JACET中部支部2022年度第2回定例研究会

講演「英語教育と英語史研究の擦り合わせ」

慶應義塾大学 堀田隆一
2023年3月11日(土) 16:25~17:55

「hellog~英語史ブログ」: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

概要

英語教育と英語史研究の接点を探る試みは,主として語源による語彙学習の分野で,また英米文学(史)教育との関わりにおいて,これまでも見られたものの,散発的で非体系的な位置づけにとどまり,本格的な関心をもたれずに現在に至る.しかし,今こそ両者の接近がこれまで以上に求められる時代ではないか.2019年より実施されている教職課程の「外国語(英語)教員コアカリキュラム」の学習目標の1つに「英語の歴史的変遷,国際共通語としての英語」が含まれている.「英語の歴史的変遷」は伝統的に英語史研究が取り組んできたテーマであり,「国際共通語としての英語」も近年の社会言語学的な知見を取り入れた英語史の得意とする分野である.

本講演は,まず理論編として英語教育と英語史研究の両者が共有していること,また相互理解し協力できることが何かを探ることから始める.続いて実践編として,講演者自身が大学内外において英語(史)の研究・教育の発展と普及のために行なっているいくつかの試みを紹介する.最後に “English” という英単語を英語史の観点から掘り下げ,英語教育と英語史研究の擦り合わせのための具体的な提案を示したい.

* 本スライドは https://buff.ly/3ZDOWLw からアクセスできます.

目次

  1. はじめに:英語史のハードルを下げるために
  2. 教職コアカリでの英語史の位置づけ
  3. 理論編:英語教育,英語学,英語史が相互理解し得ること
  4. 実践編:私と周辺の「英語史活動」
  5. “English” を題材に
  6. おわりに:英語教育の引き出しを増やすために

1. はじめに:英語史のハードルを下げるために

  1. English = Angle + -ish (9世紀以前に初出) (#1145)
  2. England = Angla (gen.pl.) + land (900年頃に初出)
  3. 449年,Angles, Saxons, Jutes (and others) によるブリテン島侵攻 (#389)
  4. 民族名としては,ケルト人やローマ人から Saxons, Saxonia と呼ばれるもやがて Angles, Anglia ベースの呼称に
  5. 自称の民族名としては当初より Angles, Anglia ベースであり,歴代の Angelcynn, Angelfolc, Angelþēod などを経て “England” へ
  6. 自称の言語名・形容詞としては当初より “English”
  7. 本来多様だった諸民族・諸言語(方言)が,1つの名前で呼ばれる伝統はすでに古英語から始まっていた

“English” と “England” の語頭母音(字)

  1. 強勢音節において <e> と綴り /ɪ/ と発音される珍しい英単語 (#2250)
  2. /ɑ/ > (古英語以前の i-mutation) > /æ/ > (後期古英語の鼻音前での上げ) > /ɛ/ > (14世紀の軟口蓋鼻音前での上げ) > /ɪ/
  3. ただし綴字は <e> にとどまった (cf. senge > singe, henge > hinge, streng > string, weng > wing, þenken > þinken, enke > inke)
  4. 基本的な英単語にこそ多くの謎と歴史的背景が

大学生の「英語史」に対する第一印象

  1. そもそも英語に歴史などあるのか
  2. 英語の古文を読むなんて勘弁して
  3. 「史」が入っているだけで難しそう,堅そう
  4. 英語がうまくなりたいだけなので,英語「史」など学ぶ必要なし

「英語史」への誤解

  1. そもそも英語に歴史などあるのか
    • 「英語の見方が180度変わる」:現代英語を様々な角度から眺める練習に
  2. 英語の古文を読むなんて勘弁して
    • 「英語と歴史(社会科)がミックスした不思議な感覚の科目」:古い英語を読むのは英語史の一部にすぎない
  3. 「史」が入っているだけで難しそう,堅そう
    • 「素朴な疑問こそがおもしろい」:現代の素朴な疑問から説き起こし,歴史に入っていく
  4. 英語がうまくなりたいだけなので,英語「史」など学ぶ必要なし
    • 「現代英語に戻ってくる英語史」:第1に現代英語を深く理解するために

いずれにせよ英語史のハードルを下げる必要が!

