英語の法助動詞 (auxiliary_verb) が歴史を通じてさまざまな意味変化を経てきたことは,よく知られている.とりわけ根源的意味と認識的意味の関係が話題とされることが多く,hellog でも「#4564. 法助動詞の根源的意味と認識的意味」 ([2021-10-25-1]) や「#4567. 法助動詞の根源的意味と認識的意味が同居している理由」 ([2021-10-28-1]) で取り上げてきた.
根源的意味から認識的意味への変化は,主観化 (subjectification) の事例として挙げられることがある.寺澤 (131--32) より解説を引用する.
法助動詞 must には,John must be back by ten 〈ジョンは10時までにもどらなければならない〉のように〈義務〉を表わす用法と,The old man must have a lot of money 〈その老人はお金をたくさん持っているに違いない〉のように〈論理的必然〉を表わす用法がある.前者では,must は文の主語である John の行為について,それが義務づけられていることを述べている.一方,後者は,〈その老人がお金をたくさん持っていなければならない〉ということを意味しているのではなく,〈その老人は間違いなくお金をたくさん持っているだろう〉という話し手の当然の推論・判断を表わしている.話し手の推論・判断を含まない客観的な用法と,それを含む主観的な用法は,それぞれ根元 (root) 用法と認識 (epistemic) 用法と呼ばれる.他の法助動詞にもこの二つの用法はみられる.may は,You may borrow his bicycle 〈彼の自転車を借りてもよい〉のような〈許可〉を表わす用法と,You may be right 〈あなたは正しいかもしれない〉といった話し手の推論を含み〈可能性〉を意味する用法がある.can についても,I cannot solve the problem 〈その問題を解くことができない〉におけるように〈能力)を表わす用法と,The story cannot be true 〈その話しは本当であるはずがない〉のように話し手の否定的推量を表わす主観的な用法がある.こうした法助動詞を歴史的に調べてみると,興味深いことに,いずれの法助動詞においても話し手の推論・判断を表わす主観的な用法が客観的な用法よりも後になって発達している.このように,話し手の主観的な推論や判断が語の意味のなかに取り込まれていく傾向を主観化 (subjectification) という.
意味変化における主観化の作用は,法助動詞のような機能語のみならず,一般の内容語にも観察される.たとえば,上の引用の後では,hopefully の意味が「希望を持って」から文副詞としての「願わくは」へ転じた事例も主観化のケースとして挙げられている.
・ 寺澤 盾 「第7章 意味の変化」『英語の意味』 池上 嘉彦(編),大修館,1996年.113--34頁.
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