歴史的な与格の用法の1つに,ethical dative と呼ばれる不思議な用法がある.「心性的与格」と訳されることが多いようだが,細江 (125) は「感興与格」と訳しており,後者のほうが用語としてずっとわかりやすい.これは "for me" ほどの意味を添える dative of interest (利害与格)から発展したものだが,受益や被害という含意はきわめて薄くなっており,しばしば和訳では訳出されない.現代標準英語ではほぼ姿を消したといってよい用法だが,近代からの例を見てみよう.
・ He would sweep me these rascals. (彼が悪人どもを追い払ってくれるだろう.)
・ I say, knock me at the gate. (Shakespeare)(さあ,この門をたたけ.)
・ As I was smoking a musty room, comes me the prince and Claudio, hand in hand . . . (Shakespeare) (私がね,かび臭い部屋をいぶしておりますとね,どうでしょう殿様とクローディオとがね,手に手を取っておいでになりましてね.)
ここでは me が受益者であるという主張は薄く,むしろ話者が異常な感興を覚えていることが強く暗示されている.聞き手の注意を引く役割は果たしているようだから,ethical dative は文法的機能というよりは修辞的効果のために用いられているといって差し支えないだろう.上の第3例の和訳は細江 (126) によるものだが,感嘆詞や終助詞「ね」によって対応する効果を訳出しようと腐心しており,ethical dative のメタな機能とその修辞的効果が日本語感覚として伝わってくる.
中英語からの例については,Mustanoja (99--100) が次を挙げている.
Another shade in the use of dative of interest is seen in what is customarily called the ethical dative. This occurs only in the first and second persons: --- ilc prince me take his wond (Gen. & Ex. 3821); --- so wiste I me non other red (Gower CA i 108); --- þay fel on hym alle and woried me þis wyly wyth a wroth noyse (Gaw. & GK 1905).
西洋諸言語にも同じ与格の用法が広く見られる.細江 (126) を転載しよう.
ギリシア語: (= What am I to learn for thee?); ラテン語: Quid mihi Celsus agit? (= How is Celsus me getting on?); スペイン語: Me han muerto à mi hijo (= They have killed me my son); フランス語: Que me faîtes-vous là? (= What are you going [sic] me there?); ドイツ語: Sieh mir nicht so finster aus (= Don't look me so sullen).
どうやら ethical dative は言語に広く見られる現象のようであり,語用論的な立場から考察を加えるとおもしろいだろう.古い英語でも頻用されていたわけではないようだが,現代英語にかけてほぼ完全に失われていった背景も気になるところである.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
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