hellog〜英語史ブログ

#2934. tea とイギリス[history][loan_word][pepys]

2017-05-09

 tea とイギリスは,私たちのイメージのなかで分かち難く結びついている.茶はヨーロッパの近代において熱烈に流行した輸入品であり,その語源や語誌もよく知られている.『英語語源辞典』によると次のようにある.

1599年ポルトガル人によってヨーロッパにはじめて導入された名称は cha.この Port. cha は英語では16C末の文献に,chaa (1598) として,フランス語では1607年に chia, tcha として借入されたが,フランス語ではまもなく英語と同様 Malay 経由の thé を用いるようになった.また Russ. chaĭ は直接中国標準語から借入したものである.ヨーロッパ諸語に多い厦門方言形は,最初その貿易をほとんど一手に引き受けていた東インド会社などのオランダ人を通じたものと考えられる.17--18Cの英語に見られる , thé, tay /téi/ などは F thé の影響を示している.


 つまり,cha 系統の形態は1598年にすでに見られるが,tea 系統での初例は17世紀も半ばの1655年になってからのことである.17世紀半ばには,茶はすでにイギリスでも人気を博しつつあったことが,Samuel Pepys (1633--1703) の日記 The Diary of Samuel Pepys の記載からわかる(日記の該当箇所はこちら).
 しかし,17世紀半ばにイングランドで群を抜いて好評を博していた流行の飲み物といえば,むしろコーヒーだった.コーヒーハウスの流行によりコーヒーはその後も1世紀の間,時代を時めく社交ドリンクであり続けた.ところが,18世紀半ばには,コーヒーに代わって茶が習慣的に愛飲されるようになった.このコーヒーから茶への変わり身は何故か.これまで様々な説が提案されてきた.竹田 (176--78) は次のように諸説を提示し,評価している.

イギリスが“紅茶の国”になった理由には諸説ある.(1) 飲料水の性質(カルシウムなどを多量に含んだ硬水),(2) 紅茶に対する高い関税が引き下げられた,(3) 女王メアリー二世や妹のアン女王が紅茶を好んだ,(4) 富裕層を中心にアフタヌーン・ティーの習慣が広まった,(5) コーヒーが男性の飲み物であったのに対して,紅茶は女性に浸透して家庭の飲み物になった,などである.しかしオランダ東インド会社の台頭を前に,価格面におけるモカ・コーヒー貿易の比較優位性が失われ,イギリスは新たな利益の追求対象として中国茶貿易の独占を思い描くようになったという実利性に基づく政策転換が,その一番の理由であると考える.


 さらに竹田 (177--78) は,イギリスにおける喫茶習慣の定着について,次のように述べている.

 イギリス人が紅茶を飲む習慣を身につけたのは,一七世紀後半という説が一般的だ.イギリス国王チャールズ二世が一六六二年,ポルトガル王室から迎え入れた王女キャサリン・オブ・ブラガンザと結婚したことがきっかけで,紅茶文化が誕生したという.
 父親のチャールズ一世が処刑された後,王政復古を経て息子のチャールズ二世がイギリス国王として復活し,ヨーロッパ王室で屈指のポルトガルから王家の血を導入したのである.イギリス王妃となったキャサリンは,宮廷の生活で高価な紅茶を楽しみ,さらにポルトガルから持参金の一部として自ら持ち込んだ希少価値の砂糖を混ぜるなど,紅茶と砂糖を嗜む宮廷文化を創造し,イギリス王室に新風を吹き込む立役者となった.
 紅茶を飲む作法がこれを機会に,貴族階級において瞬く間に広がったと伝えられている.紅茶が持つ高級感は,こうした貴族文化に起因する.キャサリンというブランド名を考案し,日本国内で販売された紅茶は,キャサリン王妃の名前に由来する.


 このように喫茶のきっかけは貴族文化にあったようだが,東インド会社の貿易商たちは,これに乗じてイギリス全体を「紅茶の国」として演出する作戦に乗り出したというわけである.
 tea という語にまつわる英語史のこぼれ話は,オックスフォード大学の英語史学者 Simon Horobin による A history of English . . . in five words を参照.tea の母音部の発音と脚韻の歴史については,こちらのコラムも参照.

 ・ 竹田 いさみ 『世界史をつくった海賊』 筑摩書房,2011年.

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