する傾向がある.
(4) 意味の相違.人工言語の評価としては,音韻,形態,統語の基盤がどの自然言語に置かれているかなど,形に注目が集まりがちだが,意味の相違への関心は少ない.諸言語間で,形態は対応するが意味は異なるために注意を要する false friends ( F "faux amis" ) というものがあるが,人工言語と自然言語の間でも同様の問題が起こりうる.ここでいう意味とは,denotation だけでなく connotation をも含む.例えば,英語の "capitalism" に相当する人工言語の単語について理解される意味は,アメリカ人の場合と,中国人の場合では異なっている可能性がある.
(5) 反感.多くの人が国際的共通語としての人工言語の趣旨には賛同するものの,人工言語の熱狂的な支持者が抱いている政治的,宗教的信条にある種の危険を感じている.支持団体によっては宗教的な色彩を帯びており,国家当局の弾圧の対象になる場合すらある.1930年代,ドイツやソ連で,エスペラント語話者の弾圧が行なわれた例がある.
人工言語に限らず国際共通語の議論においては,これまで (4) の意味的な観点は特に軽視されてきたように思う.語の意味は当該言語の文化や歴史と密接に結びついていることを考えると,(2) とも関連してくるだろう.
人工言語の普及の難しさを論じるに当たっては,綴字改革の難しさの議論を想起せずにいられない.2つの改革運動は性質が異なってはいるが,言語改革として類似した側面も多々ある.[2010-12-24-1]の記事「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」,[2011-01-21-1]の記事「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」を合わせて参照されたい.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.
過去4日の記事 (##958,959,960,961) で人工言語について取り上げてきたが,19世紀後半,人工言語への熱狂が再燃した時期に,彗星の如く現われて一世を風靡したエスペラント語 (Esperanto) について語らないわけにはいかない.
エスペラント語の生みの親 Ludwig Lazarus Zamenhof (1859--1917) は,当時ロシア帝国領にあった東ポーランドの Białystok に生まれた.ユダヤ人の家系に生まれた彼はロシア語を母語とし,民族間の軋轢のなかで成長し,眼科医となる.複雑な多民族,多宗教の環境で,彼が囲まれていた言語は Yiddish, Hebrew, Polish, German, Russian, Lithuanian と多数である.このような環境で培われた寛容と忍耐の精神に支えられ,Zamenhof は国際言語の発明という構想を抱くようになり,何年もの実験の後,1887年,Doktoro Esperanto (エスペラント語で「希望する者」の意)の筆名で解説書 Lingvo Internacia をロシア語で著わした.筆名にちなんで後にエスペラント語と呼ばれることになる言語の最初の指南書である.
1889年,最初のエスペラント語の雑誌 La Esperantisto が刊行.1893年には,エスペラント語の公式な組織が立ち上がった.Zamenhof は旧約聖書,『ハムレット』,アンデルセン童話,モリエールの劇,ゲーテ,ゴーゴリなどの翻訳を手がけ,エスペラント語を洗練させていった.1905年,Boulogne で最初の国際エスペラント語大会が開かれ,20カ国から700人の代表が参加.大会はその後現在に至るまで毎年開催されている.1905年に出版された Fundamento de Esperanto はエスペラント語の文法の原理をまとめたものであり,エスペランティスト (Esperantist) のバイブルともいえる著である.
1921年には,当時国際連盟事務次長であった新渡戸稲造が,エスペラント語の思想に共鳴し,国際連盟総会でエスペラント語の利点を訴えるという場面もあった.エスペラント語の採用には至らなかったが,この言語を国際的に印象づける機会にはなった.その後,政治的な含みを付されたエスペラント語は,その支持者とともに,ナチス政権やスターリン政権下で弾圧されたが,戦後に活動を復活させ,1954年にはユネスコが The Uiversala Esperanto-Asocio (世界エスペラント協会) (1908年創立)を諮問団体として認定.1966年には,100万人以上の署名とともに国際連合の公用語への提案がなされたが,これは受け入れられなかった.
現在,50の国内協会,22の国際協会が存在し,100を超える定期刊行物,3万を超える著書がエスペラント語で刊行されている.ワルシャワ,北京,ウィーンなどではラジオ放送も存在する.言語の話者人口の推計の常として,エスペラント語の話者人口についても確かなことはわからない.少ない推計で数十万人,多い推計で1500万人以上という数字がきかれる (Crystal 356) .総合的にいって,人類史上,最も成功した人工言語といってよいだろう.
世界の中で,ヨーロッパ諸国を除けば,日本はエスペラント語の普及活動の盛んな国である.1919年創立の日本エスペラント学会がその活動の中心である.上述の新渡戸のほか,二葉亭四迷,新村出(言語学者)などが関心を寄せてきたという歴史もある.ヨーロッパ内では,フィンランド,オランダ,スウェーデン,デンマークでの活動が目立つ.いずれも比較的弱小な言語を母語とする国であり,エスペラント語の理念が理解されやすいためだろう.
一方で,エスペラント語に対しては,根強い反発が存在することも確かである.国際共通言語としては自然言語(特に英語)を採用すべきだとする論者もあるし,他の人工言語の支持者もある.また,エスペラント語が政治的プロパガンダと結びつけられる傾向があることも,うさんくささを強めているようだ.
私はエスペランティストではないが,大学時代に多少学んだ(大学の授業として「エスペラント語」があった).現在では大学の授業としてどのくらい開講しているのだろうと気になったが,授業でのエスペラント語なるHPを見つけた.細々とあるようである.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.