2. 教職コアカリでの英語史の位置づけ

「外国語(英語)コアカリキュラムについて」 における「英語科に関する専門的事項」の4系列 (pp. 7–9)

  1. 英語コミュニケーション
  2. 英語学
  3. 英語文学
  4. 異文化理解

「英語学」の項目 (p. 8)

第3項「英語の歴史的変遷,国際共通語としての英語」

  1. 「英語の歴史的変遷」は,伝統的に英語史という領域が扱ってきた主たる領域
  2. 「国際共通語としての英語」も,近年の社会言語学的な知見を取り入れた英語史の得意分野 (cf. ELF, World Englishes)
  3. 第1,2項の英語の音声や文法も,その導入的部分についていえば従来の英語史によりカバーされる
    • グリムの法則,大母音推移,語順の歴史的変化,etc.

英語史科目の現状

  1. 教職コアカリでは正当に位置づけられている
  2. しかし,実態・現場としては,その意義と役割が十分に理解されていない
  3. 教職課程を履修する学生の大半が事実上「英語史」を修得していない
  4. 実際,大学の現場では十分に教えられていない
    • 英語学の概説授業のなかで周辺的な扱い(アリバイ作り?)
    • 英語学の概説書のなかでも1章のみの扱い
    • 英語史が英語学のなかで有機的に位置づけられていない
    • 英語史を専門的に教える教員(常勤・非常勤を含め)の不足

3. 理論編:英語教育,英語学,英語史が相互理解し得ること

関係者:生徒・学生,一般の英語学習者,英語教員,英語教員養成者,英語教育研究者,英語学研究者,英語史研究者,等々.互いに近いようで遠い存在.

  1. 英語学習者のニーズとゴールを押さえる
    • 「素朴な疑問」から始め,英語のみならず言葉そのものへの好奇心を養う
  2. 英語教員の引き出しを増やす
    • 英語の語学的知識はもちろん,文学,文化,歴史への知識が必要.英語史は広く浅くこれらすべてに関与する.
  3. 修士課程での英語教員養成
    • 英語学や英語史を専門的に修める必要
  4. 英語史を主軸とした英語学概説の提案
    • 英語史の角度から音声学,統語論,社会言語学などの概論を

(英語)教育における英語史活用の3つのレベル

  1. intra-disciplinary: 語源を用いた語彙学習,綴字と発音の関係,文法変化
  2. inter-disciplinary: 英語教育や英語学との協力,他の科目(歴史,地理,国語,他の外国語)などとの連動
  3. extra-disciplinary: 言葉に限らず物事の通時的見方を養う,言語の変化・変異・多様性,言語・国籍・民族・性・宗教の inclusion

学界の潮流と英語史の強み (1)

言語学の主たる関心はこの100年間,通時態よりも共時態を優先してきた

  1. 共時態の重視(cf. ソシュール)
  2. 通時態の軽視(cf. 自世代びいき)
  3. しかし,昨今は言語変化やコーパスを始めとするIT技術に基づいた研究分野の発展により,通時態への多少の揺り戻しが
  4. 「現在を知るための歴史」を謳うバランスの取れた英語史

学界の潮流と英語史の強み (2)

現代の英語学の潮流は形式から機能(コミュニケーション)へ

  1. 伝統的・形式的な領域の軽視(音声学,音韻論,形態論,統語論,意味論)
  2. 機能的・社会的な領域の重視(語用論,社会言語学,認知言語学)
  3. 両方の領域を広くカバーする,特定の理論に偏らない英語史の強み

学界の潮流と英語史の強み (3)

英語のミクロ(内面)とマクロ(外面)の両側面からの素朴な疑問に対応できる.

