先日の「#4689. YouTube で「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開設しました」 ([2022-02-27-1]),「#4690. 深く考えたことのなかった「英語学とは何か?」」 ([2022-02-28-1]) でも話題となった英語学・言語学とは何かという問いについて,改めて考えてみたい.
先日の議論を振り返り対立的な図式に落とし込めば「英語学とは英米流の言語学である」(堀田説)と「英語という言語を対象とする言語学である」(井上説)の2種類の解釈があった.ただし,これはどちらが正しいかという問題というよりも,2つの見方があり得るということの確認なのだろうと思う.実際,井上自身も英語学概論書のなかで,2つの英語学があることについて議論している (1--2) .
大きく分けて,「英語学」は2つの分野を指している.この2つは重なっている部分もあるが,大きく離れて別の分野と言ってよい部分もある.
1つは「英語という言語の研究」という意味である.つまり,英語で言えば,the study of English language ということで,最近の世界の英語状況を考えると,the study of English languages と複数形にしてもよいかもしれない(本書のスタンスはそれだ).もともとはアングロ・サクソンの民族的文化的背景を持った一民族語としての英語の研究という意味合いが強い研究もある.〔中略〕英語という言語そのものを深く探究する学問である.その成り立ちを考えたとき,当然ながら,英語という言語の背景である歴史に目を向けることは理にかなったことである.その実,この分野の英語学は「英語史」という色彩を強く持つことになり,過去の英語の文献をひもとき,つぶさに分析することが重要な作業となる.この分野の英語学が,英語では philology と呼ばれるゆえんである.
もう1つの「英語学」の意味するところは,「英米系の言語学」という意味である.「英米系」というのは,つまり「英米で議論されてきた伝統をくんでいる」という意味である.かつての「国語学」,現在では「日本語学」にも伝統があり,「仏語学」「独語学」も同様に,それぞれに議論の伝統があり,扱われる事象にも違いがある.流派のようなものと考えてもそう間違ってはいない.それぞれの流派の言語学はそれぞれの特定の言語を対象に議論するので,「○○語をデータとして用いる言語学」と言ってもよいが,それだけではない.扱い方や議論の仕方にも違いがある.ここでは,それらを比較して論じることはしないが,まずは「英米で論じられてきた伝統にある言語学」と理解しておくとよいであろう.1つ目の英語学に対して,こちらの英語学は英語では linguistics と読んでいる.この意味においては,英語学は言語学とほぼ同義と考えてよい.
実際,「英語学」という分野名が意味するところは,使われる文脈が異なれば,それに応じて異なっているように思われる.ただし,両方の解釈を合わせて広く「英語学」と指示することは(少なくとも私にとっては)よくあることでもある.
・ 井上 逸兵 『グローバルコミュニケーションのための英語学概論』 慶應義塾大学出版会,2015年.
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