hellog〜英語史ブログ

#4333. Johnson は難語辞書への回帰路線?[johnson][dictionary][lexicography]

2021-03-08

 英語辞書の黎明期から初期にかけての流れについて,「#609. 難語辞書の17世紀」 ([2010-12-27-1]) と「#610. 脱難語辞書の18世紀」 ([2010-12-28-1]) で概説した.18世紀になってようやく難語ではなく普通語を収録した一般的な英語辞書が誕生したということだった.
 John Kersey が A New English Dictionary (1702) を編纂し,続いて Nathaniel Bailey が An Universal Etymological English Dictionary (1721) と Dictionarium Britannicum: Or a more Compleat Universal Etymological English Dictionary than any Extant (1730) を出版し,最後に Samuel Johnson が A Dictionary of the English Language (1755) で締めくくったという流れだ.
 難語や専門語には注目せず日常的な語を多く収録するという点では,Kersey の見出し語は約28,000語,Bailey の Dictionary は約40,000語であるから,確かに2人は脱難語辞書の路線をたどったといってよい.
 ところが,Johnson は一般的な辞書を編纂したという点で一見2人の流れを汲んでいるようにみえるものの,少し違った路線をとっている.収録語数は約39,000語と Bailey よりもやや少ないくらいで,収録語彙を選んでいる風がある.実際,Johnson は物事よりも概念を表わす語を好んで収録した.また,よく知られているように定義を引用で補強した最初の辞書編纂者として名を残しているが,その引用元は常にハイソな文人墨客だったのである.明らかに上流意識が強い.
 Dixon (96) は,この点を指摘して,Johnson の路線がある意味での難語辞書回帰に当たると鋭い洞察を加えている.

Johnson's choice of words, and the senses exemplified, reflected his preoccupation with high-class literary style, rather than with general use of the language. His selectivity was, in a rather different sense, continuing the philosophy of the 'hard words' lexicographers.


 この点については当時の時代背景も考慮に入れる必要がある.関連して「#2650. 17世紀末の質素好みから18世紀半ばの華美好みへ」 ([2016-07-29-1]) も参照.

 ・ Dixon, R. M. W. The Unmasking of English Dictionaries. Cambridge: CUP, 2018.

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