  1. ミクロな素朴な疑問:(例)なぜ foot の複数形は feet なのか?
  2. マクロな素朴な疑問:(例)なぜ英語は世界語となっているのか?
  3. 英語史を通じて,英語への関心をミクロからマクロへと,そして再びミクロへと展開

学界の潮流と英語史の強み (4)

英語教育における英米標準英語への信仰とそこからの解放

  1. 標準英語(規範英語)の学習はやはり大事
  2. 一方,世界の各種の世界英語を認めることも大事
  3. 規範性と多様性をともに重視する,バランスの取れた英語観を
  4. 他言語や他方言を尊重する英語史の言語観 (cf. Watts, Richard, and Peter Trudgill, eds. Alternative Histories of English. Abingdon: Routledge, 2002.)

4. 実践編:私と周辺の「英語史活動」

  1. 大学での英語教育
    • 英語講読
    • 教職科目関連科目
  2. コンテンツの日常的発信とコンテンツ間の掛け合わせ(自己紹介ページ
  3. 大学(院)ゼミを通じての発信
    • khelf(= Keio History of the English Language Forum = 慶應英語史フォーラム)での学生主体の英語史関連情報のウェブ発信(2020年1月~現在)
    • 「英語史コンテンツ」(2021年4月~現在)
    • 『英語史新聞』(2022年4月~現在)
  4. 学会主催あるいは個人主催の一般「英語史イベント」
  5. いずれも狙いは「英語史のハードルを下げる」

5. “English” を題材に

  1. Angles のその後
    • アングル方言は,イングランド東部・北部方言のベースとなる
    • 8世紀半ばから11世紀にかけてのヴァイキングの侵攻の対象となった地域で,古ノルド語と濃厚な接触
    • 後にこの方言がロンドン標準英語の成立に少なからぬ影響を
    • 17世紀以降,この方言の話し手がアメリカ中西部へ展開し,後の General American の基礎を提供
    • 英語の標準語の形成,および英米差の創出に関わった重要な方言
  2. 「接尾辞 -ish の歴史的展開」(連載「現代英語を英語史の視点から考える」の第7回より)
    • 民族名・言語名を表わす -ish は,おおよそイングランド周辺に限定される (ex. Scottish, Welsh, Irish, British, French)
    • cf. -ese は大航海時代のポルトガルの影響圏とおおよそ重なる (ex. Portuguese, Japanese, Javanese, Chinese)

“Englishes” を巡って

  1. 最近よく聞くようになった 複数形の “Englishes” とは?
  2. American English, British English, Singapore English, Indian English, Jamaican English, Nigerian English, Bonin English, etc.
    • “varieties of English” = “Englishes”
    • “(the/an) American (variety of) English” = “American English”
    • “American and British (varieties of) English” = “American and British Englishes”
  3. 以前より英語は実態としても複数として存在してきたし,そのための(やや長い)表現も用いられてきた
  4. そこへ現代になって初めて新しい複数形 “Englishes” が (#4588)
    • 1910 H. L. Mencken in Evening Sun (Baltimore) 10 Oct. 6/8 (heading) The two Englishes.
    • 1941 W. Barkley (title) Two Englishes; being some account of the differences between the spoken and the written English languages.
    • 1964 Eng. Stud. 45 21 Many people side-step the recognition of a plurality of Englishes by such judgments as: ‘Oh, that’s not English, that’s American.’
  5. なぜ近年,新しい表現・概念としての “Englishes” が注目されているのか?
    • 歴史のなかで英語そのものが “English” から “Englishes” に変化してきたわけではない
    • 相対的にあまり注目されてこなかった言語の “identity marking” (vs. “mutual intelligibility”) の機能への関心が
    • 英米(変種)の影響力の相対的低下

6. おわりに:英語教育の引き出しを増やすために

  1. バランスの取れた英語知識と英語観を提供
  2. 英語教育への具体的応用の事例を増やしていきたい
  3. 協力というよりもまず相互理解と目標の擦り合わせが必要?

英語教育と英語史の接点についてご意見をいただければ幸いです.

英語史のお勧め文献

英語史と英語教育に関連する拙著ほか