hellog〜英語史ブログ

#2807. 「新言語学は英語教育に役立つか?」という問い[elt][grammar][generative_grammar]

2017-01-02

 安井(著)『20世紀新言語学は何をもたらしたか』の第7章に「新言語学と英語教育とのかかわり」と題する章があり,そこで標題の問いが論じられている.ここでいう新言語学とは,生成文法 (generative_grammar) を指している.この論考がすぐれているので,紹介したい.
 まず,この問いはたいてい疑問としてではなく反語として発せられるものだということが述べられている.つまり,前提として「新言語学は英語教育に役立たない」という発想があるということだ.対するは,伝統的な学校文法になるわけだが,こちらは「洋の東西を問わず,英語教育を,いわば独りで背負ってきたものである.よかれあしかれ,かけがえのないものであったのである.掛け替えのないものに対して,「役に立つか」とか,「役に立たないか」と問うことは,まったく意味をなさないということはないが,現実みに欠けることになるのではないかと思われる.」このような位置づけにある学校文法を置き換えるほどの英語教育向きの文法(理論)は,そうは簡単に現われないだろう.その意味では,生成文法とて,その他の○○文法とて,どうしても力不足である.
 では,英語教育向きの文法(理論)とはどのような条件を備えている必要があるのか.安井 (152) 曰く,首尾一貫性と包括性の2点である.このうち,教育上とりわけ重要なのは,包括性だろう.英語教育上,個々の問題を盤石な理屈で説明することができないのは仕方ないとしても,英語のあらゆる問題を扱えないようでは,実用文法として失格だからである.学校文法は,首尾一貫性をおおいに犠牲にしながらも,包括性は確保しようと努めてきた.それに対して,もともとは教育目的で発展したわけではない生成文法は,理論的な首尾一貫性の点では勝るが,関心は統語論の問題,もっと言えば統語論における特定の問題に偏っているため,包括性はない.したがって,英語教育が首尾一貫性よりも包括性を重視するものである以上,たいていの文法理論は学校文法にかなわないといってよい.
 しかし,生成文法をはじめとする文法理論は,包括的ではなく限られた領域に関してのみではあるにせよ,学校文法の首尾一貫性の低さを補って,その程度をいくらか高めることには貢献し得るだろう.学校文法は,包括性を堅持する代わりに,首尾一貫性は初めからある程度あきらめるというところに成り立っているが,文法理論のすぐれた部分については吸収し,首尾一貫性を少しでも高めることができる有利な立場にあるのである.
 安井 (155--56) の結論部を引こう.

新言語学の新知見は,こういう伝統的な文法の中に組み込まれた瞬間から,伝統文法の一部になりうるのである。方法論上の首尾一貫性をもたない伝統文法は,首尾一貫性の欠如に対する代償として,新言語学の知見を,部分的にでも,自らの中に含みうるという強みをもっているのである。要するに,新言語学は英語教育に役立つかという問いは,伝統的学校文法は英語教育に役立つかという問いと表裏をなすものであって,結論的に言えば,両者ともまったく無用であるとする論は,両者とも,それだけで充足しているとする論と同様に誤りであり,英語教育関係者の立場からするなら,(具体的に言及する余裕を失ったが)有用なものである限り,伝統的学校文法であると変形文法であるとを問わず,等しく採り用いるべきであるという自明な一事に尽きることになると思われる。


 ・ 安井 稔 『20世紀新言語学は何をもたらしたか』 開拓社,2011年.

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