hellog〜英語史ブログ

#160. Ardi はまだ言語を話さないけれど[anthropology][speech_organ][evolution][origin_of_language]

2009-10-04

 東京大学やカリフォルニア大学などの国際チームが,エチオピアで440万年前とされる最古の人類の全身骨格を化石から復元した.この最古の人類は Ardipithecus ramidus 「ラミダス猿人」という種類の人類で,この化石の女性は Ardi と愛称で呼ばれる.人類がチンパンジーから分かれたのは約700万年前とされ,分かれた後の人類の最初の証拠がアルディということになる.人類の起源の研究が新しい段階に入ったとして,米科学誌『サイエンス』が異例の特集を組んでいる.
 [2009-06-08-1]の記事で見たとおり,人類の起源から人類の言語の起源までには,相当な時間的な隔たりがある.言語は長く見積もっても数十万年の歴史をもつに過ぎない.人類は長い間「無言」だったわけだが,進化の過程では言語を獲得するための準備を着々と進めていったことも事実である.
 その準備の一つに,脳の発達がある.言語を操るためには相応の脳の発達が必要だったことは間違いない.ちなみに,アルディの脳は300ccくらいで,まだチンパンジーと同じくらいだったという.
 脳の発達以外にも言語の起源につながるもう一つの重要な準備があった.喉頭 ( larynx ) の発達である.アルディはすでに直立歩行していたようだが,直立することにより喉の空間が縦に長くなり,声帯 ( glottis ) で発せられた音が喉頭で共鳴することができるようになった.これにより,ヒトは音の高さや大きさを調整することができるようになり,そこに感情を載せるなど精妙な表現の手段を獲得したのである.さらに,共鳴器で響いた音が,舌や歯などのより上部の器官で調音され,複雑多岐な子音や母音が発せられるようになった.
 いくら脳が発達して言語能力が高まったとしても,それを表現する手段である声や音の調整が不可能であれば,言語行動 ( speech ) は成り立たなかっただろう.
 現代でも,脳(=表現する内容)と喉頭(=表現する手段)がセットになっていないと言語コミュニケーションは成り立たない.英語という手段だけ身につけようと頑張っても,伝える内容がお粗末ではしかたがない.自戒を込めて,アルディからの教訓.

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#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論[speech_organ][evolution][origin_of_language]

2010-10-23

 よく知られているように,ヒトの言語の発音器官 ( speech organ ) は言語のために進化してきたわけではない.いずれも主たる機能は生存のための生理的機能である.調音機能はあくまで副次的なものであり,だからこそヒトの言語の獲得は余計に不思議に思われるのである.
 以下は O'Grady (2) より,発音器官の2重機能(生理機能と発音機能)を示す表である.

OrganSurvival functionSpeech function
Lungsto exchange CO2 and oxygento supply air for speech
Vocal cordsto create seal over passage to lungsto produce vibrations for speech sounds
Tongueto move food to teeth and back into throatto articulate vowels and consonants
Teethto break up foodto provide place of articulation for consonants
Lipsto seal oral cavityto articulate vowels and consonants
Noseto assist in breathingto provide nasal resonance during speech


 2重機能や機能転換は生物の進化においては珍しくない.鳥の羽が体温調整という本来の機能から飛翔の機能を派生させた例,魚の浮き袋が浮揚の機能から呼吸の機能を派生させた例などがある.上記のヒトの諸器官において本来の生理的機能から発話という言語的機能が派生したのと同様に,ヒトの言語能力それ自身も脳の本来的な機能から副次的に派生したものと考えられている.
 言語能力の発現については大きく2つの考え方がある(池内,pp. 93--100).1つは,脳が進化して計算能力をもてあますようになり,複雑な計算処理を要求する言語が発現し得る状況が生じたとする説である.言語は脳の増大の副産物として突如として生じたとするこの説はスパンドレル理論と呼ばれ,Chomsky などが抱いているとされる.ここでは機能上の飛躍や非連続性が強調される.
 もう1つは,言語能力に先立つ準言語能力が「前駆体」として存在しており,そこからさらに進化することによって真性の言語能力が発現したとする説である.この説は前適応理論と呼ばれている.ここでも飛躍や非連続性は想定されているが,スパンドレル理論のような突如さはない.
 喧々囂々の議論があるが,池内氏によるとスパンドレル理論には難があるという (99).脳が進化して能力をもてあましたからといって,それが言語の能力につながる必然性がない.とてつもなく複雑な計算処理を要する言語以外の機能が生じる可能性もあり得たところに,なぜ結果的にはそれが言語だったのかを論理的に説明できない.一方で,前適応理論は言語の前駆体を仮定しており,(もちろんそれが何であるかは大問題だが)そこからの言語の発現には論理的な飛躍はないという.
 上に挙げた発音器官に話しを戻そう.ここでも,進化してみたらたまたま発音に都合よくできていたから言語の発音の機能を担うようになった(スパンドレル理論)というよりは,言語の発音の前駆体(一般の動物にもある鳴き,吠え,叫びの類か?)が先に存在しており,そこからの進化によって言語の発音の機能が発現するに至った(前適応理論),と考える方が無理はないのかもしれない.
 関連する記事として[2009-10-04-1]も参照.

 ・ O'Grady, William, John Archibald, Mark Aronoff, Janie Rees-Miller. Contemporary Linguistics: An Introduction. 6th ed. Boston: Bedford/St. Martin's, 2010. (Companion Site based on the 5th edition available here.)
 ・ 池内 正幸 『ひとのことばの起源と進化』 〈開拓社 言語・文化選書19〉,2010年.

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