英語の歴史と語源・2
「ケルトの島」

堀田 隆一

2019年7月27日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第2回 ケルトの島

英語を話すアングロサクソン人が5世紀に渡来してくるまで,ブリテン島は長らく「ケルトの島」でした.ケルトの文化的遺産は,文学や言語などに色濃く残っています.言語 的にはとりわけイギリスの地名にケルト的要素が豊富に残されているほか,英語の語彙にも数は少ないながらも精妙な影響を及ぼしています.英語が実は雑種の言語であることを 理解するためには,多言語国家イギリスの原点であるケルトについて知っておくことが必要です.

目次

  1. ケルトとは何か
  2. 英語にみられるケルト的要素
  3. 英語文化の基層としてのケルト

1. ケルトとは何か

「ケルト人」とは(『ケルト文化事典』)

ケルト人とは,出自は異なるものの,ケルト語といわれる言語を話す諸民族の総体である.ケルト人という言葉には人種を暗示する意味はない.社会的,文化的な構造と関係しているだけである.それにこの名称が用いられるようになったのはごく最近のことで,人間集団をその特殊性に基づいて手軽に類別するのに使われるようになった.

いわゆるケルト民族は,前5世紀からヨーロッパ大半の地域に住んでいた.イギリス諸島(大ブリテン島,アイルランド島,チャンネル諸島ならびに隣接する島々)はいうまでもなく,ライン河口からピレネー山脈へ,さらに大西洋からボヘミアにいたる地域まで,北イタリアやスペイン北西部を巻き込む形で居住していた.

現在,ケルト語を話しているケルト民族は,アイルランド人,北スコットランド人,マン島人,ウェールズ人,ブリトン人(古名はアルモリカ人),英国コーンウォール州に住む相当数のコーンウォール人である.しかし,ケルト語をもはや話さない諸民族の間でケルト的なものが生き残っていることもある.遠くさかのぼれば,古代ケルト人の伝統や気質を温存させている諸民族である.いわゆる「ガロ語」(東部ブルターニュ方言)を話すブルターニュ,スペイン北西部のガリシア地方,英語圏のアイルランド,フランスやベルギーのある地域の場合がそうである.

「ケルト」という語を巡って

  1. 語源:ギリシア語 Κελτοί,ラテン語 Celtae (cf. ラテン語 celsus “high”)
  2. Celt/Kelt の指すものは歴史的に変化してきた (#3742)
  3. 最初のケルトマニア,ポール・ペズロンの Antiquité de la Nation et de la langue des Celtes (1703年;『古代ケルト民族・言語史』)
  4. Celt(ic) の発音はケルティックかセルティックか? (#760) (cf. Celtic Football Club, 柳田国男の「セルチック」)

ケルト人の大遠征(紀元前1千年紀後半)

  1. 鉄器をもつハルシュタット文化を引き継いだラ・テーヌ文化
  2. 前1世紀,北進するローマ勢力と西進するゲルマン勢力に追われ消滅
  3. 残った「ケルト世界」は,以後ヨーロッパの北西の隅へ追い込まれる

ケルト語派の系統図

  1. ケルト語派 (#774)

  1. P-Celtic と Q-Celtic (#778, #3570)

    • 紀元1千年紀の間に激しい音変化が生じた結果の分岐
    Welsh (Brythonic = P-Celtic) Irish (Goidelic = Q-Celtic) meaning
    pwy “who”
    pedwar ceathair “four”
    pen ceann “head”
    pair ċoire “cauldron”
    pryd cruth “appearance”
  2. 島嶼ケルト語の基本語順は VSO (#3733)

  3. ケルト語派の分布

ブリテン島におけるケルト世界の縮小

  1. 449年,アングロサクソン人のブリテン島への侵入 (#389, #2353, #3113, #3593)
  2. 500年頃,ケルト人の反乱が起こる(cf. アーサー王)
  3. 大半のケルト人は急速にアングロサクソン人に吸収
  4. 残ったケルト人は,ブリテン諸島の隅(スコットランド,ウェールズ,コーンウォール)へ追いやられる
  5. 一部は海峡を渡ってフランスのブルターニュへ

各々のケルト語について

  1. Cornish と Manx,それぞれ1777年と1975年に消滅 (#779)
  2. Irish の衰退 (#2803, #1715)
  3. Scottish Gaelic の衰退 (#3496, #1719)
  4. Welsh の衰退と復興 (#1718)
    1. 史上最初の英語植民地 Pembroke (#3292)
    2. イングランド宗教改革の荒波をくぐりぬけたウェールズ語 (#3303)
    3. ウェールズにおける罰札制度 (#1742)
  5. Breton の正体 (cf. Brittany, Briton, Britain) (#734)
  6. 「英語帝国主義」はすでに5世紀に始まっていた?

