must, may, can などの法助動詞 (auxiliary_verb) には,根源的意味 (root sense) と認識的意味 (epistemic sense) があるといわれる.通時的にも認知的にも前者から後者が派生されるのが常であることから,前者が根源的 (root) と称されるが,機能に注目すれば義務的意味 (deontic sense) を担っているといってよい.
must を例に取れば,例文 (1) の「?しなければならない」が根源的(あるいは義務的)意味であり,例文 (2) の「?にちがいない」が認識的意味ということになる (Sweetser 49) .
(1) John must be home by ten; Mother won't let him stay out any later.
(2) John must be home already; I see his coat.
一般的にいえば,根源的意味は現実世界の義務,許可,能力を表わし,認識的意味は推論における必然性,蓋然性,可能性を表わす.Sweetser (51) の別の用語でいえば,それぞれ "sociophysical domain" と "epistemic domain" に関係する.一見して関係しているとは思えない2つの領域・世界への言及が,同一の法助動詞によってなされているのは興味深い.
実際,英語に限らず多くの言語において,根源的意味と認識的意味の両方をもつ語が観察される.印欧語族はもちろん,セム,フィリピン,ドラヴィダ,マヤ,フィン・ウゴールの諸語でも似た現象が確認される.しかも,歴史的に前者から後者が派生されるという一方向性 (unidirectionality) の強い傾向がみられる(cf. 「#1980. 主観化」 ([2014-09-28-1])) .
とすると,これは偶然ではなく,何らかの動機づけがあるということになろう.認知言語学では,"sociophysical domain" と "epistemic domain" の間のメタファーとして説明しようとする.現実世界の因果関係を認識世界の因果関係にマッピングした結果,根源的意味から認識的意味が派生するのだ,という説明である.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
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