2. 英語にみられるケルト的要素

  1. 借用語は少数にとどまる
    1. フランス語,ラテン語,ギリシア語,古ノルド語からの借用語の多さと比較
    2. 英語からみたラテン語・フランス語とケルト語の関係
    3. アングロサクソン人とケルト人の関係について示唆
  2. 固有名詞に残る(前)ケルト語要素
    1. イングランドの地名,特に河川名に豊富に残る
    2. 大陸における痕跡
    3. 人名
  3. 語彙以外への影響

借用語は少数にとどまる (#3680)

  1. 時代ごとにサンプル借用語 (W = Welsh, G = Scottish Gaelic, Ir = Irish)

    • 古英語期:bin かいばおけ, ass ロバ; clugge 鐘, drȳ 魔術師
    • 14世紀: crag 絶壁 (G/Ir), flannel フランネル (W), loch 湖 (G).
    • 15世紀: bard 吟遊詩人 (G), brog 小錐 (Ir), clan 氏族 (G), glen 峡谷 (G).
    • 16世紀: brogue 地方訛り (Ir/G), caber 丸太棒 (G), cairn ケルン (G), coracle かご船 (W), gillie 高地族長の従者 (G), plaid 格子縞の肩掛け (G), shamrock シロツメクサ (Ir), slogan スローガン (G), whisky ウィスキー (G), usquebaugh ウィスキー.
    • 17世紀: dun こげ茶の (G/Ir), tory トーリー党 (Ir), leprechaun レプレホーン (Ir).
    • 18世紀: claymore 諸刃の剣 (G).
    • 19世紀: colleen 少女 (Ir), ceilidh 集い (Ir/G), hooligan ちんぴら(Ir).
    • 20世紀: corgi コーギー犬 (W).
  2. その他の雑多な借用語(と疑われるもの)

    • anchorite 隠遁者,brock アナグマ,down 丘陵地 (#1395),gull カモメ,jilt 女たらし,mattock つるはし,rich 豊かな,trousers ズボン,twig 小枝,wan 青白い

アイルランド語からの借用語の年代別分布

借用の間接的な経路

  1. ケルト語を経由して古英語に入ってきたラテン借用語 (#2578)
    • ceaster (< L castra “camp”; #3440), port (< L portus, porta “harbor, gate, town”), munt (< L mōns, montem “mountain”), torr (L turris “tower, rock”), wīc (< L vīcus “village”)
  2. フランス語を経由したケルト借用語
    1. mutton 羊肉, palfrey 常用馬, loach どじょう, tench コイの仲間, chamois シャモア
    2. フランス語では日常語も含めて100語以上のケルト借用語が
    3. 英語とフランス語におけるケルト借用語の相違点と類似点
  3. 他の言語からの借用語(参考)
    1. フランス語 (#117)
    2. ラテン語 (#2162)
    3. イタリア語,スペイン語,ポルトガル語 (#2369)
    4. オランダ語 (#2646)
    5. ドイツ語 (#2164)
    6. 現代英語では? (#874)

アングロサクソン人とケルト人の関係

  1. 明確な上下関係を示唆
  2. ケルト人からは学ぶものがないという態度
  3. 借用語は上から下へ

固有名詞に残る(前)ケルト語要素

  1. イングランドにおけるケルト語地名の分布 (#2443)
    • Chatham, Chattenden, Chevening, Dover, Kent, London, Reculver, Richborough, Sarr, Thanet, York
  2. 河川名に多い
    • Thames, Humber, Severn, Stour, Trent (#1188, #3442)
  3. 大陸における痕跡
    • Wien; Arles, Bayeux, Lyon, Nantes, Paris, Rouen; Bonn; Tübingen; Genova, Milano, Bologna; Nijmegen; Coimbra; Segovia; Zürich
  4. 人名
    • 古英語期ウェストサクソン王国の王侯貴族の名前として: Cædmon, Ċerdiċ, Ċeawlin, Ċeadda, Ċeadwalla, Ċedd, Cumbra

語彙以外への影響

  1. 近年の「ケルト語仮説」 (“the Celtic hypothesis”)
  2. 取り沙汰されている事案
    1. 古英語における be 動詞の bēon 系列を未来時制,反復相,継続相を示すために用いる用法.ウェールズ語に類似の be 動詞が存在する.
    2. -self 形の再帰代名詞の発達 (#1851)
    3. be + -ing の進行形構造の発達
    4. do を用いた迂言的構造の発達
    5. 外的所有者構造から内的所有者構造への移行 (ex. he as a pimple on the nose → he has a pimple on his nose)
    6. “Northern Subject Rule” の発達 (#689)
    7. ゼロ関係詞あるいは接触節の頻度の増加
    8. it を用いた分裂文 (cleft sentence) の発達 (ex. It was a bike that he bought (not a car).) .フランス語の対応する分裂文もケルト語の影響とする議論があるという.
    9. /f/ と /v/, /θ/ と /ð/ の音韻的対立の発達と保持 (#3386)
  3. 基層言語影響説 (substratum theory) への賛否両論 (#1342)

  4. 時間上のギャップの問題:ケルト語の影響は5世紀(以降)だが do 迂言法の発生は13世紀

アイルランド語からアイルランド英語へ,そしてアメリカ英語へ

  1. 19世紀半ば,アイルランド人がアメリカへ移民 (#2958
  2. shall の用法が will にほとんど取って代わられた(早くも1855年頃にすでに確立)
  3. the measles などのように定冠詞を用いる用法(アイルランド英語の基層にあるゲール語の影響か)
  4. 接頭辞・接尾辞の頻繁な使用(anti-, semi-, -ster, -eer などの接辞による造語はアメリカ英語に顕著.このケースではアイルランド英語の影響はあくまで可能性とのこと.)
  5. 強意語の多用

3. 英語文化の基層としてのケルト

オガム文字:20文字からなるアルファベット.アイルランドに多く残る.横書きも縦書きも可.ルーン文字と関係?) (#2489)

『リンディスファーン福音書』 (The Lindisfarne Gospels)

  1. 700–720年にラテン語で.950–970年に古英語の行間注釈が加えられる.
  2. Insular Majuscule and Minuscule
  3. 古英語の <ð> “eth” の文字は Insular Minuscule 書体の <d> より (#1329)
  4. ケルト,アングロサクソン,ギリシア,ローマの伝統の融合を示す

『ケルズの書』 (The Book of Kells) (#3680)

  1. 800年頃にラテン語で.おそらくアイオナ島で作成され始め,ヴァイキングの襲来に遭うも,辛くも逃れる.
  2. アイルランドからアイオナ島へキリスト教をもたらした聖コルンバを称えて
  3. Insular Majuscule 書体
  4. 西洋中世写本のうち至高の芸術的価値を誇る

アーサー王物語

  1. 6世紀のウェールズの武将,のちブリタニア王アーサー(Arthur)(実在か否か不詳)と円卓の騎士たちとを主人公にした武勇と恋愛の物語.古く9世紀初めの文献にその名が見え,12世紀以降,フランス・イギリス・ドイツ3国を中心にヨーロッパ全土に伝播.中世後期にはトリスタン伝説や聖杯伝説も混入して韻文・散文の物語が成立.イギリスでは19世紀の文学・絵画に復活,現代では映画やミュージカルにも登場.円卓物語.
  2. 12世紀,ジェフリー・オブ・モンマスがラテン語で『ブリテン列王史』
  3. 12世紀,クレティアン・ド・トロアがフランス語で『ペルスバルまたは聖杯物語』
  4. 1155年,ワースがフランス語で『ブリュ物語』
  5. 13世紀初め,ラヤモンが英語で『ブルート』
  6. 1470年,トマス・マロリーが英語での『アーサー王の死』.近代初期英語散文の文体に決定的な影響を与える.
  7. 近代以降も,スペンサーの『神仙女王』,テニソンの『国王牧歌』,ウィリアム・モリスの『ギネビアの弁護』,マシュー・アーノルドの『トリストラムとイズールト』等々.

分かち書きの発生

  1. ブリテン諸島の諸言語(ケルト語や英語)を母語とする修道僧は,純然たる外国語としてラテン語を学んだ
  2. 数々の学習・翻訳テクニックを編み出した
  3. その1つが「分かち書き」
    1. 日本語はなぜ分かち書きしないか? (#1112, #1113, #1114)
    2. アルファベットももとは続け書き (#1903)
    3. 古英語の中点による分かち書き (#3044)
    4. bede_historia_ecclesiastica_iii_bodleian_library_tanner_ms_10_54r
    5. 語学学習,黙字習慣,句読点へのこだわり (#2696)
    6. 近年の続け書きの復活? (#2970)
  4. 5世紀以降熱心な学者を輩出し,大陸へも大きな影響

まとめ

  1. ケルトとは「ケルト諸語を話す集団」を指す比較的最近の概念
  2. 英語の単語や固有名詞のほか,場合によっては文法・音韻にも影響
  3. 英語文化,さらにはヨーロッパ文化の基層としてのケルト

参考文献